兵庫県西宮市にキャンパスがある関西学院大学を2026年3月18日に卒業した熊谷朋也さん。

在学時には私が代表を務める「チームこんちゃん」主催の「御前浜クリーンアップ」に何度も参加してくれました。能登半島地震の被災地の一つ石川県穴水町の穴水駅前「さわやか交流館プルート」で3月1日(日)インタビューしました。

 



-宮城県大崎市ご出身で、15年前の東日本大震災を経験されたそうですね。


そうですね。当時小学1年生で、家族は無事で、内陸だったので津波被害も無かったですけど、 やっぱりショックな出来事だったのでかなり鮮明に記憶してますね。

授業最後の日で学校の終わりの会の時に被災して。地震が起きて、でも掃除で机を廊下に全部出してて身を守るものが何も無くて「教室の真ん中に集まれ」ってなって。テレビや本棚が倒れたり、とんでもないことが起きたなって怖さもありました。

-小学校で「地震が起きたら机の人に潜りましょう」って…。


教わりましたけど、その時は机が無く潜れなくて、防災頭巾もあったけど椅子の後ろに結びつけてたので、でも椅子も廊下に出してたので。ただ亡くなった人は学校でもいないし、親戚でもいないので、それがすごい救いですね。

-大学生になっていろんな被災地で活動されていますが、それは15年前の経験がありますか?


頭のどこか片隅にはそれがあって、 大学生になっていろんなサークルとかボランティアとか活動の選択肢がある中で、災害のことをやってみようと思いました。

-宮城県出身といえば、東日本大震災どうでした?とよく聞かれるのではないですか?


ものすごく聞かれます。熊谷家の本家は気仙沼なので、 震災の時の被災経験は親戚からも知り合いからも色々聞いていたので、多分そういうのもあったから災害ボランティアに関わるようになったと思います。

-震災から15年経って大人になって、何か今思うことってありますか。


15年早いなって思うのと、 町自体は見かけは綺麗かもしれないですけど、被災地で見えない問題というのが沢山あるというのを現場に入ってすごく思ってて、 穴水町でも地域コミュニティの間でいざこざがあったりとか、行政が住民の意見を上手く聞き取れなくて、住民が不満に思っていることもよく聞くので、ハード面では一段落ついているかもしれないけど、ソフト面での支援とか表面的には見えにくい部分もあって、 復興って区切りをつけるの難しいですけどね。
 
-難しいですよね。いつ復興したとか、15年の節目とか、どこが節目?みたいなね。


確かに、どうなったら終わりなのか難しいですね。友達や周りの人たちに「能登って復興終わったんじゃないの? 」と言われて。でも実際穴水町に住んでいますけど、全然そんなことはなくて、ソフトの面での支援が全然足りてなくて「能登ってこんなに被害があって、 まだまだこんなに頑張っている方々がいるんだよ」と、ちゃんと伝えるようにしています。

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熊谷さんは関学在学時「災害コミュニティ つむぎ」のメンバーとして被災地でボランティア活動を行っていました。石川県穴水町に足を運んだきっかけは、神戸市長田区出身で阪神・淡路大震災で被災された一級建築士・曺弘利(チョ・ホンリ)さんです。当時のご経験から、被災地で建物再建の支援に取り組まれています。

 

熊谷さんはチョさんの指導を受け、阪神・淡路大震災で被災した神戸市長田区や、原発事故の影響を受けている福島県双葉町に一緒に足を運び「ジオラマ」を作るなどの活動をしてきました。

 

(ジオラマの紹介でご出演いただいたのは2023年10月でした)

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-チョさんに同行し穴水町に災害支援に行ったのは、能登半島地震が発生した翌月、2024年2月末だそうですが、どのような活動をしましたか?


私は一学生だったので、建築士チョさんが行う被災建物の判定、簡単に言うと住宅調査、そのお手伝いで写真を撮ったり、リストを作ったり記録係でした。

-被災した家屋を見られてどうでしたか?


自分の家がなくなるって感覚が正直よく分からなかったので、生活が根こそぎ奪われるってこういうことなんだと、住民の方に直接お話を聞いて、現場を目の当たりにして衝撃を受けました。

-次に穴水町に来たのはいつでしたか?


次は夏に来て、その時は住宅調査は一段落ついてて、チョさんの職人のメンバーのサポートで、住宅の簡単な修繕もしましたし、輪島の門前町で寺のお地蔵さんが倒れていたり、石碑が傾いているのを起こしてあげる、という支援をしました。


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その後、熊谷さんはナント!住民票を穴水町に移し、2025年11月10日から穴水町に住み、住民の一員として、同じ目線で災害や防災に関われたらと、穴水町の滝井元之さんのお宅の離れで生活をしています。

昨年関西の映画館でも上映されたドキュメンタリー映画「能登デモクラシー」これは滝井元之さんの目線で見た穴水町を描いた映画で、滝井さんとの出会いは、熊谷さんにとってかけがえのないものになりました。

 

 


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-住民票を移してまで、こちらで活動しようと思ったのはどうしてですか?


