★アメブロに参加するようになった頃に、豆ちゃんの名の由来について書いていた日記の再掲です。


                     短気で荒っぽい6歳!


鳥山明先生の読み切りで「少年ジャンプ」に掲載


された《金時 豆次郎》です。


豆ちゃんの名前の由来です。


そのジャンプの金時 豆次郎が可愛くて、面白くて虜に


なり、ページを全て切り取って大事に大事に本棚に


立てかけて長い間保存していた。


私の本ではないが、読み終わった本は役目を終わって


たので✄✄✄でジョギジョギ!


長い事大事にしてたのに、いつの間にか行方不明。


分かった時は、再度手に入れる方法が分からなくて


ショックだった。。


私は漫画より小説、文庫本を片手に、通学鞄に教科書を


忘れても必ず入れて持ち歩くひたすら読み耽る人でした。


父が本が好きだったので、父の書棚の難しい本や


歴史小説も読んでいたが面白いのもあったし、


そうでないのも適当にスルーしたが、


学生時代は教科書の下に隠して読んだ。


あの頃は月刊で少女?小説みたいなのが刊行されていて


教科書より勉強になり、分からない漢字も言葉も辞書で


調べるし興味のあるものは実に素直に脳内にインプット


されたから。


♡投稿した後調べて見たらこの本「小説ジュニア」らしいと分かる。


そんなこんなで、この漫画とは凄い出会いだったと


思ってる。今頃ブログネタに出来るほどだから。



金時 豆次郎は少年ジャンプで一回きりの読み切りで


掲載されたらしい。


鳥山先生はどうも『豆次郎』と言う名前がお気に入り


なのか『豆次郎』こちらは1回だけでは無いらしい。


この豆次郎のキャラと物語の筋が気に入っていて、


同じ、展開にはしたくなくて、上に金時を乗せて


『金時 豆次郎』が出来たとか。


 


6歳の男の子が  プロレスラーのお父さんに 大好きな


アイスクリームを食べられてしまい  怒り爆発で


グレてやると思うのだが グレるとはどう言う事か


友達に  どうやったらグレる(不良)になれるのかを


聞きに行くのです。


 

この豆次郎くんのダボダボの半ズボン(腰が細い)に


腰のベルトが長すぎてダランと下に向くベルトの先が


可愛いい、上に載せた表紙漫画のベルトは短めで


本編ではもっと長かったと覚えてる。


髪の毛といい アイスクリームを2段式のアメリカ風の


冷蔵庫から取り出すのに背が足りなくて、丸椅子に乗って


取ろうとする仕草、無いと分かった時の  シャー ฅ(`ꈊ´ฅ) 


もう、とっくの昔に無くしたと言うのに、鮮明に蘇る。


絵と、内容合っていると思う。たぶん。。


それくらい金時 豆次郎が気に入っていた。



いつか、何か名前をつける機会があれば豆次郎を付ける


のだと決めていたのだ。



何十年の時を越えて、豆次郎が家族になった。


友達に言われた。


アメリカンショートヘアの見るからに洋風の風貌の子が


豆次郎で、野良ちゃんで和猫のお兄ちゃん猫がレオ君


とは何でやねんと笑われた。


でも、レオ君は真っ白で瞳がブルーだから外人やと言った


覚えがある。


家猫(ウチネコ)で外猫(ガイネコ)である。


在りし日のレオ君と、豆次郎


               
ゴロゴロしていて棚から落っこちて平静を装っているのか?豆ちゃん

鳥山明先生から勝手に頂いた名前
『金時 豆次郎』の豆次郎

家の子で、
一番、先生にお世話になった子。
病院の先生は、ポーカーフェイスと言うかあまりお顔の
表情を大きく崩さない。
だけど、本当に優しさ溢れる素敵な先生で、動物にも
家族にも限りなく優しい先生なのです。

先生の事も、何度もブログに書かせて頂きました。

これは私の勝手な見解ですが、先生のお顔が
「開運!なんでも鑑定団」の 田中 大さんよく似てられる。
田中 大さんも、あまり表情を崩されなくて、たまにボソッと面白い事言わはります。
なので、豆ちゃんの先生も、田中 大さんも大ファンです。

                                   鳥山明先生の若い頃

田中 大さん
♡ とっても素敵です!♡

豆次郎の思い出に、素敵な3人の先生と重なると
思えるのが嬉しい。

豆次郎は、鳥山先生より先に、お兄ちゃんの所へ旅立ったのだけれど、お兄ちゃんのレオ君と一緒に先生をお迎えして、もしかしたら先生にスリスリしている、イヤしてくれてはいないだろうか。。
そんな気持ちを込め、先生の御冥福を お祈りしました。


アメブロに参加したのは一番の動機は豆ちゃんでした。

限りなく愛した愛おしい子の残りの火が消えそうな時

でした。

ふと、心の丈を何処かに打ち明けたくて、ブログの

再開を20年ぶりに戻ってきた。

その時のブログは未だそのまま、閲覧は出来るし

サイトの名称も何度か変更されてはいるが存在する。

でも、存在はしていてもあの頃の居場所はない。

足跡だけがサイトの厚意で保存されているだけ。

嬉しいのはあの時のブログ仲間、下は高校受験を控えた

中学生、同じく受験を控えた高校生、海外駐在員

韓国の方に嫁いだ女性、小説を書く女性、

年配の書道の先生、他にも数え切れないほど。

システムの違いは「いいね」でなくて、コメントが残され

た事。

どの方も素敵でらして、頂いたコメントが全てが残ってる。

思い出の宝箱です。

不安な心の中を吐露したくアメブロの扉を開けた

豆ちゃんの事。絶対良くなるって信じてたのに。。


そんな中でお訪ねした「までいさん」のブログで、

同じ様に歩くのが困難な愛猫のお世話の様子。

同じ状況に心が震えました。

本当に事細かく、気配りされた看護の様子を記されて

ました。出会えた事が嬉しかった。

までいさんの事も再掲です。


豆ちゃんは

最後の挨拶をきちんとしてくれて、最後の息を引き取る

その間際まで、見つめる私を見つめ返し私の胸に抱かれて

静かに旅立ちました。

自分が生きている限り残される寂しさは辛さは

どうしょうもない。。

見つめ返してる豆ちゃん

『母ちゃん、母ちゃん、母ちゃん』って言ってたのかな?

母が他界し、一昨年は豆ちゃんまで、

大好きなお兄ちゃんのレオ君の下へと旅立った。

なのにココちゃんまで。。

それでも今、もっともっと過酷な場に運命に抗えない

沢山の方が怒りや苦しみや悲しみを抱えて、

それでも生きていかねばと頑張ってられる。

自分の寂しさばかりを連ねるのは、申し訳無さ過ぎるが

許して欲しい。