明けましておめでとうございます。


今年もどうぞよろしくお願いいたします。


 みなさんに結婚のご報告をしたのと同じ頃に、彼のおうちへご挨拶に伺いました。


お父さんもお母さんも、無職バツイチの私をあたたかく受け容れてくれました。


本当なら初婚でピチピチのOLさんをご希望だったでしょうに、

現れたのは無職バツイチ37歳のわたし・・・・・。


お父さん、お母さん、すみません↓↓↓


内心ではご両親に土下座していました。


お父さんは、


「結婚に関することは、あなたたちが二人でよくよく話合ってから決めるように」と、おっしゃいました。


きた~っっっっっ!!!!!!!


この言葉、1回目の結婚の時にも聞いた~っっっっっっ!!!!!!


「お父さん、ありがとうございます。

これからどうぞよろしくお願いします。」


と、言いつつ、


「あ~、また始まるか~。」と、覚悟する私。


そう、親の「あなたたちが二人で決めなさい」というセリフは、


「親が口を出さない事柄に対してだけ、あなたたちが二人で決めなさい」という意味です。


親はね~、初めは「二人で決めなさい」とか言うのですよ。


だけどそんなのすぐに忘れて、ちょっかいを出してくるのですよ。


わかっちゃいるんだけど、ね~(ため息)。


私の親には、


「お母さん、ごめん。

一生に一度の結婚のはずが、2回目に突入します。

普通なら一度でいいお手数を、またおかけします。

ほんっとに!ごめん!」


と、謝りたおしました。


実の母親とも若いころは、反りがあわなくて仲がわるかったのですが、

お互いに年齢を重ねると共に相手の気持ちや苦労もわかるようになって、

尊重しあえるようになってきました。


この時も母からは、


「最初の結婚のときにあんたを可愛がってもらったから、今度は何にも期待してない。

あちらは初めての結婚だから、あちらのご希望に添うようにしなさい。

こちらからは何も言わないから。」


と、ありがたい言葉をもらいました。


私の家族は何も言わない。

私も何も言わない。


それなのに、結婚に向けて難航しています(笑。


彼と話し合って、結婚披露宴はナシにしたいと決めていました。

けれど彼のご両親の希望は、披露宴をしたいと。

親心はわかりますから、嫌がる彼を私が説得して披露宴をすることになりました。

ところが「披露宴に仕事関係の方を招待すると、人数が増えてキリがなくなる」というお父さんの意見で、

今回は身内だけで質素な披露宴を。


そして3年後に、会社の創立記念と結婚披露宴を一緒に大々的に行うと・・・・。


なんで3年も後になって、披露宴やねん。

わたし、40歳やで・・・・・。

ウェディングドレスなんて着たら、ホラーやん・・・・・・・。


まあ、ここはぐっと我慢して・・・・。


 新居は彼の希望で今風なアパートにしようと、物件を探していました。

私は今の部屋(家賃2万円)で十分だと考えていましたが、彼の結婚に対する夢も希望もあるだろうから、

私が折れることにしました。


彼の、

「リビングは20畳以上ね~」とか

「部屋は3つ以上な~」なんていう現実を知らないがゆえの甘い希望を、

「そんなに広いと、一人でいると凹むよ~♪10畳あれば十二分!!」とか

「部屋は2つあったら十分だよ~♪」と、軌道修正しながら物件を探す日々。


そんな矢先、お父様が言ってくれました。


「二人ともお金がないのはわかっているから、しばらく一緒に住むのを我慢して200万円貯めなさい」


200万円って、なに?

その金額の根拠って、なに?

ってか籍だけ入れて、お金のために別居??


まあ、ここはぐっと我慢して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。


その他にも、お父様が色々と大暴走してくれまして、話は二転三転しています。


とりあえず、一番聞きたいことは、


「この結婚は、誰の結婚なの?」


もしかして彼と私ではなくて、お父さんの結婚だったのかしら?????


