ずいぶんと大上段のタイトルにしてみました。日頃感じていることを一番ストレートに表現していると思うからです。

 

ネット上にはさまざまな政治情報があふれています。中国のような一党独裁の国ではそうでないかもしれませんが、日本に限らず多くの国でそうだと思います。特定の政治家を誹謗中傷するような言説を吐いてもまず咎められることはありません。政権批判ももちろん自由です。逆に政権マンセーも自由です。でも、このところジャーナリストなのか評論家なのか、それとも学者なのかよくわからない人たちの発信を聞いていると、大げさではなく背筋が寒くなってきます。

 

たとえば高市政権が誕生するやいなや、新総理をまるで日本の救世主のように祭り上げるかのごとき言説があふれかえっています。よく聞いても、どこがいいのか、何に期待しているのかわかりません。今日でも「日本成長戦略本部」を設置したと言うだけで、すぐにでも日本経済が再生して国民の暮らしがよくなると解説していたチャンネルを見て唖然としました。そのうち良くなる可能性はゼロではありませんが、この少子高齢化に歯止めをかけることがまず無理と言われている中での「日本再生」には非常に高い壁が立ちはだかっているのは厳然たる事実です。それを高市総理が会議体を設置しただけで、すぐ良くなるかのように言いふらすことは新興宗教と同じになっちゃうよと思います。とにかく高市さんに対しては無批判な言説が急激に増えました。逆に少数ですが理屈抜きで感情的に批判しているようなものも見られます。どちらも「問答無用」というような寒々しい言動が増えていて、私には耐えられません。

 

何処がなぜ良くて、どこがおかしい、あるいは問題なのか、それがわからない言論は私は到底受け入れる気にはなりません。このところネット上の政治的言論空間は異常な過熱ぶりを呈していて、よほど心してファクトをチェックしておかないと、あっという間に罠にはまって洗脳されてしまうだろうと思います。

 

私は時の政権に対する評価、というか感想は、是々非々でいこうと常に思っています。政治の良し悪しはあくまでも結果によって評価するものです。たとえば先日の日米首脳会談についての感想を素人の私も書きましたが、元外務省主任分析官の佐藤優氏は概ね以下のようにyoutubeで語っています。

 

「日米の首脳会談で共同声明や共同記者会見がなかったということは今までありません。それなのに成功だったと言っている外務省幹部や官邸はどうかしていますよ」と。プロらしい発言です。私なんかは全く気付かない視点です。確かに共同声明も何もないのに、いったい何を合意したり前進したりしたというのでしょうか。「最高の関係にある日米関係をさらに高めていく」というような表現で高市首相は語っていたと思いますが、「これまでいろいろ問題もあったが、これからは最高の関係を築いていく」というのだったら日本語としてまともです。でも、すでに最高だというものをもっと最高にするって・・・・何を意味するのか全く分かりません。単なるレトリックですかね?今は最高ではないから最高を目指したいのなら分かりますけど。いかにも理性を欠いた感情論に終始した日米首脳会談だったことがその一点からも見えてしまいます。

 

私が恐れるのは、そういう理性ではなく感情に訴える政治が大手を振ってまかり通ることです。もともと政治にはそういう要素があることは確かで、その最たるものは小泉純一郎元総理が国中を沸かせた「郵政解散」の「劇場型政治」と言うものですね。高市さんは小泉政権の新自由主義的な政策と安倍政権の(中途半端な)右寄り政策+金融緩和政策の両方の要素を併せ持っている政権のようです。一部で言われている核武装は、アメリカが絶対に日本の核武装を認めることはないので心配ないですが、高市政権は結果的には(サッチャーのような)弱者切り捨ての経済政策になっていく可能性がありそうで、強力なチェックが必要だと思います。

 

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数日前までこのような青空が広がっていて、雨季が終わったかと思われたチェンマイです。ところがこのところ雨が降っています。特に夜中に激しく降っています。でも私は熟睡しているので雨音に気づきません。朝になって妻に言われて「あっ、そうなの?」という感じです。犬の散歩のために外に出てみて、庭の草や道路が濡れているので納得します。

 

 

 
 

1週間前にやってきた子猫の由美ちゃんは少しずつ我が家に慣れてきました。妻は、自分に甘えてくれないので相変わらず不満げです。「可愛くないから、もういらない」と何度も言うので、「由美を追い出すんだったら、今度こそ貴女とはお別れだね」と脅すことにしています。すると彼女は「貴男は私を愛しているから、それはできないですよ」と平気でぬかします。

