2023年8月15日(火) 台風7号は午前5時前に、和歌山県潮岬付近に上陸し近畿地方を縦断。各地で浸水被害や土砂災害などが発生しました。中でも、京都府では台風が上陸する前、未明に大雨が降り、綾部市、福知山市、舞鶴市などが被災しました。

 

私は9月から綾部市の被災現場で災害ボランティアとして活動し状況をお伝えしてきました。その総集編として復旧支援に尽力された4人の災害ボランティアにお話を伺いました。

 



・災害ボランティア 愛・知・人 代表 赤池博美さん(愛知県春日井市在住) 東日本大震災以降、全国各地の被災地でベースを構え、中長期で復旧支援活動をされています。

 



・京都災ボラバンク 縁(えにし)代表 宮城光夫さん(京都府長岡京市在住) 綾部市には当初「京都府災害ボランティアセンター」からの依頼で初動支援員として入られました。

 



・TEAM B-DASH 代表 藤丸剛さん(大阪府貝塚市在住) 土砂災害の現場を中心に重機などで支援。技術系災害ボランティアとして活動されています。

 



・渡辺さゆりさん(京都府綾部市在住) 綾部市議会議員になられ約1年。一般ボランティアとして被災現場で活動を続けられました。

 





京都災ボラバンク 縁 代表 クマさんこと宮城光夫さん

-京都府から初動支援員として入られ、床上・床下浸水の住宅にボランティアを派遣するためのニーズ確認をされたそうですね。

はい、ニーズ確認というのは、ニーズとして出してくれという説得でしたね。お年寄りが多いでしょう。「私も年やし、もうええよ」と言われました。いや、それじゃあ困るやろう。残りの人生を健康に過ごしてほしいから、そのためのお手伝いをボランティアがすると考えて下さい。このまま放っておいたらカビやシロアリが発生し健康障害の元やから、ちゃんと取っておいた方がいいですよ。他の被災地でカビだらけになった写真を見せて説得に入りましたね。

-なかなか応じてくれませんでしたか?

営業用語で「ためらいの反論」というのがあって、俗に「ためはん」と言います。「とは言うけど、やっぱりね」という、拒絶理由をなんとなく引っ張り出してくるんですよね。ただ私、営業をやっていたのでそういう説得は結構得意なんです。病気のままで迎えたら大変でしょう。健康な状態でいてほしい。離れて暮らしてる息子さんや娘さんも健康でいてほしいって絶対思ってるから。そういう情に訴えることもしましたね。初日にまわれたのは5軒ですよ。1軒につき話が長くなりました。

-床下の泥出しをやった方がいいと話してもすぐに理解してもらえず、その説得が一番大変でしたか?

そうです。ただ社協の人と一緒に行きました。ドアオープナーは社協さんがやってくれないとしんどいです。「どこのおっさんや。詐欺師かいな」ということにならないように、社協の人が一緒に行って「京都府からこういう人が来てるので話を聞いて下さい」これでものすごくハードルが下がります。

 



-これまでの経験から、社協と災害ボランティア団体の橋渡しをする役目もされ、「災害ボランティア 愛・知・人」の一員として現場でも精力的に活動されました。災害現場は大変なことが多いですが、嬉しかったことは何ですか?

発災以来、被災した方々の顔色が変わりました。例えば崖崩れのお宅のご主人が、どえらいスピーカーとか音響システムを持ってて、それを運び終えたら「最後に聞いていってくれ」って、CDをかけてくれてたんです。そんなことを言うご主人ではなかったけど顔色が変わりましたね。また街道沿いの被災されたお宅の裏で、畑仕事をしてるお婆ちゃんに「おーい」て声掛けたら、ものすごく喜んでくれて「元気になった!」って。たまらん嬉しいね。別のお宅では、床下を綺麗にして、床張って、家具を移動させて、最後にどでかいタンスを移したときに、それが風を塞いでいたからサっと風が抜けたんです。そこに住んでるお婆ちゃん「わぁ~、風が変わった!」って。凄いセリフやなって思いました。

☆顔色が良い風に変わっていく、明るい声が聞かれる、笑顔が見られる。その瞬間が、私たち災害ボランティアのこの上ないご褒美でもあります。

 




TEAM B-DASH 代表・藤丸剛さん。

-発災したら特に近畿やその近隣は、まず翌日に入られますよね?

そうですね。その地域で対応出来るのか、対応出来ない事に対してお手伝いをさせてもらいたいので、状況を確認してから仲間たちと共有して、社協さんにも顔を出して、お困りごとあったら手伝いますと。いつもそのように動いています。綾部も翌日、8月16日に重機2台積んで。倒木、流木とかもあったのでチェーンソーを3台持って行きました。まず道路警戒、住民さんの生活導線を確保するために動きました。

-土砂災害の現場での活動が多いですが、今回最初に入られたのは篠田地区でしたね?

