外浦と呼ばれている石川県珠洲市の北部にある大谷町に生まれ育ったトニーこと刀祢田利雄さん。

 



2024年1月1日に発生した能登半島地震後、1月19日に避難するため関西に向かい、大阪市が被災された方々に提供した住宅にお住まいでした。

その後、珠洲と大阪を行ったり来たりの生活を送ってらした刀祢田さんに、昨年7月、さくらFMのスタジオにお越しいただき、能登半島地震直後の大谷町の状況などお話いただきました。

 



避難先の大阪の住宅を引き払い、大谷町に帰るという前日、11月12日(水)インタビューさせていただきました。

-大谷町は昨年、大地震のあと9月21日の豪雨でも甚大な被害がありましたね。

その時は大谷にいて、土砂が流れてきたところまで様子を見に行ったんですよ。7時半ごろ。そしたら、すごい石が落ちていて。その後、学校に行ったら学校の前が水浸しになっていて、消防団と消防署員が一生懸命ポンプで水を中庭から外に吐き出して、床上浸水はしなかったんですけど…みんな大変な目に遭いましたね。

-あの雨で山が崩れてしまって。

すごくね。道があって田んぼがあったところが丘のようになって、こんなに土砂が崩れて溜まるものかと思いました。


-仮設住宅が間もなく完成する、その直前でしたね。

浄化槽がダメになって、仮設団地の入居は3ヵ月遅れて12月になりましたね。

-前回のインタビューで、大地震で大変な被害を受けて、大谷に人が戻ってくるかどうか難しいと仰っていましたけど、豪雨でさらにダメージを受けましたね。

そうですね、住むところがなくなって。地震後、更地にして、家を建てようと思ってた人もいたと思いますが、大谷の中心が全滅、もうほとんど壊滅状態になって、また土砂崩れが起こるかもしれない。家を建てたらいけない地区になってしまったりで、さらに減るんじゃないかと思います。

-いま大谷町はどのような状況でしょうか?

復旧半ばと言ったらいいのでしょうか、酷いところは大分良くなりましたけど、今、一生懸命、護岸工事やらいっぱいやってます。まだ川も道も崩れたまんまだし、少しづつ治ってますけどまだまだですね。

 

(豪雨から約1ヵ月)

-昨年のインタビューでは地元・大谷に帰るか、大阪で生活するか、思案されていましたね。

ホントは去年の暮ぐらいに大阪の住宅を引き払おうと思っていましたけど、まだいいかなと思って、大阪にほんの少しいて、大谷に帰ったりしてましたね。大阪の住宅は光熱費だけで住まわせてもらっていましたけど、今年8月に来年から家賃がかかりますと通達を受けたので大谷に帰ることにしました。9月から10月に1ヵ月くらい大阪にいて、その時に引っ越しの段取りをしてました。

-大阪のお家を引き払って大谷に住むという決断したのはどういうお気持ちですか?

元々大谷にいようかなというのがあったのと、この後どうなるのか、こういう酷い状況から復旧していくのを見てみたいというのもあって。大阪にいてもすることが無いので、テニスもしながら。

-そう、大谷でテニスされててお仲間もいらっしゃるんですね。

火、木、土とやってます。

-それにしてもこの大阪の住宅いいお部屋ですね。

 

新築ですし、ありがたいことに身体1つで来ていただけば大丈夫ですよ、でしたから住むには快適ですね。ましてやあの悲惨な状況からこっちに来たから、もうホントに天国と地獄ですね。

-お兄さんお姉さんも同じ大阪の住宅に避難されましたね?

大阪に残ります。両方とも家は解体したので。年なので、80になりましたのでね。

 



ー私と、私の共通のボランティアの女性が、静岡県の竜巻(9/5発生)の被災地、吉田町にボランティア活動に行った話をしたところ、刀祢田さんは被害が大きかった牧之原市に行きボランティア活動をされました。70歳、若々しく、非常にフットワークが軽く、その行動力は、年齢を感じさせません。

-大谷で最近アルバイトをされていますね。

広栄寺という大きなお寺がありまして地震で潰れました。(ご住職が亡くなられました)その後、9月の豪雨で一帯が土砂で埋め尽くされて、2階くらいの高さまで土砂で埋まってしまいました。広栄寺の横にある小さな川も土砂崩れで、その川の工事を石川県の加賀の奥から土木業者が来てやっています。人が足りないのか、させてくれてるのか分からないですが、住民さんやボランティアも含めて、来れる人はアルバイトに来て下さいということで、そこの工事手伝っています。

-バイト代をいただいて?

