東京都知事選挙については、7月7日の投開票日の朝に書いた記事で打ち止めのつもりでした。でもやはり余韻のあるうちに少し書き留めておこうと思います。書くのは石丸さんのことです。選挙結果そのものにはほとんど興味がありません。予想通りだったというだけです。

 

さて「石丸論法」という表題を付けました。いい意味でも悪い意味でも、石丸さんの特徴は彼の思考回路とモノの言い方にあると思います。それを私は「石丸論法」と名付けて考察してみたいと思います。

 

その前に、石丸さんの選挙参謀を務めた藤川さんという人が、彼のことを高杉晋作にたとえているという記事を目にしましたので、それについて少し触れておきます。藤川さんは「選挙の神様」とも呼ばれている選挙戦術のプロです。そのプロの軍師が提案する戦術のいくつかを石丸さんは採用せず、自分の考えを貫いて選挙戦を戦ったのだそうです。

 

その一例として、石丸陣営のスローガン「東京を動かそう」があります。藤川さんたちベテランは「東京新時代」という言葉を提案しました。ところが石丸さんはそれを蹴って、自分で考えた「東京を動かそう」にしました。神様の提案を拒んで自分を押し通すくらいに頑固です。私の目から見て「東京新時代」は30点。陳腐です。「東京を動かそう」は90点です。若々しいですよね。全然違います。

 

さて、高杉晋作という名前は若い人以外は誰でも聞いたことがあるはずです。大河ドラマの「花神」では、規格外の風雲児として描かれていました。幕末を生きた長州藩の武士です。討幕運動に身を投じ、奇兵隊を組織して暴れまくった人物ですが、29歳のとき志半ばで肺結核を患い没しています。行動の過激さゆえにテロリストだと評する人もごくたまにいます。それは見当はずれでしょう。その高杉晋作について、当時の名だたる人物がどう評価したのかを書いておきましょう。

 

<松下村塾で高杉晋作を教えた吉田松陰>

 

学問充たず、経歴浅し。然れども強質清識凡倫に卓越す。

 

<明治の元勲 木戸孝允>

 

俊邁の少年なり。ただ惜しむらくは少し頑固の性質あり。

 

<千円札にもなった初代内閣総理大臣 伊藤博文>

 

動けば雷電の如く発すれば風雨の如し。勇悍の人で創業的材幹にはよほど富んでいた。

 

 

分かりにくい単語も含まれていますが、これらの人物評を見るだけでも、高杉晋作が強い性格の持ち主で、躊躇せずに蛮勇を奮って事に当たる人物だったことがわかります。独創性もあったようです。吉田松陰の言葉は、晋作がまだ勉強を始めたばかりの頃の評価なので「勉強が十分でない」と言っています。でも暫くして他の秀才たちをして「とてもかなわない」と言わせるほど学問も身につけたようです。

 

確かに石丸伸二さんも頑固なところがあります。良く言えば、人の言葉に左右されず何事にも覚悟をもって事に当たるという性質です。「機をみるに敏」という、成功する人に共通する特質も高杉晋作、石丸伸二がともに持っていると思います。ただし石丸さんが現代の高杉晋作と言えるかどうかは今はまだわかりません。これから才能を発揮する可能性はあると思います。その才能を開花させるとすれば、アナリストやコメンテーターではなく、やはり本人も望んでいる政治の世界でしょう。

 

さて本題の「石丸論法」について考察していきましょう。「意味のはっきりしない質問への対処の仕方」です。

 

安芸高田市長時代の石丸さんのyoutubeや、最近の記者会見などをよく見ている人なら気づいていることだと思います。たとえば市議会での議員とのやりとりで、相手の質問の意味がはっきりしないとき、石丸市長は「反問権」を使ってたびたび相手に質問をしました。議員の質問にはすぐ答えず、逆に議員を問いただすわけです。逃げているようにも見えます。あるいは攻撃的に見えます。でも質問の意味が曖昧なときに「反問権」を行使することは、議長が認めさえすれば議会制民主主義のルールの中で有効です。石丸市長は頻繁に「反問権」を使いました。それは議員の質問の真意が「???」のときです。普通の政治家は多少曖昧な質問が来ても、あるいは真意がわからない質問でも何らかの言葉を返します。質問の真意をただすよりも、答弁で自分の主張を発することを優先するわけです。ですから往々にして議論がかみ合いません。国会で質問に真っすぐ答えず、よく論点を逸らしてはぐらかしの答弁をした首相は安部晋三さんに限りません。多くの首相がそうでしょう。そういうのは「ご飯論法」と言われて批判されたりしました。

 

「ご飯論法」とは、たとえば学校で先生に「朝ご飯は何を食べましたか?」と聞かれて、「私は朝昼晩、三食きちんと食べています」と答える生徒がいたとすれば、それはご飯論法です。「何を食べたか?」と聞いているのであって、単に「朝ご飯を食べたか?」と聞いたわけではないので、質問に答えたことになりません。

 

議会でもメディアの取材に対しても、石丸さんはご飯論法を一切使いません。質問に対しては、その質問の意味するものが明確である限りちゃんと答えます。イエス、ノーではっきり答えることも多いです。問題は、質問の真意がハッキリしない時です。例えば7月7日の夜の開票速報のテレビ番組でもそんな場面がありました。ネット上で批判が殺到した日本テレビの開票特番での出来事をご存じの人も多いかもしれません。