はい、着いた瞬間「なんじゃこりゃ」でした。家の中には水がジャージャー入ってるわ、流木だらけやわ、倒壊した納屋とかもあって。貴重品だけは取り出したいと要望があったのでお手伝いさせてもらいました。一般ボランティアさんも入れる状況になってきて、消防団も力を合わせてやりましたが凄かったです。消防団の団結力、この地域すげえ!と思いましたね。

-その後は、仁和町や西方町などの土砂災害の現場にも入られましたが、土砂崩れと住居との間が狭く、厳しい現場だったのではないですか?

仕事上、農業用水の整備もやってます。農地とか、山に入って水路作りをするので、斜面に対しての重機の入り方は何度も経験していますから。地域の人たちも呼びかけしてもらって、土のう袋を作ってくれたり、一致団結して出来たのですごく良かったと思います。

 



-土砂災害の現場で住民のお話で印象に残っている事はありますか?

ボランティアでココまで出来るのかって。来てもらって良かったと言ってもらえて、安心感を持ってもらえました。地域との交流が出来ました。また地域の結びつきも強くなったと思います。

-日頃から地域力の大切さを訴えていますよね。

このご時世、自分が自分がではね。多分この先も災害は起きるので、やっぱり協力し合っていかないとね。1人では生きてはいけないので、お互いさんの精神でやっていけたらなと思っています。今回、綾部社協さんや行政がすごく力を入れてて、それに対して僕らは何がお手伝い出来るかですが、外部支援だけでなく自分の地域は自分で守る、というくらいになってもらいたいです。

☆土砂災害の現場で大量の土砂を撤去するには重機を扱える人材も必要です。重機を乗りこなし工務店経営の住まいのプロ。その経験を活かした現場での活動。貴重な存在と言えます。

 

 



災害ボランティア 愛・知・人 代表 赤池博美さん

-宮城さんからの要請で綾部に入られたそうですね?

はい。綾部も大変なことになっているので力を貸してほしいと。丁度私たち、山口県美祢市に災害支援に入っていた時期で、ニーズがあと数件という状況だったので、終わったらすぐに入りますと。8月22日から綾部に支援に入りました。

-被害の状況を見られていかがでしたか?


古くて大きなお宅が多い地域で、泥が入ってる家が結構多かったですね。家が大きいこともあって、1軒の家にかかる作業時間が長かったですね。

-今年も大雨で床上・床下浸水だけで2万件を超えています。浸水被害に遭うとパニックになりますね。どのように対応したら良いですか?(片付けをする前に必ず被災状況の写真を撮る)

やはり住人さんも早く元の生活に戻りたい。ボランティアも早く泥を掻き出してと思いますが、特に泥が沢山入っている家とかは、まずは家具を出して、畳や床板を剥いで、乾燥させてから、ある程度、泥が少し固まった状態で泥を出した方が、作業にかかる時間もだいぶ短縮出来ますし、そのあとの掃除とかもやりやすくなります。

 

 

-地元のボランティはいかがでしたか?

ホント綾部市ってすごい地縁力の強い地域だなって感じました。70歳過ぎてるおばあちゃんたちが床下潜って泥を出してる姿に非常にビックリしたし、地元の自治会の人たちが毎日のようにボランティアに参加されて素晴らしいなと思いました。その中で、私たちと一緒に活動した人達がボランティアチームを作りたいという声が上がりまして、技術的なことやボランティアの心得とか伝えました。

-それはすごく嬉しいことですね。

そうですね。私たち県外からきたボランティアはいつまでも居座るわけにはいかないですし、大きな災害があったら次の現場にも行かないといけません。ニーズはゼロになりましたが、隠れているニーズというか、困りごとがあったら地元の人たちで対応していただく。もちろん対応出来ないことがあれば一緒にお手伝いさせてもらいます。また社協の職員さんも熱心に動いて下さって、コーディネートだけでなく現場の活動にも参加して下さって素晴らしいと思いました。それから私たちのメンバーも色んな人たちが来て(愛知だけでなく関東や関西のメンバーも)笑顔で接してくれて、その影響も大きいのかなって思います。

-愛・知・人の皆さんの愛、ですね!