時給が良かったです。40代や20代の男の子も一生懸命頑張ってます。おかあさん連中も、行ってますし、ありがたいことです。

-地元の方々も復旧のお手伝い、という実感を持ちながらアルバイト代もいただけて、前を向いて進む力になると思います。ところで、ご自宅が準半壊、住めるような状態ではなかったと仰っていましたね?

そうですね、そこらじゅう壁も剥がれて、荷物はぐっちゃぐちゃで大変なことになって、なかなか片付けられませんでしたね。1年くらい夜だけは家で、あとは避難所でご飯のお手伝いとか出来ることをやってました。

-浄化槽が、やられてしまったとお聞きしましたね。

浄化槽が浮いてしまいまして、友達に重機を借りて、1回横を掘って周りを崩して、浄化槽を空っぽにして釣り上げて、パイプを切って、次に整地して広くして自分でパイプ繋いで使用できるようにしました。

-自分で?

助けを借りたこともありましたけど、浄化槽関係をやってたので、大体分かります。

-水は使えます?

使えない。天気の良いときの川の水を使っています。ポンプで1回タンクに上げて、そのタンクから大きいタンクへ入れて、洗濯や生活水はそれを使っています。浄水場がないのでそれをするしかないのと、前に使っていたタンクが雨で埋まって使えなくなってしまったので、ボランティアさんからいただいたタンクとポンプで助かりましたね。

-天気の悪い日が続いたらどうしますか?

地震で崩れたところから水が流れてきて、そうじゃなくても水が濁るので、それを入れると大変なことになります。1トンくらいあるので1トンあれば3日くらいは持つので、最悪風呂とかで使わなかったら大丈夫かなと。

-不便ですよね。

特にダメかなということはない。ただ水が無ければトイレが出来ない、出来ないことはないけど。学校の仮設トイレがありますので、我慢出来ないときはそこでやれるし。地震当初から比べたらすごい楽ですよ。

 



-今後の大谷町、元通りにはならなくても、住民の皆さんが住みやすい町になったらいいですね。

元通りにはならないですね。でもあっちこっちに人の姿があったり、人の生活圏があったらいいなと思います。今は仮設住宅に人がいて、他に1人、2人ポツンポツンといる程度なので。どこに行っても人がいるような感じになればいいかなと思います。若いボランティアさんたちが移住してきたので、家庭を持って住んでいただければ一番ありがたいけど。
 

-移住してきた若いボランティアさんたち頼もしいですね。

最初、来たばかりのときは地域のことも分からんし、教えてとか手伝ってとかって言われたら、いいよって行ってたので、当時は一緒にいっぱいボランティア活動が出来て楽しい、といっては変ですけどね。


-移住者さんも町に慣れてきた感じですか?

もう若い子たちはリーダー的な恰好になってますね。学校での催しや、仮設住宅でこのようなことをしますから参加して下さいとか、若い子たちが仕切ってます。地域の人に喝を入れながら、彼女らが一所懸命頑張ってくれています。

-ご高齢が多いですし、活性化になりますね。

あと、若い命が芽生えてくれたらいいなあと。小学生は元々24~25人位しかいなかったのが地震後5人になったので。

 

-少しづつ町が出来ていくといいですね。


悪いことばっかりじゃないと思うので、1つ1ついい方向に向かっていくと思います。

-今、伝えたいことは何ですか?

地元の人たちは皆さん、復活を夢見て頑張ってますので応援して下さい!もし出来れば来ていただいて見ていただいて、こんな酷い目にあったんやと知っていただいて、人の姿を見るだけで、元気づけられると思うので、良かったら来て下さい。

ー被災地ってまだ行ったらアカンかなとか、思わないでほしいですね。

来てください。酷いところ見て下さい。こうゆうこともあり得る。いつどこで何が起こるかわかんないので。見ていただくだけでも、何かあった時になんかの足しになるかもしれない。現地で分かることもあるのでぜひぜひホントに見て下さい。人がたくさんくれば色んな店も出来るだろうし、道も良くなってくるだろうし、それに対して人も明るくなっていくだろうと思います。

 

 

 

 

(12/1 ON AIR LIST)

M1.松たか子/いのちがつづく

M2.ディープ・パープル/Smoke On the Water

M3.Kiroro/Best Friennd(ゲスト リクエスト)

M4.ナターシャ・グジー/アヴェ・マリア(リクエスト)

M5.信政誠/呪文(リクエスト)

M6.松任谷由実/恋人がサンタクロース(リクエスト)

M7.Mayura/夜空ノムコウ