 

ところで、日本から帰って来てから外食の回数が増えました。朝は今まで通り作ってくれるのですが、夕方になると「今日は外で食べましょう」と妻から言い出すことが多くなりました。日本旅行の余韻かもしれません。だいたいは近所の庶民的なタイ食堂で済ませるのですが(安くて美味しい)、昨日は久しぶりに和食の「NARUTO」へ行きました。

 

日本での1週間は、コンビニ飯で済ませた1日とインドカレーをのぞいて、ほとんど毎日和食を堪能しました。刺身、寿司、天ぷら、うな重、和牛しゃぶしゃぶです。でもチェンマイの和食もまずまずです。とくに妻は「NARUTO」の「三色寿司」(189バーツ=今の円安レートでは900円)を好んで食べます。私は久しぶりにアジフライ定食にしました。寿司もいいですが、アジフライもなかなかよくて、この店のメニューの中では私も妻もトップ3に入れています。

 

 

 
三色寿司
肉厚のアジフライ(小鉢2つ、みそ汁とご飯がついて179バーツ=850円)
 

6月にチェンマイにオープンした「スシロー」も混雑がやっと落ち着いてきたようで、妻によると予約なしですぐに入れるようになってきたそうです。そう言えば今回日本で一度だけ昼間に回転寿司屋に入ったことがありました。私は「くら寿司」に入ったことがなかったので、千葉県の船橋駅前で入ろうとして、間違えて「はま寿司」に入ってしまい、食べている途中まで気づかないというヘマをやりました。客が一杯入っていたせいもあります。美味しかったのですが、ネタが小さい気がしました。「タイのスシローの方がいいかもな」と感じました。日本に行って少し舌が肥えたところでスシローに行けば、今度はどう思うかですね。

 

 

チェンマイのスシローにて(7月)

 

 回転寿司が月に一度の贅沢って、かなり淋しい暮らしかもしれません。でも私を必要としている妻と犬猫に囲まれて、時々ゴルフなんかもして、それなりに豊かな気分で暮らせているので結構幸せな老後に向かっているのかもしれませんね。

 

でもこれ以上の円安は勘弁してほしいです。月イチの回転寿司も、月2回程度のゴルフも、そろそろ妻からストップがかかりそうですから(泣)。

 

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背に腹は代えられないとはよく言ったもので、高市政権が発足してからの(対バーツの)円安には参っています。ついに移住してきた12年前の半分になってしまいました。

これはタイにいる年金生活者を直撃します。日本国内で手取りが12年前の半分になってしまったら、この物価高の状況下で金持ちではない普通の人はどう反応するでしょうかね?

 

タイの経済が順調だと言う話はあまり聞いたことがありません。対ドルのレートはひと頃ほどの円安ではなく、今のところは150円台で収まっていて、高市さんのせいとばかりは言えないと思っています。でもマーケットが反応して円の価値が下がっていることは間違いありません。日本の政権が代わって日銀が一層弱腰になり、金利が上がっていくことが当面は考えにくいとマーケットが判断していることが最も大きな要因でしょう。

 

さて、「手取り」がどんどん下がってきている原因のひとつが高市政権にあることは事実なので、文句のひとつも言いたくなります。私は横須賀での米空母上の高市さんの振る舞いそのものはどうでもいいと思っています。女の媚だとして眉を顰める人もいれば、国益のために大切なアメリカ大統領様を目いっぱい歓迎するのは当然だと言う考え方もあるでしょう。しかし私はああいうパフォーマンスは元来好きではありません。それは抜きにして、一点だけ文句を書いておきます。

 

中国の習近平との短い対話を終えた高市さんは、「言いたいことは全部言いました」と直後の記者会見で胸を張って発言しています。高市さんの歯に衣着せぬ態度、物言いを中国のリーダーに対してちゃんと発揮したのであれば、それはとてもいいことです。じゃあ、アメリカのトランプさんに対してはどうでしょうか?懸案事項についてモノを言ったのかどうか、私は甚だ疑問です。それとも、本心から何もトランプさんには文句がないと思っていたのでしょうか?

