初めて熊本に行ったのは昨年5月
熊本市東区と西原村で
炊き出しのボランティア。

 

6月にはダッシュ隊大阪の
ボランティアバスで0泊3日
東区で土砂などの撤去や土のう積み。

 

9月はさくらFM特別番組取材で
初めて益城町へ。

 

 

そして4度目は4/15(土)

さくらFM 北村社長と

益城町文化会館での
追悼式に参列しました。

 

ご遺族代表で語られたのは

河添登志子さん(57)でした。

 

前震後、断続的に続く余震も
それを乗り越えて暮らしていけると
信じて疑わなかった。

 

でも余震が怖かった登志子さんは
トラックの荷台で就寝。
家族は「大丈夫」と家の中で。

 

16日深夜1時25分頃に本震。

 

激しい揺れのあと
暗闇の中で見たものは
無残に崩れ落ちた家。

 

ご主人と息子さんが

娘さんを呼ぶ声が。

 

いくら名前を呼んでも
娘さんが目を開けることはなかった。

 

「失ったものはあまりにも大きかった。
癒えない悲しみの中
私たちが前を向いて歩き生き抜くことが
地震で命を落とした娘や
犠牲者への供養だと思う・・・」

 

強引にでも、家の中ではなく
トラックの荷台で一緒に。

 

きっと何度も何度も
自分を責めたのではないか。

 

そのお気持ちを考えたら
涙が出てきました。

 

 

22年前の阪神淡路大震災でも
僅か十数秒の強烈な揺れで
多くの人が一瞬にして命を落としました。

 

十数秒の揺れで死ぬのは
悔しいじゃないですか?

 

そんな悔しい死に方
したくないじゃないですか?

 

十数秒の揺れで

命を落とさないための・・・


「日頃の備えを!」

 

 

少しずつ復旧は進んでいるがこのような場所も(益城町役場の裏)

 

 

熊本地震から半年の10/14
9月の取材を元に
特別番組を放送しました。

 

「忘れへんで、熊本!」

 

その際、インタビューした
益城町役場近くに住む
矢野道代さんと再会しました。

 

祝子さん、明子さん、道代さん

 

道代さんのこの1年は・・・

 

「早くて長かった1年」

 

早くて、というのは
今まで経験したことがないことの連続で
あっという間だったという思い。

 

長かった、というのは
一つ一つの物事が決まらない
いつになるか分らなかったから。

 

例えば家が使える状態ではないが
全壊か半壊か一部損壊か
その判定がなかなか下されず
気を揉む毎日。

 

また全壊で解体

更地になり
再建しようと思っていたら
活断層があることが判明。
揺れも続いているので
また崩れるのではないか。

 

その恐怖で決断出来ないでいます。

 

でも道代さんはいつも明るくて
いつも前向きです!

 

「地震直後から全国の皆さんに
温かい支援をいただいて
そのお陰で頑張ってこれました。

熊本はやっと復旧が進んで
復興はまだこれからなので
応援よろしくお願いします!」

 


矢野明子さん
熊本高校3年生


昨年9月電話出演の際
『はるかのひまわり』について聞きました。

 

「今度は会いましょうね!」

 

電話での約束が叶い
明子さんに会えました。

嬉しかったです!

 

阪神淡路大震災で亡くなった
神戸の加藤はるかちゃん(当時11歳)

 

自宅跡にひまわりが咲き
近所の人が『はるかのひまわり』と名付け
災害の悲惨さと命の尊さを伝えるため
「はるかのひまわり絆プロジェクト」設立。


東日本大震災の被災地など
全国にひまわりの種が

引き継がれています。

 

地震による被害で被災した
益城町立木山中学校で

明子さんら元生徒会のメンバーが
『はるかのひまわり』を植えて
元気づけたい!

 

「はるかのひまわり絆プロジェクト in 木山」を立ち上げました。

 

そして夏、約200本のひまわりが
たくさんの人を笑顔にしました!

