東日本大震災当時、宮城県石巻市社会福祉協議会に勤務。ボランティアセンターを運営され、その経験を活かし、恩返しの想いを込めて、全国各地の被災地で活動。現在は能登半島地震に被災地の一つ、石川県珠洲市の災害ボランティアセンターの運営をサポート。

 

「一般社団法人 BIG UP 石巻」

  代表理事 阿部由紀さん




-昨年5月5日に能登半島で地震が発生した際、最大震度6強の珠洲市に入って活動されたそうですね。

はい、そうですね。ブロック塀が倒壊した現場などで、石巻と行ったり来たりしながら2ヵ月くらい活動していました。

-今年元日の大地震、いてもたってもいられなかったのではないですか?

昨年5月の地震の時に知り合った方から電話をいただいて「地震と津波で自宅がダメになった。助けてくんないか。」と聞いて、2日に出発しました。(1月3日夜に珠洲市に到着、4日から活動されました)

-珠洲市の災害ボランティアセンターの運営をサポートされていますね。

災害時に支援する「災害ボランティア活動支援プロジェクト会議」からの依頼もあって、今回はボランティアセンターのサポートをしてくれないか、ということで入っています。

-一般のボランティアの受け入れが始まったのが2月に入ってからでしたね。

輪島市、能登町などもそうですが奥能登に関しては、金沢方面から一本道で、その道路がかなり被災していたので、警察、消防、自衛隊などの緊急車両の優先順位が高いですし、救急車の往来も多かったですから、しばらくはボランティアの車を通す段階では無かったですね。
 

-スムーズにボランティアが入れない状況で、メディアなどが色んなことを言ってましたが、どんなお気持ちでしたか?

やっぱり(現地に)来てない人には分かりづらいものだったと思いますが、ボランティアの皆さんに来てほしくない、というわけではなくて、余震も多かったですし、最初は被災された方々の「生きる」というのがテーマだったので「片付け」というテーマではありませんでした。そういった意味で最初の頃に「ボランティアの皆さんちょっと待って下さい。」だったのは、僕らとしては不思議じゃなかったし、逆に見えてない側からすると「何でだ。それは違うのではないか。」みたいになったのは仕方ない話だったかと思います。(断水の影響でトイレなどの問題、宿泊施設も被災し利用出来ない状況が続きました)

-現在も一般ボランティアは石川県の災害ボランティアに登録してですね?

そうですね、あとは珠洲市の場合、団体でボランティア登録して活動していただいています。また技術系の団体が活動しているので、その活動に参加される人もいます。

-いくつかの技術系ボランティア団体、ずっと活動していてとても頼もしい存在ですね。

専門の知識も持たれていますし安全基準が高いです。東日本大震災の時よりもより慎重に活動されてて技術も上がっています。

-現在、被災された方々からのニーズはどのような状況ですか?

珠洲の人は奥ゆかしくて、ボランティアを頼んだ後に、コレを頼めば良かったなあというのがあって、2度目、3度目の依頼があったり、緊急修理制度で業者に屋根にブルーシートを張ってもらったけど、5ヵ月ほど経ってそれが剥がれてきたため張り直しの依頼があったり、避難されていた人が戻られて、家の中を見るとカビていたり、片付けが出来ていなかったり。二次避難からやっと帰ってこられた人もいらっしゃるので今後も活動は続くと思われます。

-仮設住宅は現在も建設中ですよね?

8月末までに、ある程度予定されている戸数が建つ見込みですので、二次避難された先からや避難所から、仮設住宅に移られて今後、自宅をどうするか。家が余震で崩れるのではないか。どうやって直そうか、お金が足りないなとか、お子さんたちも転校して、児童数も減っていくでしょうし子どもの環境も大きく影響するのではないでしょうか。知り合いが奥様の体調や息子さんが金沢に住んでいるので迷われた結果、金沢にみなし仮設を借りたと話していました。仮設住宅に入っている間にどうしようか?復興公営住宅に住もうかと最終的になるのか。それぞれ迷っている時期ではないでしょうか。

-ボランティアセンターは大変なことばかりだと思いますが、他に苦労されていることはありますか?