 

日本が自前で防衛力を強化すること自体は私は反対するものではありません(でも核シェアリングや核武装には反対です)。現在日米安全保障条約によって日本が有事の際にアメリカが本気で助けてくれると思っている日本人はまずいないでしょう。いたらお目出度いですが。日本に米軍基地があるのは日本のためというより、極東におけるアメリカの防波堤として戦後位置付けられて軍を駐留させていることは常識ですね。そんな不均衡な同盟関係はできるだけ早く解消させなければなりません。東京周辺における「横田空域」の問題や、沖縄で時々起きる(今はめったに大きな事件は起きていませんが)米兵の問題は日米地位協定に根っこのある問題なわけで、それを改定する方向にもっていくのは日本人の悲願だったのではないでしょうか。そういう問題について高市さんは全く何も言及しなかったことは明らかです(歴代首相は残念ながらみんなそうですが)。それにノーベル平和賞に推薦するって、度が過ぎるにも程があります。プーチンを全く説得できず、ガザの破壊を続けるイスラエルの目に余る暴走を放置どころか支援してきたトランプですよ。つまり、中国にははっきり物が言える高市さんも、アメリカには何も言えずに単に「イェーィ、イェーィ!!!」と卑屈に踊ることしかできないわけでしょう。なぜなら高市さんの頭のなかでも日本はアメリカの属国だからです。本当に右の政治家だったら、いや右左関係なく、アメリカに対してもはっきりとモノを言いなさいと言うことですよ。それができるのだったら、多少の円安は我慢してでも高市さんを尊敬します。

 

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日本から帰って来た2日後の日曜日、私たちはfacebookで飼い主を探している子猫を見に行きました。車で20分ほどのところにある大きなお屋敷でした。

 

「今日は見に行くだけだからね」と念押ししたにもかかわらず、Yはピンク色の猫用のバスケットを取り出してきて車に載せました。「もしあなたが気に入ったら、連れて帰ることになるかもしれないから」と妻は言うのですが、「あなたが」ではなく、「自分が」でしょう。

 

子猫は生後2か月半でした。「スコッティッシュ」という、れっきとしたブランドの猫で、確かに丸い顔つきがそれを物語っていました。ただし耳の垂れた「スコッティッシュフォールド」ではなく、耳の立った「スコッティッシュストレート」です。生まれたのが今年8月で、妻の誕生日と同じ日付けでした。なにか縁があると感じてもおかしくありません。500バーツ払って速攻で連れて帰りました。日本で血統書付きを買えば15万円以上する猫のようです。(耳の垂れた方は20万円以上が相場らしいです)

 

 

 
 

家に入ると、部屋飼いしているチワワを怖がるそぶりはまったく見せませんでした。子猫は初めて見るリビングの中をあちこち歩きまわってチェックした後、すぐに落ち着いてしまいました。ただ、これまでの子猫のように悪戯をする気配もない代わりに、私たちに甘えてくるわけでもありません。独立独歩という感じで、一人で遊ぶのが好きな性格の子猫でした。それは5日目の今日も変わりません。

 

 

 
妻は人に甘えてくる猫が好きです。だから不満に思っていることは間違いありません。ただ、これまでのところ悪戯をしないので許容しているというのが本当のところでしょう。これまでもらってきた猫は、盗まれたユキを除いて、甘える猫であっても悪戯好きでもあったので、妻の逆鱗に触れて追い出されてしまったのです。さて、今度の子猫の運命や如何に?
 

 

ところで、この子猫の名前は妻が「ユミ(由美)」と名付けました。大好きだったユキの色合いとほぼ同じなので、似たような名前にしたのだと思います。

 

 

 
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12年ぶりの日本訪問記もこれが最後です。

 

東京での2日目の夜は姉の長男夫婦に会いました。長男は京都の大学の経済学部を卒業して超有名な証券会社に勤めた後、現在はコンサルをやっています。奥さんは国家公務員です。彼は秋葉原のホテルまで私たちを迎えに来てくれて、一緒に食事しました。私が選んだのは「和牛のしゃぶしゃぶ」でした。

 

奥さんは仕事の関係で遅れてやってきて、席に着くなり「お腹が空いたわ。まず食べなくっちゃね!」と旺盛な食欲をみせました。そして横の夫に向かって「あなた、どこまで話したの?」と聞きました。私の姉の病状のことではなく、実は私が想像もしていなかった話があったのです。

 

脳出血で倒れて入院している姉が、夫の会社の借金の連帯保証人になっていると言う話でした。つまり、もし姉に万が一のことがあったら、法律上は弟である私も債務を負う可能性があるというのです。話を聞くと金額は半端なものではありませんでした。もし姉よりも私が先に逝けば、もう十数年会っていない日本の私の子供にも類が及ぶかもしれないのだそうです。