それともう一つ聞きたいのは、


「口出すなら、お金も出してくれるの?????」


まさか口だけ出して、お金は出さないっていうんじゃあ・・・・・・・・。


 ちなみに前の結婚披露宴のときは、相手のお母様が希望することにはお母様ご自身がお金を出してくれたので、ドレスも着物も式場も変更しました。

式場を変更と言うとびっくりされるのですが、お金を出してくれたからわたしは構わないです。


しかし今回はまだ、読めない・・・・・。

あまりの変更ぶりに、早くもストレスを感じて鼻血を出してしまいました。

鼻血なんて何年ぶりだろう・・・・・・。


まあまあ、こんな私を受け容れてくれた彼とご両親のためにも、もう少しだけ頑張ってみます。


そのかわり、私がキレたら知らないから(笑。



















 






 

 結婚することにしました。


37歳 バツイチ 無職、貧乏すぎて年金は免除中、健康保険は加入していない、

ちなみにアパートの家賃は2万円です。


崖っぷちどころか、すでに崖からダイブしてるんじゃないかと心配していましたが、なんとかなりそうです。


上記のとおりナイナイ尽くしの私を好きだと言ってくれる方がいまして、

人生で最悪の時期の私を好きになってくれたのなら、この人の気持ちは本物だろうな~と考えた次第です。


一番イケてない時期の私に惚れたのなら、これから先もカッコつけなくていいし。


まだ出会って4カ月。

付き合いだして1カ月しかたってないですが、来年の3月に結婚します。


いわゆるスピード婚です。


なぜか??


前の結婚のときには念には念を入れて、プロポーズされてから2年間お付き合いをしました。


「2年もきちんと付き合ったのだから、ばっちり!」と思って結婚したのに、残念な結果に終わりました。


この時に学んだのは「ダメなものは、ダメ」でした。


時間をかけようが手間をかけようが、ダメなものはダメ。


それなら思い切って飛び込んでみたほうがいいと、自己責任で決めました。


周囲は「スピード婚なんて、大丈夫かっ!?」と心配してくれています。


ここだけの話、結婚なんてイヤになったらやめたらいいやんと考えています。

だから内心では「イヤになったらすぐやめるし」って思っています。


自分を大事にして、その結果「この人と一緒に暮らしていくのは無いな」と判断したら、離婚してもいいと思うのです。


前の結婚はとても幸せな結婚でした。


だけど彼との生活を10年して、自分なりに色々と考えた結果、


「ここから先の人生は、彼とはちがう人生を歩いていこう」と決めました。


人は成長も変化もします。


お互いに変わっていくのですから、途中からちがう道を歩きだしてもいいと思うのです。


「こどもは?」と聞かれるかもしれませんが、こどもはまだいないですし、こどもも含めて状況に変化が生じたら、またその時に考えればいいと思うのです。


前の結婚で離婚を決めたときに一番多かった質問は


「病気をしたら、どうするの?」でした。


いつかかるかわからない病気におびえて、新しい一歩を踏み出せない人が多いのでしょうね。

そんなん病気になった時に考えたらいいやん・・・・・。


離婚の理由は


「愛が冷めたから」でした。


「我慢しなさい」って何度も言われたけれど、最後まで意味がわかりませんでした。


愛が冷めても一緒にいる理由があれば、一緒にいたらいいと思う。

世の中のほとんどの夫婦が愛だけじゃなくて色々な気持ちに支えられながら、一緒に暮らしているはずです。

親子愛だったり、情だったり、気楽さだったり。

そういう気持ちで一緒にいるのは、とても素敵なことだと思います。

たとえ愛がなくても、実際に一緒にいるという選択をして暮らしているのだし。


だけど我慢してまで一緒にいるなんて、相手にも失礼だと思うのですが。


今度の結婚には、あまり多くを求めていない「つもり」です。


生きていけるだけの糧を得られれば・・・・・と考えています。


あふれるような愛や、甘いあまい愛情表現は・・・・少しでいいです(笑。


知っていますか?