そうですね。災害ボランティアとして活動していく中で 滝井先生に出会って、滝井先生が町の行政や政治に対して問題意識を持って声を上げている人で、私の専攻も行政学、将来は官僚を目指しているので、災害ボランティアと並行して穴水の行政や政治的な問題を学びたいという気持ちで来ました。
 
-滝井先生のこともっと教えてください。


滝井先生は生まれも育ちも穴水町で、 中学校の数学の先生で、テニス部の顧問をされていました。現在81歳ですけど、今でもテニスをお子さんたちに教えてらっしゃいます。80代にはとても見えないし、町の顔役みたいな方で、穴水町では顔を知らない人がいないぐらい有名な方ですね。

 

(滝井元之さん)

-滝井先生との出会いは大きかったですね。

 

この活動を続けられているのも滝井先生のおかげです。僕が穴水町に住んで関わりたいと言いましたが、滝井先生が受け入れてくれなかったら住めなかったと思うので、滝井先生の存在は大きいですし、自分の将来に勉強になる、学びのある時間を過ごさせていただいています。

 


 
-初めてお会いしましたが、すごく物腰が柔らかですよね。


そうですね。私たち学生にも対等に接してくれますので、何でも相談出来て、信頼して話せます。 

 

-将来、目指しているのは官僚。いつ頃からそのような想いになりましたか?

元々公務員になりたいと思っていて、でも官僚、国家公務員になりたいと思い始めたのは、穴水町で活動を続けていく中で芽生えてきました。穴水町の行政が腐敗しているというか、21世紀にもなってこんなことがまかり通っているのかと衝撃を受けました。震災で被災した神戸の長田や福島県双葉町にも行きましたが、現場を見ていく中で行政が救えなかった部分、制度が上手くいかないから、制度の下で生きる人たちが不都合を感じている部分って沢山ある、いう現実を目の当たりにしたので、その制度の根幹を担っているのが国。国の制度の根本を変えることが出来たらと、2年後には中央省庁を志望しています。

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ところで、滝井元之さんは2020年から手書きの新聞「紡ぐ」を作り配布されています。今回、穴水町の仮設住宅を訪問し、滝井さん、熊谷さんなどボランティアの皆さんと一緒に、発行から第104号の「紡ぐ」を1軒1軒配布するお手伝いをさせていただきました。

 



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-滝井先生が作られた新聞を、仮設住宅の皆さんに お配りするのも大切な活動ですね。
 
そうですね。ただ配るだけでなく、住民の方にお話を聞いて、直接住んでいる方の声を聞かないと見えてこない部分が沢山あります。住んでいてここが不便だとか、行政の対応がこうだとか、外からでは分からない部分の方が多いので、新たな気づきになったりすごく勉強になっていますね。

-「諦めるしかない…」とおっしゃってたお母さんがいましたね。 


諦め、という言葉を使う方がこれまでも何人もいます。金銭的な問題で仮設を出たくても出られない、元の地域に帰りたくても帰れない人もいるって聞いて。能登って本当の意味での復出来るのかなって最近疑問に思っています。

 



-滝井先生の「紡ぐ」を配りながら「お困りごとないですか」とお声がけ。そういうことがすごい大事だと思います。

ただポストに投函するだけではなく、住民の方々と直接話すからこそ分かることあるし、滝井先生と話すことを楽しみにしてる人、こうやって訪ねてくれる人がいるのを楽しみにしてくれる人がいるので、絶対に必要なことだと思います。

 

-新聞「紡ぐ」は手書きですね。


すごいですよね。一発書きで下書きなしで書かれていて、字も達筆です。穴水町内の話題や行政のこと、政治的な問題も、住民が言えないことをあの新聞が代弁してるような気がして、滝井先生と「紡ぐ」の存在があるからこそ問題意識を持っていただけるので、滝井先生と「紡ぐ」の存在価値はかなり大きいと思いますね。

-住民が言えない状況というのは?