 

姉の子供たちは兄弟3人とも将来母親が逝けば相続放棄をするのだそうです。そしてその場合は私に累が及ぶので、私も姉を被相続人とする相続放棄の必要があるというのが話の核心でした。相続って、結構ややこしいのですね。「海外に居ても相続放棄ができるのかな?」と、私がその場でChatGPTに聞いてみました。もちろんできます。

 

私はだいぶ前に父が亡くなったときに相続放棄を経験しています。父は金持ちでもないのに人がいいので、会社をやっている姉の夫の借金の連帯保証人になっていて、私が育った京都の家はそのために根抵当権が設定されているのを父の死の直後に知ったからです。姉も相続放棄をしたはずだと思っていたのですが、しなかったのかもしれません。

 

とにかく万が一の場合は、私の相続放棄の手続きは長男夫婦が責任をもってやるので、戸籍を取る委任状などが将来必要になるよね、というような話をして姉の長男夫婦とは別れました。食事代は年金生活者に配慮したのでしょう、長男が払ってくれました。妻のYは長男の奥さんと英語で楽しそうに話をしていました。借金だの、相続放棄だのと言うややこしい話のことは一切知らないでしょう。

 

さてその翌日東京の狭苦しいホテルを後にして、私たちは近郊に住んでいる友人のマンションに向かいました。彼はタイに時々ゴルフに来る友人で、知り合ったきっかけは私の最初のブログでした。「東京のホテルは高いから、マンションの別の階にゲスト用の部屋があるのでお泊りなさい。温泉もあります」と言われて初めて訪ねました。

 




いやー、こんな広い部屋は前日まで泊まっていたホテルの5~6倍の広さは間違いなくあります。やっぱり部屋が広いと気分がガラリと変わって、私は熟睡することができました。妻のYは、普段は大きいダブルベッドでお互いを密着させながら眠る癖がついているので、部屋が広くてもツインベッドの寝心地はあまりよくなかったようです。贅沢ですね。

 

夜は友人が近くの寿司屋を予約してくれていて、コース料理をご馳走になりました。





温泉旅館の食卓もかなり豪勢でしたが、この日のメニューは前菜、刺身盛り合わせ、海老料理、天ぷら盛り合わせ、松茸の土瓶蒸し、最後は握り寿司にお吸い物など、全部で7品ほどありました。旅館と違ってそれらが一品ずつ時間をおいて出てくるので、ひとつひとつゆっくりと味わえて最高の贅沢な時間でした。普段は口にできない大トロが刺身と握りに入っていたりして、チェンマイでの私たちにはまず味わうことのできない上質の和食に出会うことができました。

 

日本の旅が終わって、妻に感想を聞いてみました。姉の病気のことがあるので手放しで楽しかったとは言いませんでしたが、普段口にすることのない日本食を十分に味わって満足しているのではないかと思います。とくに最後の日の、私よりも年上の友人のもてなしには心底驚いていました。なにしろ部屋代も食事代も負担してくれた上に、翌朝は成田空港までわざわざ車を運転して送ってくれたのです。そして妻は言いました。「もしも宝くじに当たったら、また日本に行きましょうね。でも今度はあちこち宿を移動せず、田舎のようなところで温泉にでも浸かって、ゆっくりと時間を過ごせたらいいですね」・・・

 

チェンマイの私たちの暮らしは実に質素です。でもそこが一番落ち着く場所であることは間違いありません。チェンマイに帰って来て、やっと妻も熟睡することができたようです。

 

ところで今回の7泊8日の日本旅行の総費用はいくらだったでしょうか?出発前のざっとした計算では6~7万バーツ(30数万円)でした。でも移動が多かったせいもあり、物価は予想以上に高かったので交通費も食事代もそれなりにかかりました。私は妻と違って大雑把な性格で、ちゃんとお金の計算をしたことがないので正確にはわかりません。とにかく生活費の2か月分近くが吹き飛んでしまったことでしょう。でも費用のことはさておくとして、単なる観光旅行とは違って12年ぶりに姉の顔を見たり、その長男に会えたり、友人の生活環境に触れたりできてよかったです。

 

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12年ぶりの日本訪問記の続きです。

 

