こんにちは😊
見に来て下さってありがとうございます♪
祝日でしたね
いい日になりましたでしょうか✨


いつも思っている事を記録します




私みたいな人間が娘を育てなければ
もう少しいい方向に行くような気がする


どうしてそう思うか、、、


発達育児の難しいところを考えます




目に見えない


これ、かなり深いです!
よく聞くし目にする訳ですが
幼児期はあまり気にならなくて
学齢に上がり3年生くらいから実感しました


どこまで教えるか
見てもわからない
線引きが親判断なんです

何を目標にするばいいかすらわからない


知的に遅れがある場合
小学校4年生までの学習を教える事
これが一つの目安になるようです

それだって4年生が習得できれば
5年生、その後と、教えたい覚えさせたい
気持ちが出てくると思います


知的に遅れのない発達に遅れがある子
これ、全く指標がない

よく言われるのが
いいところを伸ばしてあげましょう

ざっくり〜滝汗滝汗滝汗

それで、発達障害児のいいところ探したり
できない事を底上げしたり
右往左往


足に不自由があれば
不自由な足で走れ!とは言わないだろうし

視力検査で0.02だったら
裸眼で視力検査の練習はしない

難聴があれば
補聴器や手話を考える


ほしちゃんの場合
発達検査
全体的に平均値、凸凹してるけど平均より上
そうすると何が不自由してるのかわからない


できない事が明確ではない


子供だから
最初は皆できないし
教えていくものだから

1回で覚える子がいて
2回で覚える子もいて
それなら
ほしちゃんは100回言えばできるかも

と、思っちゃうんです
そして、言ってしまう

もし、親でなかったら
そこは、もうできないんじゃない?
と諦める方向に傾くのが大多数だと思う


それで冒頭の言葉に結びつきます


私みたいな人間が娘を育てなければ
もう少しいい方向に行くような気がする



諦めた先が
支援のない社会で
自立できないとわかっている場合

諦められない
だって自立できないのがわかってる
それなら100回言ってみたい

その悪循環です


諦めた先が明るかったら
もう少し肩の力を抜く事ができるのかなって
思うのです


諦めた先が暗くても
肩の力を抜くべきなのかなぁ。。。


お付き合い頂きありがとうございました❤️