宮城県石巻市ご出身
2015年3月まで中学校の先生

3人の子供のお父さん


佐藤敏郎さん

震災当時6年生だった
次女 みずほさんは
大川小学校で命を失いました

 

小さな命の意味を考える会 代表
大川伝承の会 共同代表として

<あの日>の検証・伝承・想いを

多くの方々と共有したいと

講演会や語り部として

伝える活動をされています

 



2011年3月11日 午後2時46分
宮城県石巻市は震度6強の地震

その51分後
大川小学校は
津波に飲み込まれました

校舎の時計は全て
3時37分で止まっていました

 


 

全校児童は108人でした


校庭で待機していた78人中
津波の犠牲になった児童は74人
教職員は10人

 

84人もの命が失われました

うち4人の児童は行方不明です

 

助かったのは
児童4人と教員1人だけ

学校管理下で

これほど多くの命が
犠牲になったことはありません

 

 

石巻市が震災遺構として整備

昨年7月18日から公開した

大川小学校

 

5月22日(日)の朝
6年ぶりに再会した佐藤さんに
案内して頂きました

 



 

よく聞かれることがあるんですよ。

随分寂しい場所ですね。
何でこんな寂しいところに
学校建てたんですかねって。

でも町があって生活があって
命があって
子供たちが走り回っていました。


いつも思い出しながら話をしてます。
思い浮かべてくれたらなって思います。

 



 震災前の写真

 自然豊かな町にあった学校


 1~2年生はまあるい教室
 3~6年生は2階建ての

 扇形の教室で授業を受けていた

 


 

中庭では

お花見をしながら給食を食べたり。

ウチの娘です。
芝生の上を走り回っています。

 



卒業生の語り部で面白いのは
低学年の頃、学校って
丸いものだと思ってて。
他の学校を見ると四角い学校で(笑)
 

子供たちが大好きな

自慢の校舎です。

 

 

 学校そばを流れる北上川は
 全国で4番目の一級河川

 

 津波は川を遡上

 川に架かる巨大な新北上大橋に

 瓦礫や松の木などが堆積
 流れを堰き止めた分

 津波の威力、高さも増し

 大川小に襲い掛かった

 

 橋も4分の1が壊され流失

 

 

2階の天井に津波の跡があります。
手前半分が泥で汚れています。
立っている所から8.6m、海抜約10m。

 

河川津波だけでなく
3.7キロ先の海からも陸を遡上し
10m位の津波がきて
山にぶつかって渦を巻いたんです。

 


 

渡り廊下は海側に向かって

ねじり倒されています。
直径1m以上の太い鉄筋の柱が
3本折れています。

 



渡り廊下はガラス張りで
子供たちはガラスのトンネルを通って
体育館に入場していました。

体育倉庫には運動会グッズ
綱引きの綱、玉入れのカゴとか

残されています。

2度と使われないですけど
これを見ながら

卒業生は思い出話をしています。

 



地震が起きて
子供たちが待機していたのは
校庭の式台の前。

出来るだけここが
校庭だったと分かるように
当時あった式台と
トラックと同じ位置に
ブロックを置いてもらいました。

 

 

周り山なので
山にゆっくり行けば
難しくない避難です。

でも校庭に

留まってしまいました。


大津波警報が出て
防災無線やラジオも

避難を呼び掛けていました。


迎えにきたお母さんたちが
「先生、津波が来るって
ラジオで言ってるよ」と訴えました。

スクールバスも待機していました。
会社から無線が入って
「津波が来るから子供を乗せて
早く遠くに逃げろ」と指示が。
でも、運転手さんも犠牲になりました。

校庭のすぐ脇に
山があるので登ってみましょう。

 

フェンスがありますけど
当時ありませんでした。
だから校庭から真っすぐ来れます。

 

 

 写真向かって左に見える

 壁画の奥からすぐ登られる

 

 
子供たちはココで

シイタケ栽培の

体験学習をしていました。

 



キノコ作りは毎年3月の恒例行事
震災の同じ時期に
子供たちはココ登ってたんです。

 

 

 傾斜は緩やか

 

 

 さらに上にも
 すぐ登ることが出来る

 



ここでも授業が行われていました。
町を見下ろそう、という授業
しかもこの上で行われていました。

コンクリートのたたきになっている
こういう場所が4段あって

ココは1段目
この上の2段目で授業をしたり
写真を撮ったりしていました。


 