そこだけは自分の団体として自慢出来るところかなって。決して技術だけでないはないと思うんですよね。壁切ります、床剥げます、大工仕事出来ます、重機使えます。出来る事に越したことはないですけど。やっぱり最終的には住人さんとどこまで打ち解けて、一緒に来ている他のボランティアや社協さんや地域の人たちと良い関りを持つことが出来るか、と思います。

☆綾部市災害ボランティアセンターの近くにベースを構え約1ヶ月間、寝泊まりをしながら毎日復旧支援。その後も週末ごとに足を運び支援活動を続けられました。

 






渡辺さゆりさん


-初めて災害ボランティアとして現場に入ったのはどういうきっかけでしたか?

仕事として綾部市議をしている関係もあって、災害の現場で何か自分が出来る事があるなら、市民の方と一緒に汗を流してお手伝いさせてもらおうと思って参加しました。初めての体験でした。

-初めて現場に行かれたときどのような作業をされましたか?

浸水被害に遭ったお宅、床板が剥がされた現場でスコップで土のう袋に泥を入れる作業でした。市民の方が災害に遭われて困っておられて、全国から応援にも来て下さってる。何か一緒にやらなくてはという、責任じゃないですけど、市議という立場も背中を押したというのも正直あります。

-現場には一般ボランティアとして入られたのですか?

そうですね、一般ボランティアの一員として入りました。平日の昼間は自分のスケジュール次第で動けるというのはサラリーマンよりあって、土日は沢山ボランティアがいるけど平日は少ないと聞いていたので、なるべく平日に数日にわたって入り勉強させて頂きました。

-現場に入り続けどんなことを感じましたか?

最初はやったことがないし、何が出来るか分からなかったですけど、行ってみると「こんな私でもやれることがある!」って思いましたし、何より被災された住民の方と話をさせて頂いてお困りごとを直接聞く、それを市政に反映するのが自分の仕事だし、自分自身プラスになりました。全国から助けて下さる人たちの声も聞かせてもらい、綾部市としては何が足らないか、ということも感じることが出来たので、あっては困りますけど、次の災害の時にはその経験、自分が感じたことが活かせられるかなって思いながら取り組んでいます。

-被災した住民の方と話して印象に残っている話はありますか?

全然知らないボランティアさんたちに、アレして下さい、コレして下さいと、こちらが指示をしなくてはいけないのかなど、不安に思っていた人もいましたが、自主的にやって下さるという話をして、実際に作業をしてもらったら「ボランティアに来てもらってすごく良かった。綺麗にしてもらってありがたい!」という声を聞きました。

 



-綾部で生まれ、育ち、ずっと住んでらっしゃるんですよね。綾部の良いところを教えて下さい。

緑が多くて、田舎ですけど、地域で仲良く温かい町だと思っています。

-最後に伝えたいことをお願いします。

災害が起こらないのが一番ですけど、もし起こった場合、自分の命は自分で守るというのが前提で、何かお困りごとがあったら隣近所、声掛け合って助け合う、この温かい心が一番大切かなと思います。みんなで温かい支え合う町づくり、大きく言えばそのような日本になればいいなと思います。

☆非常に気さくなお人柄で、復旧支援中に地元で作られたボランティアチームの一員としても活動。「一人ひとりの声を大切に!笑顔輝く街づくりを!」がモットー。大好きになった綾部市の、今後が楽しみです。

 




それぞれに伝えたい事をお聞きしました。

-宮城さんは災害ボランティアはいつからやっていますか?

福井の水害や佐用町の水害などに行きましたが、かなり入れ込んでやりだしたのは東日本大震災からで、そのとき定年で、以後の人生のライフワークやと思って本格的にボランティアをやりだしました。阪神・淡路大震災の時は、仕事でボランティアどころではなくそれが後悔の念を持っています。

-どのような想いで災害ボランティアをされていますか?

困ってる人見て黙っとれんやろう。自分が動けるんやから動こうやと、いう気持ちです。人間誰しも困ってる人を助けようという気はあるもんで、それを行動に表せるかどうかだけ。その時に動けないのは何か事由があるやろう。それをいかに前向きに潰していくかね、背中を押す活動を普段心がけています。「とにかく行こうよ。1回行ってみ!」東日本大震災以降、けっこう真面目に考えましたね。

-どのようなことを伝えたいですか

困っている人を助けたい、人間の原点だからそれを少しでも行動に表せるような勇気を出してみて下さい。災害ボランティアに関わらず他でもいいですよ。もう1つ、普段のおつきあい。綾部のこの地域の災害は共助がないと復興出来ない。行政だけに頼って、行政に文句ばっかり言っててもね。共助の大切さを肌身で感じたのがこの町ですね。

 





-剛さんはいつから災害支援をされていますか?