「一人でいる時の孤独」よりも


「二人でいる孤独」のほうが、じつは辛かったりします。


一人で「淋しいよ~!!」と言っているときは、どこかで自分なりに納得しています。


だけど二人でいる時の「淋しい・・・・。」という感情は、どえらい破壊力です。


結婚にさいして一番怖いのは、この二人でいる孤独です。


それだけが、怖いです。


だけどこれからは崖っぷち生活の中にも、少しずつ幸せなニュースをお伝えできると思います。


「こいつ、どうなるんだろう?」と心配しながらブログを読んでくださっている皆様、どうぞこれからもよろしくお願いします。


今年はクビが2回、引越しが1回、就職が1回、中国行きが1回、プロポーズは5人くらいからされたかな?、それから死にたいと思ったことが1000回くらいありました。


だけど1度でも「生きてて良かった!」と思えたら、それでOKだと思います。


あ、彼のことをご報告するのを忘れていました。


彼は私と同じ37歳。


私は結婚2度目ですが、彼は初めてです。


仕事は社長です。


わたし、社長婦人になります。


無職 37歳 バツイチ の崖っぷちから、社長婦人・・・・・。


人生って、ほんっとにわかんないものです・・・・・。



 先日、敬愛する大好きな方から「息子の名付け親」をしてくれないかと打診を受けました。


とんでもねぇっ!!!!!!


もちろんしないですともっ!!!!!!


人様のお子さんの名前を付けるなんて、私には荷が大きすぎます!!!!


だけどお申し出をいただいて、とっても嬉しかったです♪


  今まで37年の人生の中で、一番とんでもなかった申し出は、


1枚ン千万円とか書いてある定期預金の証書とか、有価証券をずらぁ~っと見せられて、


「どれでも欲しいのをあげる」と言われたこと。


その場で丁重にお断りしました。


私がいただく筋のものではなかったから。


ど貧乏な暮らしをしている今、その時のことを思い出しては「おしかった」と、後悔しないでもありません。


だけどやっぱりもらってなくて、良かったと思うのです。


だってあの一件のおかげでわたしは、ン千万円のお金を突き付けられても動かないという自信ができたから。


人はね、お金ではなくて、気持ちで動くんだと知った次第です。


・・・・・・・・ただし、億単位だったらわかりませんが・・・・・・。




 離婚が成立した日は、素晴らしく晴れやかな空が広がっていました。



私の家出からはじまった別居、いつ終わるかわからない話し合いを何度もなんども重ね、離婚できる日はくるのだろうか?と、ずっと真っ暗な気持ちで過ごしていました。


 離婚の理由は、いまだによくわかりません。

強いて説明するならわたしが、「もう一緒にやっていけない。」と思ったからです。

優しい夫、何の不自由もない生活、保障された老後、楽しい贅沢、主婦という安全な場所、すべていらないと思いました。

なぜだか最後まで、自分の居場所を見つけられませんでした。


離婚はしないと言っていた元夫がやっと離婚届けに判を押してくれたのは、別居をはじめてから1年5か月後でした。

この時間が長かったのか、短かったのか、それもいまだによくわかりません。


次の日、わたし一人で書類を提出しに行きました。


婚姻届を提出するときは二人で一緒に車に乗って、市役所へ行きました。

大好きな人と一緒になれた、社会的に夫婦と認められるたことが嬉しくて、受付の方に「おめでとうございます」と言ってもらったときに、とても得意で幸せな気分になったのをおぼえています。


あれから9年。


一人で自転車で、市役所に離婚届けを提出に行きました。


自分で望んだ離婚のはずなのに、不安でいっぱいでした。

これからどうやって生きていくのか?

果たして一人でやっていけるのか?

夫の心を傷つけたバチがあたるのではないか?


不安と離婚の恥ずかしさからおどおどして、身体をかくすようにして順番を待っていました。


自分の順番がきて「あの・・・・これを、お願いします」と、おずおず離婚届けを提出しました。

係の女性は年配の方で離婚届けも手慣れた仕事の一つらしく「はい、わかりました」と、きわめて事務的に受理されました。


提出したあとにまた不安になって、

「あの・・・・・離婚が成立するのは、いつからでしょうか?

