能登地方はこう言われている。
  「能登はやさしや土までも」。
 「土」は地面の土でもあるが、人間の根幹との意味だろう。裏も表も優しいということだ。つまり、他人への気遣いができて、人情味豊かな人が多いのが能登である。
                                                            郷土史研究会より

能登

元旦の夜明け前、早朝の長風呂から出て湯冷めせぬよう半纏を羽織った。

早朝の長風呂にゆったりと、何故かもう随分昔から元旦のルーチンになっている。
私はルーティンではなくてルーチンだが、この言い回しがプーチンと被ってやけに気に障る
今年も変わらぬ日常をと願いながら、年明けのブログへ掲載すべく青墨をゆっくりと摺り龍の絵を描き新年のメッセージを龍の絵に添えて書いていたその時だった。。

地震速報が、ながらTVの画面に、何度も何度も警報を告げ点滅が続く。
間を置く事なく揺れが来た。
ルイ君はじっと大きな目を見開き、微動だにしないで何か異変を感じている目。
その様子を見ていてココちゃん、ココちゃんは、そればかり思った。気が強くても女の子きっと怖がっているはず。。

石川県能登地方の被災地のニュースで、震源が能登地方と出ているのに、大阪にまで揺れが来た状況にただ事ではないと思うのと同時に、神戸の震災が頭をよぎり、TVの地震情報に釘付けになった。

御陣乗太鼓

阪神・淡路大震災は、1995年1月17日のやはり明け方近く兵庫県南部地震により発生した
未曽有の大災害を思い出して血の気が引くように感じた。

あの日、熟睡していたろう時間枕に付けた耳に『ゴォ〜』と地底からの唸り声の様な、ただならぬ未だかって聞いた事のない異様な音にびっくりしてか目が覚めた。
間を置かず激しい揺れに襲われた。
横揺れではなく、縦に動いた気がした。
家族皆が2階キッチンに降りてきた。
神棚の花器と、食器棚から茶器が2個転がり落ちて欠けただけであったが、台所の壁面のタイルは天井のすぐ下部分が横に何枚も亀裂が入り外壁も大きく亀裂が入っていたのだった。


あの日もTVでは地震情報が流れ続けていた。
私の心は、どうか少しでも被害が少ない事を只々祈るばかり。。

翌日からニュースで流され続ける。
大切な家族、最愛の人、友人、知人どれだけの耐え難い苦しみを背負われた事だろうと、突然の別れ昨日まで、さっきまでとお話される男性にかけるべき言葉が見つからない。
被災者の方の胸の内の慟哭。
伺う度に、夢であればどれだけ良いだろうかと胸が締め付けられる。

若ければボランティアに参加して、少しでも何か手助けがとか思うものの今の私はきっと邪魔にしかならない。
義援金は出せてもしれた額。
それならと、チクチク趣味で縫っていた小物をどんどん作り販売してプラスしていけば息の長い応援がと頑張って制作始めた。

2024年
年明けのご挨拶も、自分の気持ちで遠慮いたしました。
人の思いや考えはそれぞれあって然り。
私は私、被災者の方の心に黙って寄り添う事くらいと感じての事。
明日は我が身と、色んな事で身につまされる。
降りかかる天災は人も場所も選ばない。。


随分前の何気ない会話の中より
能登は一度も訪れた事はない。
夕暮れで灰色の空の下、御陣乗太鼓に鬼の面に昔から伝わる衣装そして、松明か漁火かの灯りの中、岩の切り立つ波打ち際で激しく打たれる撥の音が何とも旅心を誘惑した。

そしてそんな話をしている中で、同僚の年配の男性に能登の旅の思い出話を聞いた。
古民家の宿の囲炉裏を囲み、供された郷土料理はイシル鍋。
秋田地方のキリタンポも、竹串に刺した魚を灰床に刺し赤く燃える炭の横で焼かれる匂いもご馳走だったと。

そして、その後に焙じ茶の入った湯呑みの当てには、何とも贅沢な語りべの語る昔話は経験した事のない唯一無二の思い出だと。
こんな素晴らしい地の一日も早い復興を深く願わずにはいられない。



先にお話した様に、本当にお掛けする言葉も、慰みの言葉も胸に詰まったまま出てまいりません。

どうかどうか、この悲しみの中を乗り越えてと祈るばかりです。ごめんなさい。

頑張ってなど掛けられる言葉の虚しさも胸にあります。

それでも『陽はまた昇る』を信じて気丈に、何よりもお身体ご自愛下さいませ。


今年は閏年ですね。

地球時刻のズレを補い、修正する為に増やす一日と先生に教わりました。

心も体も地球も、うるうでは無く潤う年になって欲しい。


戦争も狂った独裁者のために失う命も残される家族も、一日も早く平穏な日々が訪れますように。

祈りたいけどこの地球、神様は何処でどうご覧になっていられるのでしょう。

呆れてお隠れになられているのか。。