あの日は余震が続く中
「あの日の判断で」山に登るのは
もしかしたら難しかったかもしれない。

あの日に決めることじゃないんですよ。

あの時、逃げた学校の多くは
あの日、話し合いはしていないです。
避難場所、決まってるからです。

宮城県は今の南海トラフのように
必ず来るぞと。99%ですよ。
ゼッタイ来ると言われていた。

だから海や川が校区にあるところは
津波の避難マニュアルを提出していました。

大体の学校は
津波が来る来ないに関わらず
さっさと山に逃げています。

大川小の避難マニュアルも

あったんですよ。

津波の時は

近くの空き地か公園に避難する。

でも近くに空き地も公園も無い。


実態がないマニュアルですが
教育委員会に提出されていました。

校長先生はじめ誰も知らない。
出してそのままだったんです。

避難訓練の時に1回でも
そのマニュアルを見ていれば
空き地か公園、どこのことだろう?
となったはずですよ。

教育委員会の方も提出すれば
OKだったんです。

命を守るため…ではなく
教育委員会に提出するための
マニュアルだったんです。

 

見逃してはいけない。

だから大川小の先生が
ダメな先生だったわけではないです。
そこは間違ってはいけないなと。
先生だって救いたかったはずです。

あの時の県内外の学校を調べると
子供たちが勝手に逃げ出したのを
そのまま行けって。
それは逃げることが決まっていたから。

もっと大事なのは
津波はもの凄い力があるんだよと
ちゃんと教えていた学校は
一刻も早く逃げなきゃいけない。
だからそのまま行けって言えたんです。

自分がその場に居たらどうするかも
考えてほしいけど
備えたことが無くて知識も無ければ
そのまま行けとは言えないし
パニックになってしまう。
 

大川小のように

備えてませんでした。

不十分でした。
その日の判断、話し合い
まとまりませんでしたって学校
いっぱいありますよ。

ただそこは津波が来なかっただけ
ラッキー、セーフですよ。

ただココは津波が来てしまった。

学校で守る命は
念のために守るべきです。
一か八か、ラッキー、セーフで
守るものでは無いです。

山は命を救わない。
山に登るという行動が
命を救うんですよ。

時間も情報も手段もありました。
でもその条件が行動に繋がらなかった。

繋げるためにどうするか。


立派な分厚いマニュアルを

作りましただけでは

空飛ぶ絨毯にならないですよね。


あの日はつららができてて
雪もちらついてきて
すごく寒かったと思います。
怖かったと思います。

親が迎えに来て帰る子もいて。

   
でもつくづく思うんですけど
バイバイって言うわけですよ。
またねって。

バイバイ、さよならは
また会うための

約束の言葉なんだなって。

行ってきますとただいまは
セットだと思っているんですけど
あの時はただいまや

お帰りなさいが言えないまま
聞けないままだった。
そういう事もよく考えるんですよね。

先生、山に逃げよう!と言った子は
静かにしろって言われて
山に走った子たちもいたんですよ。
でも勝手なことしないで戻れ
と言われて戻されました。

何で山に走ったかと言うと
津波が来るから山に逃げるぞって
言った先生もいるんですよ。


でも勝手なことしないで

っていう先生もいて。
決まってなかったからですよ。

そして時間は過ぎていきます。

逃げることになって
立ち上がったのが

津波に襲われる1分前。

山ではなく
津波が向かってくる

橋に向かいました。

ココに図があるんですけど
コレなかったんです。

俺が書いた。

あの日に何があって
津波がこっちから来て
こう逃げたんだっていう図。


こういう事

書かないとダメでしょって。


随分省略されましたけど
コレを提示して貼ってもらいました。

 

 

本来、細い道路をぬけて
広い道路に出るんですけど
裏にまわったんですよ。

そこを辿ってみましょう。

 



自転車置き場
狭い通路を通って
1列で逃げたんですよ。


1分間津波に向かって1列。


民家の影にまわります。


先回りをした先生が
交流会館(現管理棟)から顔を出して
「津波が来てるから急いで!」
って叫んだそうです。
先生の顔は真っ青だったって。

だから走りました。

津波が迫ってきます
先頭は6年生です。
必死だったと思いますよ。

逃げろ、急げっていっても。
1列ですから、急げないですよ。

狭い通路、民家の影 
そして避難は終わり。


行き止まりだったんです。

 



