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東京タワー完成の日(12月23日)
1958年 ( 昭和33年 ) のこの日、東京・芝公園に「 東京タワー 」が完成 ( 竣工 ) し、完工式が行われた。この日は 「 東京タワーの日 」 ともされる。
高さ333m ( 海抜高351m ) でフランス・パリのエッフェル塔の312mより21m高く、当時世界一の高さの建造物となった。
東京タワーの正式名称は 「 日本電波塔 」 で、東京のシンボル・観光名所となっている。自立式鉄塔としては、2012年 ( 平成24年 ) 2月29日に完成した東京スカイツリーに抜かれるまで日本一の高さであった。
東京タワー
設計は 「 塔博士 」 とも称される日本の塔設計の第一人者である構造家・内藤多仲 ( ないとう たちゅう、1886~1970年 ) らによって行われた。総工費 約30億円、1年半と延べ 21万9335人の人員を要して完成した。
地上 125m ( 海抜 約 150m ) と223. 55m ( 海抜 約 250m ) に展望台を有したトラス構造の電波塔である。昼間障害標識として、頂点より黄赤色 ( インターナショナルオレンジ ) と白色を交互に配した塗装となっている。
合計 約 4000トンの鋼材が使用されたが、その中でも特別展望台から上の部分に使用されている鉄材の原料には朝鮮戦争後にスクラップされたアメリカ軍の戦車が使われている。
これは当時の日本では良質の鋼材に恵まれず、またアメリカにとっても旧式戦車を売却して新型戦車を製造した方がメリットが大きかったためである。
リンク:東京タワー、Wikipedia
道路をまたぐ東京タワーの基部 ( 1958年2月 )
建設途中の東京タワー ( jp.pinterest.com )
東京タワー ( 1958年 )
12月23日「 東京タワー完工の日 」
東京・芝公園に 「 東京タワー 」 が完成 ( 竣工 )し、完工式が行われたのが1958年(昭和33年)の12月23日。東京タワーは高さ333m(海抜高351m)で、フランス・パリのエッフェル塔の312mより21m高く、当時、世界一の高さの建造物となりました。
実は東京タワーの名称を決める際、一般からの公募が行われました。応募総数は8万通を超え、その中で最も多くの票を得たのは 「 昭和塔 」 だったそうです。
「 東京タワー 」 はなんと13位にランクイン。しかし、選考スタッフの推薦により 「 東京タワー 」 という名前が採用されることとなったと言われています。
リンク:時間〈とき〉ラボ
基礎工事の終わった東京タワー。 順調に工事が進む東京タワー
下部は2118平方メートルの広さ 1958年5月 ( 毎日新聞 )
1957年12月 ( 毎日新聞 )
東京・港区芝に建設中の東京タワー 1958年7月 ( 毎日新聞 )
安全帯はもちろん、落下防止の手すりやネットもありません。
ここで働いていた鳶職人は、”鳶の世界に黒崎あり”とうたわれた
黒崎建設の精鋭部隊だったそうです。
工事の安全性の高さ
非常に難易度の高い工事であったにも関わらず、死亡事故は1件だけでした。もちろん0であるべきなのですが、精鋭の鳶職人たちが集められたとはいえ、当時の安全意識の低さや安全設備のなさを加味すると信じられない数字であることも事実です。( 1958年当時の建設業における年間死亡者数は 1846人。現在は年間300人前後。)
東京・港区芝の東京タワー建設工事 1958年12月 ( 毎日新聞 )
15ヶ月という突貫納期の現場で、今でいうPM ( 建築では施工管理 )を
務めたのが31歳の竹山正明、リードエンジニア ( 鳶の若頭 ) を務めた
のが25歳の桐生五郎でした。
常時400人以上の人が朝の6時から夜の6時までフル稼働し、携わった人数は述べ22万人というそれまでに類をみない大規模のプロジェクトは、この2人の若者が主体となって成し遂げられたのです。
耐久性とデザイン性の高さ
東京タワーが完成して1年後に伊勢湾台風が上陸しましたが、風速52メートルの風にもびくともしなかったことに当時の人々は驚いたそうです。
