今朝、1か月前に日本の病院で亡くなったHさんの葬儀が行われました。場所はタイ人の奥様の自宅から近いお寺でした。
Hさんは公務員でしたが、ゴルフが三度の飯と同じくらいに大好きで、サラリーマンを辞めてニュージーランドに1年間ゴルフ留学した後、日本のティーチングプロ試験に見事合格し、少年少女を中心にたくさんの若者の指導をされました。教え子の中に、いま女子プロの世界で活躍している選手が何人かいます。
遺品のゴルフクラブやゴルフシューズ
Hさんは10年近く前にチェンマイに移住してからは、こちらに暮らす日本人相手にゴルフを教えていました。私の知り合いが日本から来た時などは、声を掛ければ気軽に一緒にプレーしてくれました。人柄がいいのでゴルフ好きの多くの日本人に好かれていました。
移住して間もなく前立腺癌が見つかり、日本の病院で手術を受けたり、放射線治療を受けたりして療養しながら、自分のゴルフもレッスンも、変わらずに続けていました。ただ癌が見つかってからは、外国で一人暮らしをする不安もあって、キャディーをしている初婚のタイ人女性と6年前に再婚しました。悪性の前立腺癌だったので予後はあまりよくないと本人も悟っていましたが、まさか急激に悪化するとは思ってもみませんでした。突然の訃報に奥様の悲しみはいかばかりだったかと思います。
Hさんとの一番の思い出は、彼がまだタイに移住する前のことです。下見でチェンマイに来た折に、当時私が会員になっていたメジョー・ゴルフクラブというところで初めて一緒にプレーしました。最初のホールは、プロとして私にいい所を見せようと思ったのかどうかはわかりませんが、彼はダブルボギーになってしまいました。ところがその次のショートホールで打った彼の球はピンに30センチ。あわやホールインワンでした。「流石プロだな」と感心したのと、私の知らない間に彼は下手な私のスイングをスマホで動画撮影していて、あとで見せてアドバイスしてくれました。それ以来、一緒にコースに出ると必ず一言二言アドバイスをくれました。決して多くを語らず、でも改善のヒントを的確に指摘してくれる人でした。
Hさんと一緒にプレーしたのは、今年の2月が最後でした。私のブログがキッカケで知り合いになった人はゴルファーを中心に何人かいますが、また一人鬼籍に入ってしまいました。何とも淋しい思いです。70代前半は早すぎます。せめて85歳くらいまでは元気でいて、世界の変りようを見届けないと人生勿体ないと思います。