高知県黒潮町はなんといっても「カツオ一本釣り日本一」の町です。その一本釣りカツオ、そして黒潮町をはじめとする高知県の食材を使って美味しい缶詰を作ってらっしゃいます。

『黒潮町缶詰製作所』

株式会社黒潮町缶詰製作所 取締役で営業担当の友永公生さん。元黒潮町役場の職員で、2011年3月11日、東日本大震災が発生した当時は防災の部署に勤め8年目でした。

 

 

ー東日本大震災の被災地に行かれたそうですね。

 

震災直後、当時の町長から一本釣り漁師の親族関係が多い宮城県気仙沼市に、一本釣り漁師の家族の安否確認をしたいと現場に行く指示が出て、3月17日~24日、連絡が取れない方の捜索や物資の受け入れのお手伝いで行き、当時の状況をつぶさに見させていただきました

ー目の当たりにされていかがでしたか?

インド洋津波の被災地や他の被災地の映像などを見てきましたが、あまりにも他人事だったなと。現実味を持って防災というものに向き合えていなかった、というのを痛烈に思い知らされました。

ー印象に残っていることは何ですか?


気仙沼の皆さんが高知の心配をしていました。南海トラフ地震のことも含めて「あなたたちの地域も危ないよ。お気を付けなさい。こちらの状況をどんどん写真に撮って高知で伝えてくれ」と。被災して間もないのに遠い地域の自分たちのことをおもんばかるというか、東北の人たちの人柄、深さを感じました。また田舎の似たような漁村だったり、重なる風景がたくさんあって、そういった面が身につまされるというか、自分の町が被災したんじゃないか、と思うぐらいな感覚になっていたので、そういう意味からしても温かい言葉がけっこう自分たちの救いになった気がします。

 



ー株式会社 黒潮町缶詰製作所はいつ出来ましたか?
 

平成26年(2014)3月11日に設立し、プロジェクトメンバーとして設立前から携わってきました。

ーどのようないきさつで?

東日本大震災から1年後に、内閣府から日本一の津波想定(34.4m)が公表されて、町中が混乱し、町全体が暗いムードになりました。避難しないとか、危険な町だから出て行ってしまうといった悪い現象が起きていました。それに加えて元々、大きな企業が無い町で若い人たちが町外に転出する構造的な課題があって、新しい仕事を作るのは昔からの課題でした。

 

なので防災に取り組む町として、防災対策の中から何か仕事を生み出そうということで、黒潮町と備蓄食品を作って、それを備えにしながら仕事にしていく、ということで缶詰の事業を起こすことになりました。

 



ー缶詰に34mの表示、インパクトがありますね。

町を震撼させた34mという、国が作った負のレッテルを、ある意味、旗印にして自分たちのブランドにしていこうとシンボルマークにしました。デザイナーからデザインを頂いた時、こういう使い方していいんだろうかという想いも若干あったんですけど、それでも自分たちの意思を記すにはとても分かりやすいなということでゴーサインになりました。

 



ーコンセプトを教えて下さい。

防災対策、備蓄品ということがスタートになりますが、非常食から毎日食べたい日常食へということで、東日本大震災の被災地、特に気仙沼で会社を立ち上げるときに食の課題についてお話を聞きに行ったんですよ。一番多かったのが甘いものを食べたかった。刺身を食べた時、涙が出るほど嬉しかったとか。いろいろ紐解いていくと食べるものがストレスになってはいけない。栄養バランスをくずしてはいけない。色んな課題がある中で食べ慣れたものを、もしもの時も普通に食べられる環境というのが実は大事だという事が分かったんです。やっぱり食べ慣れてないものを毎日食べ続けるのは、かなり人間としてストレスになっていくので「食料」が必要だろうというイメージだったんですけど「食事」が必要なんですよ。

ー食料ではなく食事?

日常を取り戻すという意味で「食事」というイメージを持った缶詰を作ろうということで、グルメ缶詰にこだわって、積極的に調理した缶詰を作っているというのが特徴です。かつ、災害時でも日常でも課題になる食物アレルギー対策。積極的に味付けすることと食物アレルギー対策は二律背反になるようなけっこう難しい関係性なんですけど、それをあえてトライしていく!ウチのこだわりです。

 



ーアレルギーを持ってらっしゃる方けっこう多いですね?

東京都のデータですけど、アレルギー疾患の3歳児のデータでアトピー、喘息は横ばいか微増、微減ですが、食物アレルギーだけは増え続けてるという調査結果があります食物アレルギーが社会問題として一般化していてかなり広がってきているのをひしひしと感じています。

ー避難所でアレルギーがあるため何も食べられなかったケースもありますね。

直接伺った話や色んなアンケートを見る中で一番インパクトに残ったのは「食べずに死ぬか、食べて死ぬか」そこまで追い込まれる。そういう想いをしてる人がいることすら気づいてない人が多い。でも実はそういうマイノリティーな課題を抱えた人たちが沢山いることをもっと自分たちも知るべきだし、知らしていくのが自分たちの役割だろうと思ってます。

東北に行った経験もあって食のニーズの変化もある程度分かるんですけど、炊出しが始まるとみんな結構安心してしまって、日常的な味付けが食べられはじめて食生活がかなり改善したイメージがあるんですけど、逆にそうなるとアレルギー対策は顕著に出てきます。みんながあったかい物を食べている中で食べられない人がいるという、けっこう見逃しがちな課題があります。アレルギーの問題は目に見えないので、当事者が発信しずらかったり、好き嫌いの問題なんじゃないかと誤解を受けたり、色んな課題がまだ解決に結びつかない複雑さを呈してるという気がします。

 



ーこちらの缶詰は味の美味しさはもちろん、アレルギーの方も食べられるんですね?

7大アレルゲン(えび、かに、小麦、そば、卵、乳、落花生)は一切使わない、一切工場に持ち込まないというルールで製造しています。28品目アレルギーに関する食品があるんですけど28品目全然使ってないものもありますし、かなりな確率で食物アレルギーのある人の選択肢にはなれていると思います。

 

(宿泊したネスト・ウエストガーデン土佐でも販売されていました)



ー専門家の方々が携わっているそうですね?

初めは分からないので。立ち上げの時はプロジェクトマネージャーがいて。「ごっくん馬路村」をプロデュースした方、工科大の特任教授で、その方を中心に無印良品のバターチキンカレーを監修した方など専門家を招聘してチームを組んでスタートさせました。当時の町長の考えで、中途半端なことをしてもダメ。産業振興と地域振興は違う。地域が賑やかでワイワイやってても、それが産業振興か、というとちょっと違う。外貨を稼いで雇用を生み出すには本物思考でなくてはという考えでした。基本いまはベースのレシピは自分たちで組んで、最終チェックをお願いしています。例えば0.1%塩を落とそうか、そんな世界です。大体食べられてる食品の塩分が1%から1.5%ぐらい。その中のあと0.1%削るのか。そういう世界なので。こだわりというか、とにかく美味しい物を食べて頂きたい想いです。

 

 

 

まさか0.1%塩を落とすかどうか、、そんなお話を聞けるとは思いもしませんでした。次回はこだわりの美味しいグルメ缶詰の数々をご紹介します!

 

 

 

(2/6 ON AIR LIST)

M1.渡辺美里/いつかきっと

M2.スピッツ/春の歌

M3.熊谷育美/笑顔

M4.SEKAI NO OWARI/Dragon Night(リクエスト)

M5.CHAGE&ASKA/YAH YAH YAH(リクエスト)

M6.back number/青い春