宮城県石巻市出身 
ばんちゃんこと
萬代好伸さん

 

 

8年前
3月11日に発生した
東日本大震災

 

当時は紙の原料となる
チップ製造会社に勤務

 

経験したことが無い地震
5分以上の揺れ
その直後に防災無線から
高台に避難するよう促すサイレン

 

会社から
すぐ帰れと指示

 

車は大渋滞
日和山に辿り着き
自宅はそこからすぐ

 

しかし

 

日和山を下ったところで
津波に遭遇

 

建物の2階の窓付近の高さに
突然盛り上がり
襲いかかってきた

 

その光景は
黒い壁にしか見えなかった

 

幸いにも
後に車がいなかった

 

下ってきた日和山を
バックで駆け上った


必死の思いで

 

その状況は
今でも夢の中に出てくる

 

残念ながらその夢は
未だに見続け
これからもずっと
見続けていかなくてはならない

 

それは自分が
危険な場所に
身を置いてしまったがゆえ
見続けなくてはならないトラウマ

 

そして
生かされた命
なんだなと・・・

 


ばんちゃんのご家族や親類は
無事でしたが職場関係や

たくさんの友人、知人を失いました。

 

石巻市では行方が分らない方や
関連死も含めると3977人
多くの命が犠牲になりました。

 

ばんちゃんが勤務していた会社は
4ヵ月後に再開しましたが復帰せず
NGO・NPO各団体が連係し作った
石巻災害復興支援協議会に所属。

 

ボランティアをバスに乗せ
宿泊拠点から活動拠点まで
送迎をしたり
協議会に寄贈された
トラックのオペレーションを担当。

 

約半年ほど活動した後
各地の被災地に赴き
自分も被災者であると告げ
全国から集まってくる皆さんと
ボランティアをしました。

 

2011年9月紀伊半島の水害
九州北部豪雨、熊本地震
水害の岩手県岩泉などで活動。

 

現在は
一般社団法人OPEN JAPANの
緊急支援重機担当として
昨年の西日本豪雨の被災地
愛媛県西予市に住み復旧作業。

 

支援団体やボランティアが
集まりにくい人手が薄いところを
あえて選んで活動しています。

 

ばんちゃんとの出会いは
今年1月5、6日
ダッシュ隊大阪の
白石島復興支援プロジェクト。

 

その現場で重機は必要不可欠

重機を扱えるばんちゃんは
かにの足のような形が特徴的な
「かにクレーン」を自由自在に扱い
現場で大活躍でした。

 

 

ばんちゃんは
どのような想いで
活動しているのでしょうか。。

 

 

被災した自分達が
ちゃんとしっかり立ち上がり
その力を
次の災害で苦しむ人達のために注ぐ

 

それが
被災地から被災地へ

申し送る心


それを伝えるために
被災地に赴いている

 

西日本豪雨は広範囲かつ大規模で
短期間では終らないと見込み
昨年7/31働いていた会社を退職

 

また南海トラフ地震を踏まえながら
災害支援の専門分野が必要と考え

目指すは
災害支援のプロフェッショナル


津波に遭遇した時
目の前を流されていく方々を
目の当たりにし
変わり果てた姿で
打ち上げられた光景を見た

 

災害で犠牲になった方々が
生きた我々に何を望むのか

 

それは二の前を踏むな
災害が発生しても
必ず逃げて犠牲になるな 
それを一番のぞむと思う

 

震災から得た教訓を次世代に
伝えていかなければならない


発信していくことが宿命・・・

 

 

確固たる、ゆるぎない決意。


この決意をするまでに
恐らく様々な葛藤と

闘ってきたことでしょう。

 

またお父さまの言葉・行動が
ばんちゃんを突き動かしました。。

 


津波を目の当たりにしたとき
両親の生存を最初諦めた

 

実家付近は
造船場から流出した大型船が大暴れ

 

津波発生から3日後
地盤沈下の影響で水が引かない中
胸まで水に浸かりながら両親を捜索
 
湊中学校の教室で再会した際
オヤジに言われたのは

 

「おーよくぞ生きてたな
お前の生存、鼻から思ってなかった」

 

なぜか?

 

震災2日前の3月9日
石巻で震度5強の地震 
津波注意報が発令


その晩オヤジから電話で

「お前今日どこに逃げた?」
「なんのこと?逃げるって何?」
「あーこりゃダメだな」
ガチャンと電話を切られた

 

子を持つ親でありながら
津波注意報が発令されたのに
逃げない
そんな親がどこにおる

 

と後日、小言を言うつもりが
奇しくも2日後に大地震

 

確かに自分は危ない目に遭った 
死んでもおかしくなかった

 

オヤジは津波到達20分前に

お袋と近くのパチンコ屋の

立体駐車場に逃げた

 

海の近くなのに?

 

立体駐車場は津波がきても
スカスカの構造なので

その場所は流されず残ると判断
屋上に車を止め車と共に助った

 

オヤジは親でありながら
災害の犠牲にならないために
考えさせてくれる師匠

 

残念ながら
震災当時お袋が癌の治療中で
震災から2年後に亡くなり
その後、オヤジも他界

 

でも災害から逃れて
しっかりと生きたということ
その事実は生きている


これからも必ず災害は起こる
起きてほしくない

みんなそう言うが絶対起きる

 

それに対する行動をしないと
命は守れない

 

残念ながら東日本大震災など
忘れ去られることになる

 

それは人間は未来に向かって
日々新しい情報を吸収しながら
生きていかねばならないものだから

 

でも

残された教訓

 

逃げて
安全な場所で
災害をやり過ごす

 

東日本大震災以上の
災害が来ることを認識し
どう身を守るのか
どこに逃げたらいいのか
そういうことを常に意識すること

 

認識・知識・意識 
3つの識を使って
災害に対応してほしい

 

南海トラフ地震では
32万人が犠牲になると予想

 

誰も犠牲にならない
それは奇跡

しかしそれは起せる奇跡と信じ
これからも活動していく!

 

 

誰も犠牲になってほしくない
命を守りたい。

 

ばんちゃんの
強い強い想いに感動し
自分自身も

防災・減災を伝えていく意義を
再認識しました。

 

萬代好伸さんは
3月11日

故郷・石巻で過ごしました。

 

その後、北海道で語り部を。

 

数日後再び
愛媛県西予市に戻ります。

 

*写真は白石島の現場で撮影*

 

(3/11放送 曲目リスト)
M1.さち/風の電話
M2.Dreams Come True/何度でも
M3.絢香/みんな空の下
M4.asari/塩竈桜(リクエスト)
M5.EPO/風の散歩道(リクエスト)
M6.Bloom Works/プロムナード(リクエスト)