 

石丸さんの得票数が二番手だということがほぼはっきりした時点での石丸さんへのインタビューで、面白いやりとりが見られました。日本テレビのコメンテーターとして出演していた社会学者の古市憲寿さんが石丸さんに、自分の意見を表に出して執拗に質問を繰り返した問題です。見ていない方のためにちょっとだけ紹介すると・・・

 

「出口調査したところどうやら石丸さんが2位らしい。嬉しかったですか?」と古市さんは聞きました。石丸さんは「勝ち負けなどという候補者目線の小さな話をしていないんですね」と持論を返します。

 

続いて古市さんが「まだ都知事選の開票が続いている中で国政で広島1区から出馬する可能性に(記者会見で)言及したのは、結局都知事選はただの踏み台だったのかな、売名行為だったのかと思った」と畳みかけると、石丸さんは「下衆の勘繰りでしかない。聞かれたので(国政の)可能性に言及しただけ。意思はないとも言っている。(私の発言の)文脈を把握しているのか」と反論しました。

 

さて、いきなり「嬉しかったですか?」と聞く。その聞き方はどうでしょうか。質問と言うより、「自分でも予想外の得票数だったので、さぞ嬉しいだろ、ハハハ」と皮肉をぶつけていると受け取ることもできます。「二位という結果になりそうですが、石丸さんの感想を聞かせてください」と聞くのが公共の電波を使うテレビでの最低限の礼儀というものです。最初から敵意か皮肉にも聞こえるような質問をする古市さんには正直びっくりしました。当然、石丸さんも内心はびっくりしたのでしょう。石丸さんは「(嬉しいかどうかとか、そんな)小さな話をしていない」と戦闘モードになるのは当然でしょう。もし古市さんがまともな聞き方をしていたら、「自分が嬉しいとか、残念だとか、そんなことはどうでもよいのです。多くの有権者の皆さんが自分で考えて投票したというその結果が今の数字だと思います。それが東京都民の総意(民意)です」などと答えていたのではないかと想像します。

 

次に、そもそも「売名行為だったと思ったのですが」などという質問が成り立ちますかね?古市さんがそう思うのは勝手です。でも様々な考えの視聴者が見ている選挙特番の司会者側ですからね。少々個人の意見を開陳するのはいいとしても、それを選挙戦を終えたばかりの当事者にぶつけるのは「失礼」を通りすぎて「無礼」です(同じことか笑)。本当に石丸さんの立候補が売名行為だと思うなら、当選した小池さんも含めてすべての候補者が売名行為ということになりませんか?と言いたいですね。厳しい暑さや雨の中、17日間で200数十か所の街頭演説に出て、たくさんの有権者に語りかけてきた候補者に対して、最低限の敬意を示すのが人間としては普通でしょう。それを「売名行為だったと思う」って決めつけるのは、あまりにも違和感があります。「古市さん、そんなに言うなら一度あなたもやってみたらどうですか?」と言いたくなっても不思議ではありません。私なら「テレビに出ているあなたこそ、売名行為ではないですか」と言い放ちます。そんな人をコメンテーターとしてお金を払って出演させている日本テレビも日本テレビです。これでは「マスゴミ」と言われても仕方ありませんな。

 

さて話が脱線しそうなので戻します。このあと古市さんは「政治屋の一掃」を掲げた石丸さんに対して、「政治屋」の定義を何度もしつこく聞いただけではなく、政治屋と石丸さんの政治活動の違いはないと言いたかったようなのです。でもその質問の言葉がいまいち明瞭ではなく、石丸さんは答えずに一瞬止まります。いや、質問の意味と意図がハッキリしないので、石丸さんが聞き返そうとします。そりゃそうでしょう。古市さんの聞き方はまるで「石丸さんの政治活動は政治屋と同じだと思う」と言ってるように聞こえたからです。少なくとも言葉を発する古市さんの顔にはそう書いてありました。だから石丸さんは、古市さんの質問の意図をはかりかねたのです。だから止まったのです。まさか「あなたはわたしを誹謗中傷するつもりですか?」と切り返すのは、いくら石丸さんでも遠慮するでしょう。それくらい公共の電波を使った誹謗中傷まがいの質問を古市さんは発していました。そして石丸さんは質問者の意図や真意を確かめようとしたのです。だから止まったのです。石丸さんは適当に答えることをしない人です。相手の真意をまず確認しようとします。そして意味が分かったら、まっすぐに誤魔化さずに答える、それが「石丸論法」です。政治家としては稀有の人物だと思います。

 

さて、石丸さんが現代日本の高杉晋作かどうかの議論はともかく、私は何度も書きますが、こういう覚悟の座った若い人が一人でも二人でも日本の政治の世界で活躍してほしいと思います。きっと科学の世界や企業の世界では優れた人材がまだまだ多い日本だと思います。でも政治の世界はどうでしょうか?自民党?立憲民主?維新?・・・だれか本物がいますか?ひょっとして、いるのかもしれませんが、全然見えませんね。すくなくとも石丸伸二さんは、選挙戦を通じてその素顔を見せてくれました。覚悟を見せてくれました。でも彼に何かを託すなんて、そんなバカげたことはありえません。彼の覚悟を見ながら、自分こそが覚悟を決めて、自分にできることをするのです。それが普通だけれど普通ではない魅力を持った石丸さんから私が学んだことです。

 

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