珠洲市社会福祉協議会「ささえ愛センター」では訪問や巡回をしたり、健康相談会をしたり、様々な人がお茶っこサロンみたいなことをやってくれるんですけど、その仲介役などをやったりします。その「ささえ愛センター」の職員の募集していますが、なかなか入ってこないんですよ。それも結構な悩みで。東日本大震災のとき、石巻では雇用がスムーズになされたので、比べるとしんどいなと。募集しても人が来ない。飲食店などの店舗も急募で従業員募集していますが、その張り紙がずっと張りっぱなしで。就職という点でまだそこに至ってないのか、迷いがあって就職出来ないのか分からないですが、働く場所を失ってる人は金沢などに引っ越されたのかと思います。

-1年程前に秋田県で水害があった際、阿部さんに現状などを伝えていただきました。珠洲でも大雨による二次被害が心配ですね。

地震で崩れたところが多いので、集中豪雨で住宅の後ろが崩れるというようなことがあり得ますし、まだ余震も続いてますので心配です。

-この間も震度5強の地震がありましたね。

僕もビックリしました。横になっていたので部屋で。グラっと揺れましたから。住民の皆さんも不安が少なくなってきたかな、というところでしたからね。社会福祉協議会には応援に来てくれている社協さんが沢山いますが、その方々と一緒にささえ愛センターの職員が手分けをして、すぐに住民さんのところに「大丈夫ですか?」という巡回をしました。

-被災された方々の不安をサポートされたわけですね。

精神的な不安がやっと少しづつ落ち着いてきたところに強い地震が起きたので、タイミング的にはまずいなと思いましたね。でも職員さん巡回してくれたので、こういう人たちが見守ってくれるんだ、というのは分かっていただいたと思います。

-地震から半年、阿部さんのこの半年はいかがでしたか?

半袖を着る季節になりました。自衛隊も今回、東日本大震災よりも長い派遣になったとニュースソースになっていましたが、僕もこうやって支援をやらせて頂く中で、半年というのは長いです。でも公費解体とか進んでない現状があったり、それでいて未来の復興計画みたいのが出来てきていたり。珠洲では水道もまだ出ないところもありますし、そこらへんがまだ出来ていないのに未来の話をされたりしてもと、口々に住民の皆さんからは目の前のことで手一杯なのにな、という諦めに似たような声が聞かれます。公費解体の手続きがまだ取れてない、申請はしたけど順番はまだ、という中で、前を向けるような制度、政策みたいなものが必要ですよね。

-ところで、ある報道情報番組で、20代の若いご夫婦がラーメン店をやっていて、珠洲から離れることも考えたそうですが「珠洲市という町が無くなってほしくない。だから珠洲でお店をすることにした」と。そのような若者がいることを知って感動しました。

5月に災害ボランティアセンターにワンコインでお弁当を届けてくれたご夫婦です。珠洲市は炊出しに頼らざるを得なかったもんですから、給食的な事業に彼らも参加していたんですけど、避難所の炊き出しの食数がどんどん減ってきて。彼らは元々飲食店をやりたいという話だったので、路上でラーメン屋さんを始めて、僕らも何度も食べに行ってます。
 

-そうでしたか。復旧・復興、遅れていますし、まだまだ長期に渡っての支援が必要と思いますが、一歩一歩ですよね。

そうですね。全国から、近藤さんもそうですけど、来て頂いて励まして頂くというのが、珠洲市の人にとって非常に大事な時期なのかなと思いますし、我々自体もどの辺まで支えていけるかな、というのはありますけどね。

-SNSに大好きな珠洲と、投稿されていました。どんなところが大好きなんですか?

やっぱり人柄ですかね。話をすればするほど珠洲の皆さんの大らかな感じと、自然環境の良さ。私も田舎町、宮城県石巻市の雄勝という漁村の出身なので、そこの人たちと似たように喋るトーン、やり取りの仕方も程よく心地良くですね。人柄も景色も珠洲はホントにいいなぁと、珠洲は美しい町だなと思っています。

-今後はどのように考えていますか?

珠洲市は高齢化の波が非常に大きくのしかかると思うし、その人たちを元気に出来るように、人的交流が今後も続けられたらいいなと思います。それから早めに公費解体が終わって、前を向けるような、事業・政策をしてほしいなと心から思っています。

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