東京タワーのデザインも当初はエッフェル塔のパクリだ!と叩かれたそうですが、スカイツリーにはないセクシーさがあるな~と感じます。
2012年に建てられたスカイツリーとは何もかもが違うわけですね。当時の職人たちの技術への自信と豊富な知識、そして何より勇気なしには進まなかったプロジェクトだったといえるでしょう。
リンク:no+e
下部のできた東京タワーを三田通りから見る 1958年1月 ( 毎日新聞 )
鉄骨の組み立てが進む東京タワー 1958年4月 ( 毎日新聞 )
東京タワー地上130メートルの仕事場で働く人
1958年6月 ( 毎日新聞 )
殆ど完成した東京タワーの下部建物 1958年8月 ( 毎日新聞 )
東京タワー ( とうきょうタワー ) は、東京都港区芝公園にある総合電波塔。正式名称は日本電波塔。
創設者は前田久吉で、「 日本の耐震建築の父 」 とも称される内藤多仲らが設計。
東京タワーは、テレビ放送各局の電波塔を集約するため、昭和33年
に建設された。高さ333メートルで、パリのエッフェル塔 ( 約320メ
ートル ) をしのぎ、42年にモスクワのオスタンキノタワー ( 540メー
トル ) が建設されるまで、自立式鉄塔としては世界一高かった。
( 1971年10月撮影 )【 時事通信社 】
高さは333メートル ( 正式には332. 6m ) と広報されており、海抜では351メートル。塔脚の中心を基準とした塔脚の間隔は88. 0メートル。総工費 約30億円、1年半 ( 197万4,015時間 / 543日間 ) と延べ21万9,3
35人の人員を要して完成しました。高さ 270m の部分に、工事を常に最上部で仕切った黒崎建設の黒崎三朗会長ら中心的な96人の名前が銅板で飾られています。地上125メートル ( 海抜 約 150メートル ) と 223. 55メートル ( 海抜 約 250メートル ) に展望台を有するトラス構造の電波塔です。
2021年の東京タワー ( Carl Court /Getty Images )
大展望台 ( メインデッキ ) の上端より上は、昼間障害標識として黄赤 ( インターナショナルオレンジ ) と白を等間隔に配した縞模様に塗装されています。当初は11等分に塗り分けられていましたが、1986年に7等分に変更されました。大展望台の上端より下は、当初は黄赤一色でしたが、1998年12月に大展望台の側面が白に変更されました。
東京タワーの塗り分けの新旧比較写真。左が1971年 ( 時事 )、
右が2021年 ( Carl Court/Getty Images )
東京タワーの比較写真。左が1971年、右が2021年
地上250メートルにある特別展望台 ( 現名称:トップデッキ )。その上に紅白に塗り分けられた巨大なリング状の部分が見えます。
これは2002年に設置された地上デジタル放送用のアンテナです。
BuZZ Feed より
東京タワーの大展望台の新旧比較写真。左が1971年(時事)、
右が2021年(Carl Court / Getty Images)
テレビおよび FMラジオのアンテナとして放送電波を送出、また東日本旅客鉄道 ( JR東日本 ) の防護無線用アンテナとして緊急信号を発信するほか、東京都環境局の各種測定器なども設置されています。
完成当初は日本一高い建造物でしたが、高さが日本一だったのは196
8年6月26日に小笠原諸島が日本に返還され南鳥島ロランタワーと硫黄島ロランタワーに抜かれるまでの 約9年半と、対馬 ( 長崎県 ) のオメガタワーが解体されてから東京スカイツリーに抜かれるまでの約11年間でした。自立式鉄塔に限れば、東京スカイツリーに抜かれるまでの約51年半は日本一の高さでした。2020年現在は、東京スカイツリーに次ぐ日本で2番目に高い建造物です。なお、重量については 約4,000トンとされています。
Wikipedia より編集
開業日の1958年12月23日に撮影された東京タワー ( 東京新聞 )
東京タワーと暮れゆく街並み ( GANREF )


































































