本当はもっと声出して言うべきですけど、田舎あるあるで出る杭打たれるというか。人口が6600人しかいなくて、みんな知り合いだったり親戚だったり、学校の先輩後輩という関係性なので、それを壊してしまうのを恐れて言わない。それって町のためにも良くないし、ダメだって思ってても叩かれるのが怖いから言わない。それは町としても成長しないし、問題だと思いながらもずっとそのままというのは良くないと思うので、滝井先生と「紡ぐ」という存在が必要だと思います。

 

 

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滝井さんの新聞「紡ぐ」はA4サイズで、表と裏に達筆で読みやすく、様々な話題を、コンパクトにまとめて、手書きで書かれています。

今回、仮設住宅でお配りした第104号「紡ぐ」には、桜など季節の話題の他、2月に穴水町議会としては、初めて議員と町民が直接、意見交換をする「議会と語ろう会」が行われたこと。滝井さんが代表を務める教育相談室「あした塾」主催、第1回「穴水町の明日を考える勉強会」が開催。能登半島地震後、深刻な状況が加速しているため、知恵を出し合い、住みよい、いきいきした町を、具体的に形にしていくための勉強会のお知らせなどが書かれていました。

分りやすい言葉で、穴水町のことを伝える唯一無二の新聞です。

 



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-穴水町に住んで5ヶ月、4月から宮城県仙台市にある東北大学大学院に進まれるそうですが、住民票は穴水町に置いたままにするそうですね。穴水町と今後どのように関わっていきたいですか?

 
東北大学大学院では、行政の政策や自治体に対して政策提言をしたりなどを学びます。正直言って穴水町の行政は山ほど問題あると思います。だから今後、専門的に学んで得た知識を活かして、穴水町に行政に提言するなど、何らかの形で貢献出来たらと思いますし、今後も長期的に付き合っていけたらと思います。

-では最後に、伝えたいことは何ですか?

 
2つ伝えたいことがあって、1つは復興ってそんな綺麗なものではないということです。メディアで被災地の現状を見ていると、すごい活躍されている方とか、そっちに目がどうしてもいってしまうけど、 行政とか政治の問題も沢山あって、ドロドロした部分もあった上で復興がなされていくというのを理解してほしいです。復興の過程で住民同士で圧れきが生まれたり、行政との調整が上手くいかなかったり、そういう悪い部分、現場に行くと嫌ほど見るので、復興を美化しないでほしい、ということです。


2つ目は、能登の復興はまだ終わってない、ということをすごく伝えたくて。遠い町の出来事として思ってもらいたくないし、自分事としてそのような町があるというのを理解してほしいです。僕が言いたいのは、寄付しましょうや、現地に行ってボランティアしましょうではなく、住民の皆さんから「自分という存在を忘れられるのが怖い」「風化してしまうことが怖い」と聞きます。能登の復興は終わった、という感覚を持たれてしまうと、世の中から見放された感覚を持ってしまうので、能登は今も一生懸命頑張って復興に向かって、少しずつですけど前に向かって進んでることを知ってもらいたいです。 それをいろんな人に伝えてくれたらなお嬉しいです。

 


 

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熊谷さんはメディアを通して見るよりも、現場に来て自分の目で見てもらいたい。能登の関係人口を増やしたいと、大学生を招いて、仮設住宅で住民の皆さんのお話を聞いたり、穴水ならではの「ボラ待ちやぐら」や「のとワイン工場」を見学したり。何らかの形で関わってくれたら町に活気が出るし、地震で被災した住民の皆さんと交流してくれたら嬉しいと、行動に移されていました。

また、国の天然記念物「朱鷺(トキ)」が、今年5月末、能登で放鳥されることが決まっています。本州で最後のトキ「能里(のり)」が亡くなってから、実に56年ぶりに能登に帰ってくるということで、トキの復活を応援するためのイベントが2月28日(土)石川県七尾市の「能登能楽堂」で開催され私も拝見させていただきました。

 



主催は「能登トキファンクラブ」その会長さんとたまたま知り合ったことから、熊谷さんはこのイベントの中で、昨年誕生したトキのゆるキャラ「トキ次郎」とともに、トキの放鳥を祝うミュージカルで村人の役で出演されていました。

 

(突然受付に現れたトキ次郎)

放鳥されるのは石川県羽咋市ですが、いずれはトキが穴水町をはじめ能登半島のあちらこちらで、自然に飛び回る姿が見られるようになったら、そんな想いも語ってくれました。トキが能登半島地震、奥能登豪雨からの復興を後押しする存在になってほしいと期待されています。

 

会場のロビーには、トキの姿を捉えた貴重な写真やトキの歴史などが詳しく書かれたパネルなどの展示もありました。

 



しっかりと自分の考えを持ち、将来は官僚になって、国の制度を、根本を変えたい。住民の目線で、生きた政策を作りたい。志高く、周りの人への気配りも出来る好青年、熊谷朋也さん。将来の目標に向かってまっしぐらに突き進んでいる姿をご紹介しました。

 

 

(3/9 ON AIR LIST)

M1.さち/風の電話
M2.MONKEY MAJIK/ただ、ありがとう
M3.さとう宗幸/青葉城恋唄(ゲストリクエスト)
M4.森加奈恵/想い(リクエスト)
M5.EXILE/Rising Sun(リクエスト)