 

 

その後、木山中の在校生が種を収穫

「はるかのひまわり絆プロジェクト」が
素敵なポストカードを作ってくれました。

 

 

現在、種と一緒に配布しています!

 

今年も木山中や
木山仮設団地に種を蒔きます。

 

明子さんが通う
熊本高校の校長先生も
「はるかのひまわり」を植えて
盛り上げていこう!」と
やる気満々だそうです。

 

熊本高校は震災で大きな被害を受け
体育館は今も使用禁止。
今年解体予定で
集会はプールサイトでやるなど
不便な状況が続いています。

 

明子さんは今後も

『はるかのひまわり』で

絆を繋いでいきます。

 

「これからもちょっとづつ
熊本は復興に向かって
進んでいくと思うので
熊本地震のこと忘れないで下さい!」

 


矢野祝子(のりこ)さん
済々黌高校2年生

 

高校に入学したばかりの宿泊研修で
阿蘇にいて前震に遭いました。

 

翌日帰宅し、自宅で本震を経験。


「死ぬんじゃないかと怖かったです」

 

高校はあまり被害を受けず
避難所として使われていました。

 

GW後、学校が始まると
友達が話しかけてくれたり
気にかけてくれて「嬉しかった!」

 

「地震を経験したことで
人との繋がりの大切さを感じました。
これからも未来に向かって
頑張っていくので応援して下さい!」

 

ピアノを弾く祝子さん

 

全壊の家の中から取り出したピアノ
ソファに引っかかり無事でした。

 

道代さんは
「これだけはなんとしても取り出したい」

 

雨で錆びないようブルーシートをかけ
地震から約2ヵ月後
250キロある重いピアノを
大工さんに引っ張り出してもらいました。

 

修理、調律し、やっと弾けるように!

 

祝子さんは「桜の雨」という合唱曲を
ピアノで演奏してくれました。

 

番組でも流しました。
私の古いICレコーダーで録った音が
少し割れていて申し訳なかったですが
心がこもった演奏・・・


とても素敵でした!

 

22年前

阪神淡路大震災で被災した

北村社長がエールを!

 

「大変やったと思うけど

それを糧に豊かな人生送るんやで~」

 

その言葉にニッコリうなずいた

明子さんの夢はフライトドクター
祝子さんの夢は看護師
共に人のお役に立ちたい!

 

熊本の復興、そして二人の夢が
叶いますように!

 


前回に続いて
益城町最大のテクノ仮設団地へ。


新しい出会いがありました。

 

2012年7月デビュー
神戸市各区の代表で選出
オール神戸っ娘のアイドルユニット

 

KOBerrieS♪(コウベリーズ)

 

 

熊本で初復興祈願ライブに遭遇!
元気いっぱい
歌とダンスを披露!

 

また住民の皆さんに声をかけ
なごやかに交流していました。

 

 

神戸のNPO「フューチャーコード」
代表・医師 大類隼人さんが
熊本地震直後
益城町の避難所で医師として
医療にあたったことから
神戸からエールを送るため
KOBerrieS♪のライブを企画しました。

 

ライブ後、応援メッセージや
感想を収録し放送しました。

 

あっきーな、ひめ、こんちゃん、北村社長、すーな、はるる


キャプテン あっきーな
藤本あきな(21歳)北区代表

 

「貴重な体験が出来ました。
これからも神戸から応援しています。
復興に向けて頑張ってほしいです!」


はるる
岡野春香(21歳)須磨区代表

 

「被災された方々にお話を聞いて
自分はもちろん
周りも助けられるように備えたいです!」


すーな
長谷川鈴菜  (18歳)垂水区代表

 

「皆さんに少しでも勇気を与えられたら
嬉しいですす。
自分たちの足でまた熊本に来たいです!」


ひめ
大出姫花 (17歳)垂水区代表

 

「人の温かみを感じました。
被災体験を実際に聞いて
伝えていかないといけないと思いました!」

 

KOBerrieS♪
第7期生追加メンバー募集中!
神戸市在住か出身
満15~22歳の女性

http://koberries.jp/

 

 

 

 

ボランティアに全力を注いでいる
熊本学園大学経済学部3年生
原田素良(そら)くんと再会!