10月21日(火)の朝、網代の温泉旅館を後にして東京へ向かいました。東京では秋葉原のアパホテルに2泊しました。あまりの狭さに妻は仰天しました。私たちは小柄な方なのでまだいいとして、大柄な西洋人だったら一体どうなってしまうんでしょうかね?ただ歯ブラシや髭剃りなどのアメニティのクオリティは比較的よかったです。

 

ホテルのチェックインは15時からだったので、荷物だけフロントに預けて定番の浅草に向かいました。ほかに何か所か妻を連れて行きたいところもあったのですが、二人とも枕が変わって睡眠不足だったのでその元気もなく、東京は結局浅草だけにしました。

 

 
 

 
↑この写真は外国人の観光客が頼みもしないのに親切に撮ってくれました。
 
 

 

浅草では十数年ぶりにぜんざいを味わい、夕方ホテルにチェックインしました。食事は秋葉原駅のヨドバシカメラビルの8階レストラン街を徘徊し、久しぶりにインドカレーを食べました。ホテルに戻る途中に「銀だこ」のお店を発見、8個入(600円余り)を買って二人で分けました。翌日も同じ「銀だこ」を夕食のあとに食べました。タイで食べるたこ焼きとは比べ物にならないくらい美味しかったので妻は満足しました。

 

 

 

ホテルに戻ると、とにかく部屋が狭い。バスタブはあっても、小さすぎて行水のようなもの。ダブルの部屋と言いながら、ほとんどシングルのようなベッド。二人とも安眠は望むべくもありませんでした。アパホテルは13年前に一度だけ利用したことがあるのですが、いつから超狭い部屋になったんでしょうかね?料金は倍くらいになっていますが。

 

愚痴はこれくらいにして、翌日はタイに移住する前に住んでいた千葉県習志野市へ13年ぶりに行ってきました。戸籍謄本を取るためです。というのも、妻が自分の名前の入っている戸籍を見たいと言うからです。以前は海外からでも郵便で戸籍を取り寄せることができたのですが、今は(少なくとも習志野市は)それができなくなりました。去年結婚するときは友人に委任状を郵送し、わざわざ習志野市まで行って取ってきてもらったのです。

 

市役所のあとは、以前大学に勤めていた頃に住んでいた習志野市の谷津に立ち寄りました。メジャーな場所ではありませんが、妻をバラ園と谷津干潟などに案内しました。

 

 

谷津バラ園・・・バラは五分咲きくらいになっていました。
 
 
谷津干潟(パノラマ撮影)
 
 
谷津干潟は渡り鳥の宝庫なのですが、時期外れなのか鳥の姿は殆ど見られませんでした。

 

そのあと問題が起きました。銀行に行って預金を引き出そうとしたときです。

私の場合は紙の通帳がなく、ネット上のeco通帳でした。キャッシュカードとパスポートを出し、暗証番号も届出印も合っていたのですが、住所を証明するものが必要だと言われました。まさかそんなものが必要だとは思ってもいませんでした。タイの免許証を見せました。ところがその裏にある住所は届け出ていた住所と違っていました。つまり銀行に届けてあったのは、8年前に亡くなった妻カタイとその子供たちと住んでいたチェンマイの自分の家の住所でした。一方免許証記載の住所は今住んでいる借家の住所です。窓口の女性は何度も奥に消えて上司に判断を仰いだ末、「申し訳ありませんが、住所が違っているので引き出せません」となりました。

 

仕方なくその日と次の日、そしてタイに帰る日の3回に分けてATMから一日の限度額を引き出しました。求めていた金額には届きません。もし分かっていれば日本に着いた後、もっと早くから何回にも分けてATMを使って引き出していたはずです。日本円はタイ国内で両替する方がレートがいいので現金を持ち帰ろうと思ったのですが、ちょっとした誤算でした。いや、大きな誤算かな?と言っても全然大した金額ではありませんが。

 

さてその日の夜、入院している姉の長男夫婦と12年ぶりに会ったのですが、長くなるので次回にしましょう。

 

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昨夜8日ぶりにチェンマイに帰ってきました。自分の住んでいるところに戻ってきた感想は二人とも共通していて、「よかった。ほっとした。やっとちゃんと眠れそうだ」です。今回の旅行は姉の病気見舞いが主たる目的ではあったのですが、妻ははじめての日本だったので少し彼女の観光も兼ねていました。前回書いた京都の金閣寺以降を振り返ってみます。

 