阪神・淡路大震災のとき、災害ボランティアではないですけど、荷物の物流のお手伝いを神戸市灘区でやりました。まず水の大切さを実感しました。水がないと、火事も鎮火出来ないですから。その経験から水道屋になりました。今は衣食住で大切な住む所、工務店をやっています。阪神・淡路大震災から5年後に独立して、当時は仕事をとれるように必死でした。東北の支援にもちょこっと行きましたけど、生活基盤として足元固めてから災害ボランティアとして活動をはじめ、2014年の広島と丹波の土砂災害のときから実際に動き出しました。

-いつもどのような想いで活動されていますか?

被災された人の不安材料を1つでも無くしてあげたいという想いです。あとは笑顔になってもらえたら、それだけですね。

-被災すると不安ばかりですよね。

目に見えない不安。寝れないなど精神的なこと、絶対あると思うんですよ。雨が降る度に不安になるとか、地震でもそうですけど、やっぱりそれってフラッシュバックすると思うので、そのような不安を無くしてあげたいですね。

-伝えたいことは何ですか?

1人では生きてはいけないと思うんで、災害ボランティアとか関係なく、何事にも協力し合うことが大事です。

 





-赤池さんはどのようなお気持ちで支援をされていますか?

人って一番辛い時ってどういう時だと思います?自分も昔、経験した事があって…。(東日本大震災発生前、身内の不幸が続き、災害ボランティアとして活動するきっかけになりました)

要は普通に生活されてて、それが一気に急変した時って「もうダメかもしれない」自分も何回か被災地で聞いた言葉「死にたい」と言われる人もいたり、「もうこのままでいいよ」と諦めてしまう人もいたり。人って今まで生活していて急に歯車が合わなくなって、どうしていいか分からない状況になった時、一番辛いじゃないですか。災害って皆さんそういう経験をされるんですよ。お金を持っている人はお金で解決することも出来ますが、普通の生活をされてる人や普通の生活も出来ていなかった人は立ち直れなくなってしまう、諦めるしかなくなる。その人たちがSOSの言葉を出せれるのが唯一ボランティアセンターだと思うんですよ。綾部社協さんにも「SOSの言葉は必ず聞き取って、災害があった前とプラスにする必要はないけど、少なくてもプラスマイナスゼロに近いぐらい、自分たちの力もあるのでゼロにいけるぐらいの気持ちと力を与えてあげれるようなボランティアセンターにしたいね」って話をして、社協さんも「そうしましょう」と活動してきました。「住める家に戻るとは思わなかった」「すごく助かった」という言葉を沢山頂いて、その感謝の言葉が私たちの活動の源になっています。こんちゃんもそうだよね。

-はい!では伝えたいことをお願いします。

災害ボランティアって特殊なボランティアと思われてる人が多いのかなって。決してそうではなく、助けてあげたい、困っている人のために何かしたいという気持ちさえあれば、それこそ笑顔で接する、住人さんとお話するのもボランティアですし、復旧のために床や壁を切って、その切ったものを運んでくれるのもボランティア。汚れた茶碗を洗うとか、洋服の整理をするとか。今回1軒ありましたけど、男性は入らないでほしい、タンスの中の整理を女性陣でして頂いたりね。そういった誰でも出来ることが沢山あります。被災地に行く時間がない人は募金活動をして頂いたり。色んな支援の仕方がある。ゼロはいくつかけてもゼロですよ。一歩踏み出せば大きな力に変わっていくと思うし、そういった優しい気持ちが日本全国に広がるといいなと思っています。

 



 

 

色んなスキルを持った人、私のようにスキルを持っていない人、色んな考え、想いで行動に移している人。色んな人が力を合わせて被災現場で活動し、その経験を伝えています。自然災害は止めることは出来ません。誰もが被災する可能性があります。優しい気持ちが日本全国に広がることを、心から願って…!

 


編集後記:私は綾部の現場で7回活動。2回目以降は「愛・知・人」の一員として活動させて頂きました。大変勉強になったのが養生の大切さ。床下の泥を取り除く際、どんなに気を付けても泥が飛び散ります。床や壁、家財道具などを保護するためにビニール(マスカ)、ブルーシート、土のう袋、養生テープ、マスキングテープなどを使用しますが、とても丁寧で、被災された人の立場に立って行動されていることを実感しました。また床下の泥出しを家族だけでやるのはとても大変、精神的にも体力的にも負担が大きすぎます。ぜひ災害ボランティアを頼って下さい。


(12.11 ON AIR LIST)
M1.DREAMS COME TRUE/何度でも
M2.福島県二本松市立杉田小学校合唱部・福島しあわせ運べるように合唱団/BELIEVE
M3.上田和寛 & 愛知人オールスターズ/愛・知・人~愛を知る人々~(リクエスト)
M4.甲斐バンド/安奈(リクエスト)