 

 

居酒屋でバイト中、前震を経験。
比べ物にならない揺れ本震は
自宅で寝ようとしていた時。

 

益城町の隣、熊本市東区桜木
自宅は大丈夫でしたが
周りは大きな被害が出ていました。

 

大学もバイトも被災して行けなくなり
家でゴロゴロしていたところ
友達からLINE。

 

「小学校の避難所の運営を
手伝っている。来ないか?」

 

大学からも「避難所を運営中。
ボランティア募集」のメール。

 

家でゴロゴロしてるよりは
ボランティアをした方がいいかな?

 

全く関心がなかった
ボランティアを始めるきっかけでした。

 

小学校では避難者がいた体育館や
トイレの掃除など。
午後からは約60人の子供がやってきて
遊ばせていました。

 

大学は地震直後約700人が避難。
後片付けや大量の支援物資の整理など
GW明けまで続けました。

 

益城町保健福祉センターで
避難所設営のボランティアをした際
東日本大震災後
ビッグパレット福島で
大規模避難所を運営していた
福島大学の天野先生と出会いました。


交流の場を生み出すために
サロン活動はどうか?と提案が。

 

そこで「カフェをやってみよう!」

 

5月末から避難所で

カフェを始めました。

 

その後、益城町最大の
テクノ仮設団地が出来て
A集会所で毎週末開いているのが

 

「おひさまカフェ」

 

 

ドリンクは大人が10円
子供は無料。
お菓子付です。

 

 

ソワソワしていたり
暴言が目立っていたり
学生にまとわりついていた子供達も
今では落ち着いてきて
自分達で遊べるようになり
自立していった様子を見守ってきました。

 

大人は地震によるストレスを抱え
辛そうだったけど
最近では日常の出来事など
世間話が増えてきました。


現在カフェは8人で運営。
15~16人は必要最低限なので
4月入学した1年生をどう勧誘するか。
最重要課題だそうです。

 

活動当初は資金がなさすぎて
助成金で運営していました。
現在は外部からの物資の支援や
支援金で支えられながらの運営。

 

大変なことも多いけど・・・

 

「毎週来てくれてありがとう」
「今日も待ってたよ」

 

温かい言葉が
大いなる励ましになっています。

 

「楽しいからこの活動が出来る」

 

1年生の時は

バイトと遊び三昧だったけど
180度自分が変わったそうです。
 

活動を通じて出会った人たちとの
繋がりを得たことが大きな財産!

 

素良くんは福島での

国際フォーラムにパネリストで参加。
熊本での活動報告をしました。

 

おひさまカフェのメンバーとも
福島に研修に行きました。

 

福島大学災害ボランティアセンター
学生スタッフと交流。


誰もがプレゼンが出来たり
企画班や広報班などがあり
何千万というお金を運用し
自分たちで全て運営。

 

ボランティアに対する想いと
その運営力に強く刺激を受け
今後の活動のプラスになったようです。

 

仮設団地は2年が期限と言われているが

テクノ仮設団地は
県内最大(516戸)なので
2年で終らないかもしれない。


長期的支援が必要不可欠!

 

今後も活動を続け

住民の皆さんが
復興公営住宅に移った後も・・・


「人と人を繋げる担い手になりたい!」

 

テクノ仮設団地A集会所(昨年9月)

 

7ヶ月ぶりに会った

さわやか素良くんは

自分の想いを語れる

頼もしい存在になっていました。

 

これからも

住民の皆さんのおそばに

寄り添ってあげて下さいね!

 

(4/17 曲目)

M1.奥華子/君の笑顔

M2.Cooley High Harmony/しあわせ運べるように

M3.植村花菜/ひまわり

M4.KOBerrieS♪/ありがとう~Dearパパママ~

M5.ナオトインティライミ/Brave(素良君リクエスト)

M6.MISHA/明日へ