10月20日(月)、姉の入院している病院に比較的近い京都嵐山のホテルを後にして、新幹線で東に向かいました。2泊お世話になった「ホテルリバーサイド嵐山」の玄関前にて↓

 

 

 東京に行く前に熱海に寄りました。チェンマイではときどき2人で温泉に行くのですが、日本の温泉も体験させたかったからです。最初は熱海駅に近い大きなホテルを予約しました。でも、どうやら熱海も外国人でいっぱいのような気がしたので伊豆半島を少しだけ南に下って、漁港のある網代の小さな和風温泉旅館に変えました。



京都駅の新幹線ホームでは私以外は全員が外国人のように見えました。


 

そして実際、私たちの乗った車両も欧米人の団体さんで埋め尽くされていました。私は大きめの荷物を座席の裏に置くことのできる一番後ろの席を取り、進行方向に向かって左側の席を選びました。しかし残念ながら静岡と熱海の間の空はどんよりと曇っていて、彼女が見たかった富士山は見えませんでした。

 

 

途中いくつもの太陽光発電パネルが設置されているのがやたらと目につきました。

 

名古屋で前の列車がつかえて8分もの遅れが出たのですが、熱海に着いたのは私の予想通りピッタリ定刻でした。さすがJRさん!私の思った通りでその車両の外国人は全員熱海で降りました。そのせいで列車の出発が少し遅れました。ホームのスピーカーから「16号車の団体の方、急いでください!」と何度もアナウンスされましたが、彼らは日本語が分かりませんよ、JRさん。そもそもそんなに急かすのは日本だけですよ!国民性だから仕方ないですけどね・・・

 

網代の海

 

網代観光ホテルにて

 

 網代の旅館では、事前予約して貸し切り露天風呂に入らせていただきました。

 

 

 
 

食事はこんな感じで、いかにも和風旅館ならではでした。人で溢れる大型ホテルのバイキング形式と違って、ゆっくりといただくことができました。料理が次から次へと出てきて、妻は食べきれません。もったいないことに、アワビはパスして、私にくれました。

 

日本は人手不足だと言われていますね。製造業だけではなくホテル旅館や飲食の業界では、今に始まったことではありませんが外国人を雇っているところが非常に多いですね。今回の旅行でもそれが強く印象に残っています。

 

翌日新幹線で東京に入り、秋葉原のホテルにチェックインしました。その新幹線は外国人はほとんど全くと言っていいくらい乗っていませんでした。前日と違う風景だったのは朝早めの時間帯だったせいかもしれません。

 

東京滞在と昨日日本に帰るまでのことは次回に書くことにします。

 

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今朝は妻を世界遺産の金閣寺へ連れて行きました。私の記憶ははっきりしませんが、金閣寺は5歳か6歳の頃に一度だけ行ったような気がします。私の家族はその頃金閣寺の徒歩圏に住んでいました。



朝9時の開門前に着くとすでに長蛇の列ができていました。ここも95%は外国人なのは言うまでもありません。




妻はてっきり金閣の中に入れるものと思っていたようでした。写真を所々で撮りながら順路をゆっくりと進んでいくと、30分ほどで出口に着き、あっという間の金閣寺訪問が終わりました。


朝ご飯抜きでホテルから出てきたのでお腹が空きました。でも食事のできる店はどこも11時までは開きません。お寺の前に鰻の専門店があったので急に食べたくなり、1時間以上もベンチに腰掛けて待って入りました。




天然ウナギは実に十数年ぶりでした。妻は生まれて初めてです。タイでも鰻はありますが、高いというよりも不味いので、まず口にすることはありませんでした。着いた席のすぐそばに水槽があって、大きなウナギが泳いでいました。Yは目を丸くして「まあ可愛い」と言ったので、「これが料理されて出てくるんだよ」と教えたら、「えっ」と驚いて黙ってしまいました。



うな重の上と錦糸卵のセット

いざ口に運んでみると予想外に美味しかったようで、妻は時間をかけてゆっくりと味わっていました。


午後は十数年ぶりに父母と兄が眠っている「京都霊園」という郊外の墓地を訪問しました。そのあと昨日に続いて姉のいる病院を再訪しました。


姉は時々唇を動かして何か言いたそうにしていましたが、読み取ることはできませんでした。妻は私が教えた通り、「早く元気になってね」と日本語で上手に話しかけました。


私は「また来年会いましょうね。言葉が喋れるようになるまでは時間がかかると思うけど、ずっとお姉さんのことを忘れないで早く良くなることを祈っています」と言って病室を出ました。


