非情にも能登半島に9月21日(土)22(日)記録的な豪雨が襲いかかりました。
こちらはいつも珠洲の行き帰りに通る道路の歩道です。
川が氾濫、柵がなぎ倒されたまま。
歩道には土砂も堆積。
10月13日(日)現在、手つかずの状態でした。
珠洲市、輪島市、能登町の住宅の被害は10月18日現在、全壊・半壊55棟。床上浸水318棟。床下浸水1051棟。合わせて1424棟です。被害棟数は増えそうです。
ところで、豪雨から1週間後の9月28日(土) ボランティア活動の後、仲間のEさんに被災現場に連れて行ってもらいました。
若山川が氾濫。今にも川の中に倒れそうな、築7年の一戸建て住居。
近くに橋があり、家主のお父さんは、当日その橋の上から傾いた自宅を、なすすべなく見ていらしたそうです。そのお気持ちを考えると…。
後日、この住居でボランティアの皆さんが家財の搬出を行いました。足元は傾斜がきついため、足場を確保しながら中にあるものを運び出したそうです。家は川に浸かって傾いていたように見えましたが、浸水しておらず、全て取出せたとのこと。
その際の仲間の報告書で知りました。
テレビで映った映像を見た人から「あんな川沿いに家を建てる方が悪い。」と非難の声があったそうです。しかし実際は、今回の水害で目の前が川になっただけで、川は本当は20m先を流れてて、目の前は畑と芝生の庭だったそうです。
手前の、あったであろうアスファルトの道路はえぐり取られ、水道管はむき出し状態に。
豪雨の恐ろしさに背筋が凍り、言葉を失いました。川はまっ茶色のままでした。すぐ近くで工事が行われていて、この工事の影響で川の流れが変化していたのが原因か…とも伝えられています。
若山川の近く、高齢のご夫婦が50年住んでいるという家の中を見させて頂きました。床上の泥出しはボランティアたちによってある程度は終わっていましたが、泥だらけで私の胸のあたりまで浸水した跡がありました。
花壇に6~7㎝泥が溜まっていて、お父さんが取り除く作業をしていたので、私たち2人も泥出しのお手伝いを少しやらせていただきました。ご夫婦は気丈にされていましたが…。後日、ボランティアの皆さんが、さらに床下の泥出しやブラッシング、乾燥後に床張りなど、復旧に向けて進めていることを知りました。
その向かいにあるお宅は築10年というまだ新しいモダンな住居。ボランティアたちが遅い時間まで、床下に溜まった泥をバキュームで吸い上げて取り除くなどの作業をしていました。
次は飯田町の土砂災害の現場です。
飯田町は珠洲市の中では都会です。幹線道路から少し山側に入ったところで土砂崩れが起きました。
土砂が2階建ての家に流れ込み
その勢いでその家が道路側に押し出され
完全に道路を塞いだ状態になっていました。住人さんは2階にいて無事でした。とてつもなく恐怖を感じたことでしょう。周辺の皆さんもどれほど怖い思いをされたことか…。
翌9月29日(日) 朝5時半に出発し「災害ボランティア愛・知・人」のメンバー7人で、北部にある大谷町に行きました。今回の豪雨でも一時孤立状態になりました。
大谷町といえば「防災番組いつもおそばに」で8月にインタビューをお送りした「珠洲のじいちゃん」こと刀祢田利雄さんが生まれ育った町。元日の地震で被災したため、避難先の大阪と珠洲を行ったり来たりしている刀祢田さんは、豪雨災害時、大谷町に帰っていました。以来、大阪に戻らず、SNSを通じて被害状況や復旧状況を発信されています。その刀祢田さんにバッタリ会えて案内して頂きました。
トニーこと刀祢田さんです。
土砂崩れの現場。大量の土砂で覆いつくされています。
お一人高齢の女性が犠牲になりました…。
この建物は郵便局。土砂に約半分、埋もれていました。
道路が崩壊した現場。
写真ではその凄まじさは伝わらないか。
大谷川。川の色は茶色く濁ったまま。
川底に敷き詰められていた、いかにも頑丈そうなコンクリートが砕かれ、流され…。
濁流の恐ろしさをココでも見せつけられました。
地震での甚大な被害。豪雨によりさらに深刻さが増大。なぜこんな理不尽なことが起こるのか。
地震で、豪雨で…被災された方々が生きる力を失わないように、手厚い支援がとにかく必要です。そして人は、人に励まされると、がんばろう!と、気持ちを前に進めていくことが出来るはず。支援と共に温かい、優しいエールをお願いします。
そして、現場ではまだ多くの人の協力を必要としています。
私がお世話になっている「災害ボランティア愛・知・人」はボランティアを募集しています。経験は問わずですが、重機の取り扱いや大工仕事が出来るなど、技術を持った人も募集しています。
石川県のボランティア募集です。
























