Yの嫉妬深さを身に染みて感じたイベントはたくさんありました。今思うに、初めからそういう女だと分かっていれば、彼女に対して、これまで付き合った女のことなど一切口にすべきではなかったでしょう。迂闊でした。とくにカタイが亡くなったあと結婚したキャディーのMのことと、コーヒーショップの開店を援助したもうひとりのMのことは隠しておけばよかったと思います。

 

「結婚歴を隠すなんてフェアじゃない」という人もいるでしょう。でも私が思うにフェアかどうかよりも、もっと大切なことがあります。相手を思いやることです。正直に話して相手が傷つくなら、言わない方がいいのです。そっとしまっておけばいいのです。世の中にはそういうことがいっぱいあります。嘘を言うのはいけませんが。

 

去年の12月のはじめにYと別れる決心をしました。彼女の嫉妬心に堪えられなくなったこともありますが、お金のことが直接のキッカケでした。彼女が私に会いたくて、嘘をついて仕事をサボったので首になっていました。それで10月から彼女の生活を援助し始めました。毎月2回に分けて援助することを提案したところ、彼女は激しく抵抗しました。「私を援助するのが嫌になったんでしょ!」と。

 

そして12月2日に起こったのが「カーチェイス事件」です。Yに会うのを避けるために、その日、私は家から出ました。すると予想した通り、彼女はこっそりやってきました。二人の車が道でバッタリ出会ってしまいました。私は逃げました。彼女はUターンして執拗に追いかけてきました。カーチェイスになりました。1時間半の危険なカーチェイスの末、彼女は諦めて自分の家に帰って行きました。そして二人は、もう二度と会うことはない筈でした。

 

私の心は前妻のMとの復縁に傾きかけていました。でも、Yへの想いが消えてはいなかったのです。毎日ロン・プ・ドゥーの写真に向かってYの幸せを祈りました。そうすると、自分の心の奥底から「自分のことを忘れなさい」という不思議な声が聞こえてきました。それがロン・プ・ドゥーからのメッセージだと感じたのです。

 

純粋に人の幸せを祈ることは、実は容易なことではないと思います。何らかの打算や思惑が働くことがあります。とくに恋人になった相手と別れるときは「相手に問題があったからだ」と自分に言い聞かせることが多いのではないでしょうか?私はいつもそうでした。そしてYに対してもそうでした。

 

「自分のことを忘れなさい」という言葉は、「自分にとっていいか悪いかは一旦棚上げにして、度外視して、相手のことを考えてみなさい」という意味かもしれません。それは本当の愛情がなければ、なかなかできることではありません。キリスト教的に言えば“アガペーの愛”ということです。“無私の愛”、つまり“打算抜きの愛”です。

 

もちろん私がそんな境地に達したというつもりはありません。でも毎日彼女の幸せを祈っていると無性に会いたくなってきたのです。別の女と会っても心は満たされませんでした。そして自分の心がまだ定まっていないにもかかわらず、年末にYと会いました。(続く)

 

 

昨日の夕食はまたまたサケのハラス。Yの好物です。

 

 

今朝は定番の魚のお粥(カオトム・プラー)でした。卵が2個入っています。

 

 

 

昨日の歩数は・・・9999歩でした。タイでは9が縁起の良い数字です。これを見た時すぐ写真に撮りました。厳密には撮影の後、室内をすこし歩いたんですけどね・・・

 

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