天野博物館の阪根さんを交えたお話会。
毎回、博識豊かに阪根さんが、
色々お話をしてくださるのだけれど、
前回のお話では前々回のイースター島の
モアイ像の話の続きで、
渋谷にある「モヤイ像」についての
話になりました。
ちなみに、こんな感じ。
「未来に生きる。」と言う意味だそう。
では、モヤイ像はと言うと、
「催合い、最合(もやう)」と言う言葉から
「助け合う、共同で使用する。」と言う意味で
東京都移管100年を記念して
新島から渋谷区へ寄贈されました。
その話から「催合い(もやい)」の話になったのですが、
私、地元が愛知なんですが、
そう言えば良く「もやいっこする」とか
言ってたなって思って、
お話会の後に改めて調べて見ました。
この催合いの語源は「舫う(もやう)」
船を繋ぎ止める「舫(もや)い繋(かが)り」
互いに繋ぎ止めた船と言う意味の
「舫(もや)い船(ぶね)」と言う言葉があり、
船を岸壁や、船に繋ぐ綱の事を「舫い綱」と言った。
例えば、深い海に船を止める場合、
大きい船だけが錨を降ろして
小さな船は、綱で大きな船に繋ぎ止める。
これを「舫う(もやう)」と言うそうです。
これが転じて、「人と人が共同して仕事をしたり、
物を所有したり、共同分配する事」と言う意味で
「もやう」が、使われる様になったそうです。
主に、共同体の人々や集落の者たちで一緒に
物事を行う、または共同体としての財産を
指しています。
「催合い(もやい)」と同じ様な言葉で
「結(ゆい)」が、あります。
ゆいは、田植えや稲刈りと言った1人では大変な事を
共同体の人々や、集落などとは関係無く
約束に基づいて一緒に物事を行う、
その都度見返りを求めない。
労力には、労力で返す。
沖縄だと「ユイマール」と言って
ユイは「結」マールは「回る」
相互を扶助する行為を、順番にする風習が
あるそうです。
相互扶助団体としては、
「無尽」や「頼母子講」がありますが、
元々の「講(こう)」は、
寺院内で仏典を講読、研究をする僧の集団を
指していたのですが、後に仏典の講読を中心とする
仏事(講会)を指すように。
更に平安時代になると、貴族を中心とした
仏典研究から離れた信仰会合を「講」とした。
中世に入ると、「講」が民間にも浸透して行き、
その過程で信仰会合ではなく、信仰集団の事を
「講」と呼ぶようになりました。
その集団の中には、山岳信仰の修験者が、
霊山への登山を勧めて、全国を回る参拝講が
沢山出来ました。
それに合わせて各地の神社や寺院に参拝する
参拝講も作られました。
講のみんなで参拝に行く「総参り」も
ありましたが、多くは講の中から数人を選び
代表して参拝する「代参講」が、
行われました。
その時に、みんなでお金を出し合って、
そのお金をくじや入札によって
構成員に融通させたのが転じて
「無尽」や「頼母子講」に転用されました。
沖縄の「模合い(もあい)」も
定期的に何人かの人が集まって、
一定額を出し合って、その集めたお金を
ひとりづつ順番に受け取って行く。
と言う風習が18世期の琉球時代からあります。
クラウドファンドも、似た様なものかな。
きっと、もっと調べれば、全国的に同じ様な
風習はあると思います。
結構、長く書きましたが、
なぜ、これを書いたかと言うと、
きっとこれからの時代は、
こう言う世界がまた来るんじゃないかなって。
こう言う行為は、お互いの信頼関係の上で
成り立つ物だけれど、
「お互い様」と言う精神のもと
ある人は譲り、無い人は譲って貰う。
ひとりで全部頑張るのでは無く、
見返りを期待するのでも無く、
できる事を、お互いが助け合い
分かち合って行く。
それは、物質的な事に限らず、
知識でも、才能でも何でも良いと思う。
お互いが繋がり、結ばれて、
宇宙の星々の様に、
体内の細胞の様に、
誰ひとり、何一つとして
不要な物は無い事を、
全てが一つであり、
その一つ一つが全体を作っている事に
気がついて行く時なんだと思います。
最後まで読んでくださって、
ありがとうございました😊
感謝です。🙏🙏🙏💕💕💕
