陽射しは夏、風は秋、という日々が続いてますねー。
どーでもいいことですが、「秋が深まる」という表現が好きです。
夏の空気の中に、次第に秋が入り込んで浸透していく、そういう雰囲気がよく表れた表現だと思うので。
図書館は旧館には空気がこもり、新館には陽射しがなだれ込み、という感じでどちらに行こうか迷うくらいです。
どっちもやだヨー。
世界柔道を楽しみにしていた一柔道ファンとしては、ちょっと残念な結果が続いてます・・・。
本当はちょっとどころじゃなく残念だけど。
何が残念かって、日本勢が勝ってないことよりも、「柔道」ってこういうものだっけ?という違和感があること。
組み手を見ていても変則的過ぎたり、技も綺麗ではなかったり、かけ逃げし過ぎじゃないかと思ったりと、見ていてあんまり気持ち良くないというか。
国際的な流れとして、技をかけた選手よりも倒れながらでも技を返して、とにかく相手を畳につけた選手にポイントがいく、という見方があるようです。
日本では、基本先に畳に倒れた方、もしくは先に技をかけた方にポイントがいく傾向があるので、その相違のせいで審判の判断に疑問を感じてしまうのだそうです。
なるほどね。それが世界のJUDOというものなのでしょうね。
日本の「柔道」ではなく、世界の「JUDO」。
それが時代の流れというものなら、その中で勝つ「柔道」を作っていくのが、
「柔道日本」というキャッチコピーを掲げる日本柔道界の役目なのでしょう。
どんな選手でも試合でも、「勝って当たり前」ということはないのだと思います。
金メダルだけがすごいわけではなくて、銀メダルだって銅メダルだって十分すごい。
でも、あの試合場の中には勝ち負けしかなくて、勝者は勝者で、敗者は敗者でしかない。
勝負にも勝ってほしいし、試合内容にもこだわってほしい、というのが本音。
・・・言葉にするのが難しいな。
私が感じる違和感はそういうところだけではなくて、
例えば、礼の仕方を見ても線の前でするのか、後ろでするのか、
礼をするときの手の位置とか、動作とか、
細かいといえば細かいのですが、そういう礼儀作法がすこし杜撰なのではないか、と。
「礼に始まり、礼に終わる」、それが柔道の基本だと教え込まれた私たちは礼の仕方から正座の仕方まで
みっちりと何回も練習した記憶があります。
礼を誤ることは試合で負けることよりも恥ずかしい、たとえ勝ったとしても恥ずかしいと思ってました。
JUDOというスポーツは世界に広がっていっても、柔道の精神は広まっていかないのかな、と思うと少し残念です。
それに、日本人選手の試合しか放映しないのもどうかと思うのですよねー。
私としてはもっと他の試合も見たいのになぁ。
世界陸上とか世界水泳では、外国人選手しかいない組のも放映してたのに。