まだまだ口から食事をとることはできません。看護婦さんに訊いたところ、鼻から牛乳を体に入れているだけだそうです。しばらくはそんな日々が続くのでしょうか。


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昨日から京都に来ています。木曜日の深夜にチェンマイから大阪に向けて飛び立ったフライトは完全に満席でした。


大阪へ向うフライトのチェックインに並ぶ人たち(チェンマイ国際空港)


京都は私が生まれ育った所ですが、12年ですっかり様変わりしていました。皆さんが言うようにオーバーツーリズムで観光名所は外国人だらけ。京都の人口は100万人程なのに、年間5千万人の外国人が押し寄せるそうです。でもピークの時期ではないようで、想像していたほどの混みようではありませんでした。


京都駅にて

市内中心部にある錦市場付近


昨夜は京都市内の中心部で京都らしい「手毬鮨」をいただきました。タイで食べる料理と比べたら文字通りミニチュア感がありありで、ボリュームを求める人には全然物足りないだろうなと思いました。でも見た目が美しいだけでなく、1個ずつに違う味付けがなされていて、私は満足して美味しくいただきました。



今日は市内中心部から郊外の嵐山に宿を移し、午前中渡月橋に近い天龍寺で時間を潰しました。


今朝の渡月橋


小雨まじりだった天龍寺ですが、間違いなく入場者の95%以上は外国人でした。日本人は私だけではなかったでしょうけれども。


天龍寺のそばの竹林の道にて

午後になり、電車で15分くらいの所にある姉が入院している病院へ行きました。もう12年間会っていなかったのと、脳出血のあとで顔相がかなり変化しているので、6人部屋の病室に入ったときは直ぐに姉だと確信できず、看護婦さんに尋ねてから話しかけました。


目は開いていますが、時々瞬きするのと右手の指を微かに動かすだけで、もちろん身体を動かすことも口をきくこともできません。妻のYは「あなたが話しかける言葉を分かってるみたいよ。何か言いたそうにしているわ」と言って、涙ぐんでしまいました。私には殆ど表情に変化がないように見えたのですが、妻には分かったのでしょう。その病院の面会時間は20分と決められているので、妻は「観光はどうでもいいから、明日もまた来ましょうね」と言いました。


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昨日は1年に一度の健康診断を受けました。昨年はコレステロールが僅かに基準値よりも高かったのですが、かなり改善されていました。痛風と関係のある尿酸値は9.0から7.5に下がっていました。ただ相変わらず不整脈が時々出るので要注意です。睡眠不足やアルコールが入ったときに出やすいので気を付けなければなりません。治療を始めて1年半以上が経過していますが、当面は薬が欠かせない状態です。

 

さて、今晩からいよいよ12年ぶりの日本行きです。もう「帰る」というよりも「行く」という感じがピッタリです。さきほど日本からタイに帰る飛行機の座席指定をしてみたのですが、あまりの値段の高さに二人で顔を見合わせました。成田からバンコク、そして乗り継ぎでチェンマイまでのAirasia便ですが、二人分でおよそ1万円弱かかりました(25kgの受託荷物も同じくらい)。いっそのこと座席を予約しないでおこうかと思いましたが、もし混んでいれば二人が別々の席になる可能性もあるので、思い切って1万円を投じました。彼女が「何バーツになるの?」と聞くので、「2000バーツ以上だね」と言ったら仰天していました。いったんキャンセルして、やっぱり思い直して予約しました。貧乏くさ・・・

 

メインの目的は脳内出血で入院中の姉を見舞うことです。昨日、8月末に手術を受けた病院から療養型の病院へ転院しました。この先どうなっていくのかは医者もはっきりしたことは言えないようです。まだ言葉も喋れませんが、私が行って弟だと認識してくれればそれだけでいいのです。何しろ12年ぶりの再会ですから、しっかりと手を握ってきたいと思います。

 

今日は夕方に愛犬のチワワを獣医さんのところに預けます。9時過ぎに予約してあるGrabタクシーが家まで迎えに来てくれる手筈です。そして日をまたぐ深夜便で大阪の関西空港を目指します。フライト時間は5時間20分。さて機内でちゃんと眠れるのかどうか・・・日本にいる1週間余り、ブログはできれば写真を中心に更新したいとは思っています。

 

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