ウチの娘も

ココで見つかりました。

その時の先生や子供の様子を
思い浮かべれば…
先生たち無念だったと思いますよ。

その後悔に、向き合いたい。
悔しさっていうか。

誰も死にたくなかったですよ。
先生も子供たちを

守りたかったはずだし。

目を背けないでいこうと思っています。
一生、目を背けない。

ココ走ってくる子供たち
想像出来ますよね。

ウチのみずほはどんな顔して
ココ走ってきたかって思いますもん。
怯えてベソかいてたと思うんですよ。

そういう子たちが
次から次へココ走ってきます。

その中に自分も入れる。
自分の大切な人もココ走ってくる。

そしたら…

「助かりたい」って思いますよね。
「助けたい」って思いますよね。

それが想定なんですよ。
その中に登場人物を入れる。
血を通わせることだと思います。
そうしたら絶対助かりたいと思いますよね。

でも津波に飲まれて
自分や大切な人が
この世から消えてしまうのは
怖くて考えられないですね。

ここまでは来ないだろうとか
自分は大丈夫だろうって人が多い。

それはもしかしたら
恐怖を煽る防災だけを

やっているかもしれません。

恐怖は必要だと思うんです。
こんなに怖い、恐ろしいんだぞ。

それは何のために

知るのか、備えるのか。

助かるためですよね。

死なないためにやるのが
防災だとすれば
ハッピーエンドなんですよ。
恐怖じゃなく希望じゃないですか。

ハッピーエンドの未来を
想定しきるのが防災。

そのための材料に
我々の後悔や悲しみ
あるいは命が繋がればいいと
そんな風に思います。

 



ココから20数キロ離れた
女川という海の町で
中学校の教員をしていて

3月11、12日は女川に泊まり
13日に知らせを受けて
14日の朝ココに来ました。

1キロくらい堤防が無くなってて
知らない人に小さな船に乗せてもらって
橋のたもとまで来てこちらを見ると
ガレキに埋もれた校舎が見えて。

本来、橋のたもとから
校舎見えないんですけど
あの時は校舎と瓦礫だけが見えて
町が無くなっていました。

そして橋のたもとには

泥だらけのランドセルが
山積みになってて…。


その前には
泥だらけの子供たちが
ズラーっと並んでいました。

ブルーシートを被せられて
その中に

ウチの娘もいたんですけど…。

あの状況はたぶん私は

今でも整理出来ていない、というか
受け止め切れていない…と思います。


誰でもそうですよね…。



津波に壊されず流されず

残っていました。

 

「未来を拓く」
 

少なくても私には
暗闇の中から差し込んだ一筋の光です。
 

大川小の校歌のタイトルで
震災前からのココの合言葉ですね。


これからもそうなればいいと
本気で思っています。


悲しくて、かわいそうで
悲劇とかって言われますけど
大川小ってどういう場所って聞かれたら
「未来を拓く」場所って答えてねって。


特に学生いっぱい来るので頼んでます。
何で?と聞かれたら
おじさんに頼まれたんだって。
そういう風に言ってと頼んでます。

 

ココで「未来を拓く」のは
あの日の出来事に、あの日の命に
フタをすることじゃないと思っています。

 

ココはね

簡単に残したわけではないですから。


なぜココを残したのかを
一番に考えてほしいです。


 

 保存か、解体か
 様々な議論が交わされ
 当時中・高生になった子供たちが
 「校舎を壊さないでほしい」と訴え
 その想いが通じて
 石巻市は遺構として残しました

 しかし

 

 設置された案内板や説明文など

 事実を伝える展示とはほど遠く

 曖昧さが否めません

 

 一例ですが
 子供らが1列で逃げた

 幅70㎝位の狭い通路には
 濃い灰色が塗られてますが
 説明書きがいっさい無く
 話を聞かないと全く分かりません

 

 

 雨風に晒された
 校舎の今後の保存もとても心配です

 事実と向き合い

 事実を伝え続けること

 

 校舎を大切に保存するために

 その工夫を施す努力

 

 それが

 

 未来の命を守ることに

 繋がるはず

 

 未来を拓く場所で

 あってほしい

 あり続けてほしいと願います

 

 

 今年3月11日

 震災遺構大川小学校で開催された

 

 「第一回大川竹あかり献灯式」

 大川の竹を使って
 プロの指導のもと行われた
 ワークショップには
 ご遺族、地域の人、全国の有志
 延べ500人参加しました

 

 

 震災から11年で初めて開催

 



 高さ5mのオブジェとともに
 犠牲になった84人と

 同じ本数の竹にあかりを灯しました

 



 命の大切さを

 伝え続けるために
 

 これは始まり…!

 

 

冊子「小さな命の意味を考える」
ぜひ読んで頂きたいです
無料でダウンロード出来ます

 

 

 

このたびブログ作成のため

「小さな命の意味を考える会」様から

多くの写真をご提供頂きました

 

ありがとうございました

 


(7/11 ON AIR LIST)
M1.NOBU/いま、太陽に向かって咲く花
M2.吉田拓郎/元気です(ゲストリクエスト)
M3.ザ・ビートルズ/LET IT BE
M4.幹miki/ともに歩こう
M5.渡辺美里/そばにいるよ