ルイ君の寝相
何の夢見てるのやろうか? 覗いてみたいけど。。

男友達のこと。

まだ若かりし学生の頃、赤の他人なのに二人はソックリだ双子みたいだと、皆んなに言われてより仲良くなった女友達がいて、その友達の彼の友人が『男友達』

少し話がややこしいが、その頃流行りのスケート場に連れ立って来ていた時に何気なく知り合いになった。

彫りの深い若い頃の布施明さんに似ていて、一緒に歩いているとお店の若い女店員さんが、彼を見ながら「布施明に似てる〜」と聞こえよがしに噂した。
梅田の丸ビルの並びのビル街での事。

その彼と、偶然にも私が勤める会社の歩いていける距離に彼が就職していた事知った。大阪の扇町界隈
その事が分かってから、彼はお昼ごはんに誘ってくれたり退社後に神戸の三ノ宮(私の買い物)もアッシー君で車で迎えに来てくれたり良く付き合ってくれた。
アッシー君って懐かしい響きだゎ。
車は会社ので。。

でも、彼氏でもなくお互いにお付き合いする人がいた。
ただ会っていると楽しくお話して世間話も屈託なく出来た。然し二人とも遊び人ではない。

その後、私は結婚の為会社を退職し、彼も何年も付き合っていた女性と結婚した。
お互いに結婚祝いを贈り合う本当に男友達の形容がピッタリする仲でした。

その後は年賀状だけのやり取りで、彼の声を聞く事もなく季節はゆったりと流れて行った。

そして、あの阪神·淡路大震災。
ニュースで尼崎も被害が出たと知り、賀状で尼崎に居を構えたと知っていたので賀状の電話番号を頼りに連絡した。
あの頃って個人使用でも住所の後に電話番号記載されるの珍しくなかった。

その時、奥さまが電話口に出てらして無事を教えてもらい「良かった~!」と心から思った。
あの時、別段見舞いの電話に折り返しの電話があった訳でもなく私の安堵感だけが、心に「良かったネ」とスタンプを押した。

あれから何十年もの月日が流れた。
ところが本当に突然に昨年何を思ったか不意に彼の声が聞きたくなって、なんと電話をしてしまった。
20代の頃から賀状だけで一度も電話等したいとも、声も聞きたいとか思った事は無い。

思い出す事はあってもそんな事考えた事もなかったのにだ。
それは私も彼もきちんと分をわきまえている証でもある。
ヤマしい事も後ろ指刺される間でもない、私の人生に置いて男友達の括りククで存在するのは彼が唯一かな。

電話口には息子さんが出られて。。
「今、親父は入院中なんですよ」
「コロナ騒ぎ で思うように会えなくて…。」
『そうなのですか、家も母がそうでした』と。
『では、又電話させて頂きますね』
お見舞いにとかそんな事考えてたわけでもない。
月日はコロナ騒ぎのまま、あっという間に1年が過ぎていたのだったが私は数ヶ月くらいにしか思えなかった。

気がかりの気持ちが、ついこの前に再度電話。
息子さんが電話口に。
『以前、電話さしあげた○○ですが、お父さんは退院されましたか?』
たった一言二言の受け答えの声、懐かしい声だった。

若い時の彼にソックリの声に恐る恐る

『もしかして○○君なの ?』
「違いますよ、僕は息子です
「覚えてますよ、一年前のちょうど今頃かな電話をしてこら れましたね ?」
「あの後、数日後に親父は亡くなりました。。」

私は『················』
喉元が詰まり声が出なくなり涙が止まらない。
息子さんは黙して待ってくれた。
「お電話頂いた事、親父は喜んでいると思います、本当にありがとうございます」
ほんの少しだけれど彼の話をして電話を切った。

悲しくてただ悲しくて声を上げて泣いた。

私の電話は旅立つ前にお別れの挨拶代わりに、彼が私に携帯の電話番号のボタンを押させたのだと、信じて疑わない。。
奥さまは、数年前に亡くなられていて、別れの挨拶に私の処へ挨拶に来るのに憚りハバカは無いが、さりとて自分からは出来なくて。。
言霊でもなく虫の知らせで、もうすぐお別れだよと知らせてくれたと信じて疑わない。

友達以上恋人未満という言葉があるが恋人とは ほど遠い仲、でも本当に楽しい思い出残してくれた彼にありがとうの言葉と共に別れの『献杯!』

暫く、都はるみの「小樽運河」ばかりを口ずさんでいた。
♪精進落としの酒を呑み 別の生き方あったねと♪

知り合って何十年だろかと指を折る。
「虫の知らせ」は存在する。

昨年の4月の半ばUPしたブログです。
何故か分からないけど沢山消えていて、以前消えているのが分かり何件も再度UPしたが、結局原因もわからず終いこの内容も再度登場です。
てか、アメブロ参加し始めて間もない頃で5、6人の方が「イイネ!」ボタン押してく下さってとても嬉しかった事思い出した。昨年4月の事…