豆ちゃんこの写真撮ってから3年位しか経ってないのにな…


この記事は2006年に10年近く綴っていたブログに載せたものでそのままコピーしました。 (他のサイトにて)

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 「猫の恩返し」は数年前、スタジオジブリのアニメ映画で公開されました。 
その内容は観ていない為わかりませんが、今回のブログは
この題名そのままの内容のお話を伺ったので記してみる事にしました。
 
 このお話はUsagiの所へ通って下さっている、お歳の方は80歳を数年こえた方なのですが、とてもお元気で先日などパスポートの更新をされたとのお話。
若い頃は仕事で何か国も行き来するお仕事されていた。
 
 一昨年奥さまに先立たれ、お一人で暮らしてられますが、
奥さまは生前脳梗塞で倒れられ手足に麻痺が生じ車椅子の生活を余技なくされていました。
このお二人いつも一緒で車椅子で押して押されて仲良くお出かけの姿時折拝見したものでした。
 
 この奥さまは生前とても猫を可愛がっておいででしたが、亡くなられた日の通夜の晩の出来事です。

 奥さまの柩の置かれている台の下へ、この愛猫がじっと蹲り動かないのです。
秀さん(仮名)は何度も向こうへお行きと追うのですが、何度移しても舞い戻り、もう二度と逢えない事が分かっているかの様に自分を可愛がってくれたご主人さまの夜伽をし、傍を離れず最後の夜を一緒に過ごしたのだそうです。
 
 いつもは絶対自分の塒で寝るのにと、その事を振り返って話されました。
 
 この愛猫はお二人の間で随分長く可愛がってられたのですが猫年齢では、かなりの歳に達してもう衰弱していました。

そして奥さまが亡くなられた後、秀さんと、この老猫の
二人暮らしになってしまいました。
 
 秀さんは、この老猫は中々贅沢で、
 「自分は普通の赤身の刺身なのにあいつはトロしか食べよらん!贅沢なやっちゃ餌にしても同じものを続けて出すと
無視しよる」
 
 手がかかると迷惑そうに言いながらも、その様子をニコニコしながら話される秀夫さんに、愛猫のお話伺うのがとても好きでした。
 
 しかしその愛猫がいよいよ動かなくなり食欲も無くなって、獣医に診せたところ、血液検査やら点滴など治療費に3万円かかったと話されたのですが、その獣医さんに
 「先生、何処が悪いんですか?」
 
「あぁ、これは延命処置だと思って下さい!」
 
「え~!先生そんな可哀想な、こんな痛い目して何回も注射されて可哀想な、そんな助からんのなら、静かにこのままにしてやって逝かせてやりますわ···」
 
 その日を最後に病院へは連れていかず、静かに寝ているだけで殆ど食べなくなった愛猫を見守る日が過ぎて行きます。
 
 ところが動けないほど衰弱していたこの愛猫が、ある晩のこと急に動き出し、秀夫さんの傍へトコトコトコと寄ってきたかと思うと、あの少し前に話題になったレッサーパンダのように後ろ足で立ち上がり秀さんに向かって、元気よく
「ニャ~ォ!!」と鳴いたのだそうで秀さんは元気になったのだと喜んで、
 「そうかそうか元気になったんか、よかったなぁ” お前」
 って撫でてやると、そのまま猫は自分の寝床に帰り、また蹲ってまぁ~るくなって静かに寝てしまうのでした。
 
 翌日の朝早く起きた秀さんは、真っ先に元気になった愛猫の傍へいくと、昨夜眠ったままの姿で息絶えていました。
そのお話をしながら秀さんは笑顔を作りながら話されているのですが、顔は今にも泣き出しそうに赤い顔をして必死に泣きたい気持ちを抑え下を向いて一点を見つめられていた。
お気の毒でとても目を合わせられませんでした。
奥さまが亡くなられて三ヶ月位後の出来事でした。
 
その後のお話。
この秀さんが日ごろ通ってられるスイミングクラブで、友人とお話中の事。
 「猫が死んでもうたんや、手間がかかって仕方なかったけど、おらんようになったらやっぱり寂しいもんやわ」と。
 
その時、この友人の口から
 「猫が息引きとる前に、あんたに挨拶にけぇへんかったか?」
 
「挨拶?」
 
「そう言うたら前の晩、元気よぉわしの傍へきて一声『にゃお~!』って鳴きよったんやで」
 
「それや、それ!それが猫が最後にするお礼の挨拶で、猫の恩返しや」
「それはな、よく可愛がったと言う証や、よかったなぁ」

 Usagiはその時の秀さんの嬉しそうな、そして泣き出しそうなお顔が目に浮かぶようでした。

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豆ちゃんも旅立つほんの少し前に『ニャオ~』って
抱いている私の腕をもっと撫でてと言うように、首の座らない赤ん坊のようなグニャグニャの頭を擦り付けて、力無い前足で私の腕を何度か引っ掻いた。

その少し後で、もう一度私の腕を搔いたと思うとその後ゆっくりと優しい顔で二度と目覚めぬ眠りについた。
  

        いつかの花器の物語   
アネモネ
淡いグリーンの彈けた様な
小さなお花の名前は忘れてしまったが、
あの頃、天神橋筋5丁目の細い路地から入った
裏側に素敵なお花さんがあって、
ちょっぴり変わったお花も
置いてあり好きな
お花屋さん
でした。


色んな
食品の問屋さん街でした。
今もあるのかな?行かなくなって久しい。
はお花屋さんで求めたものでなく
ご近所さんのお裾分け。食べんと
花器の賑やかしに入れて
どうすんの。。
勿論
沢山頂いたので
アク抜きから始めて
美味しく頂き
ました。