すみません、その・・・これからの手続きなどもあるので、知りたくて・・・・。」と、小さな声で聞きました。


すると年配の女性は急に、キョロキョロと周囲を見渡しました。

人でごった返す市役所で誰もこちらを気にしていないのを確認すると、

いきなり身体ごと私のほうに移動してきました。

それでもまだ足りないようで、さらに顔を寄せてから私にだけ聞こえる小さな小さな声で、





「おめでとうございます。離婚はたった今、成立しました。」と耳打ちしてくれました。




私も小さな小さな声で「ありがとうございます」と、お礼を言いました。



庁舎の外に出ると、素晴らしく晴れやかな空が広がっていました。






 先日のブログに「ハローワークで泣きそうになった」と書きましたが、今日はとうとう泣いてしまいました。


今日はハローワークのキャリア相談の日でした。


 自分の仕事の経歴や実際にやった仕事などを書いて、相談員の先生(60代・男性)と相談しながらきちんとした形になおし、面接の際に自分を売り込む材料にする資料を作るためです。


つまり「就職面接で自分を売り込む書類」作りです。


前日に頭をひねって自分なりに、長所や実績を書いて行きました。

普通の人は与えられた仕事に対する実績を書くはずですが、私は「与えられた仕事なんて、できて当たり前やし」と、プラスアルファの実績を書き連ねました。

文章を書くのは好きですから出来上がった経歴書は、「どうだ!」と自信満々でした。


ところが相談員の先生は、否定的なことばかり言います。


「ワードでなくエクセルで作成したんか?」


「これは基本的な仕事じゃないやんな?」


「この仕事は自分がしたんか?あぁ、手配しただけで他の人がしたんやね。」



「それはですね~♪」と、内心イラっとしながらもニコニコしながら笑顔で説明していました。


がしかし先生が、「で、この医療事務の仕事はもともとドクターの補助やったんやろう?」と言ったときに、ブチ切れました。


仕事に補助もクソもあるかっ!私はわたしの意思で、自主的に仕事しとったわ!!

誰かの添え物的な仕事なんて、やってないわっ!!!!!!!


一瞬迷ったのですが、生まれて初めて「笑顔の仮面」を外す瞬間を他人に見せてしまいました。


それまでニコニコしていた顔が一変して、眉間にシワが入って危ない目つきになったのが、自分でわかりました。


今年に入って2度のクビ、面接を受けても落ちてばかり、とうとう雇用保険も切れてしまってこれから先どうやって生活していけばいいかわからない。

それでも他の人に弱ったところは見せられないと、いつでも笑顔で過ごしてきました。

前回の相談でも否定的なことを言われ、他のハロワの担当者からも「その年齢では・・・。」と否定されても、なんとか笑顔を保っていました。

だけど、もう限界でした。


「どういう意味ですか?」


誰にも見せたくなかった無表情な顔で、誰にも聞かせたくなかった低い声で聞き返しました。

さっきまでの「仕事が決まらなくて困ってるんです~!助けてください~!」という、逆境でも笑顔で前を見て進んでいるキャラクターのきよこは消えて、追い詰められた動物が一匹いました。


ご年配の先生が一瞬、目の奥でおびえたのがわかりました。


「こいつはもしかしたら、まともじゃないヤツかもしれない」と、迷ったのもわかりました。


けれど先生は冷静を装って、こう聞きました。


「あんたの基本的な仕事は何やったんや?」


「医療事務です」


「医療事務で何が仕事やったんや?」


「点滴や注射の準備をしたり、診療報酬を請求したり、バイタルを測ったり、処方せんを書いていました」


「それは何のためや?」


「患者さんのためです」


「それから?」


「先生がすぐに治療できるためです」


「あんたの一番の仕事は?」


「病気の患者さんに負担をかけずに診察することです」


「診察しとったのはあんたやないな?誰や?」


「先生です」


「あんたは先生の手伝いをしとったんやろう?」


「そうです」


「あんたの仕事は先生の手伝いやな?」


・・・・・・認めたくない。私はわたしで仕事をしてきた。だけど先生の手伝いが仕事かと聞かれたら、そうですと答えざるおえない。


「・・・・・そうです。そうですけど・・・・・・・・。」


それまでの攻撃的な気持ちが折れた。

もう強気でいることさえできなくなっていた。


涙がポロポロとこぼれてくる。

私はわたしの仕事をしてきた。

誰かがいないと仕事にならないなんて認めたくない。

ずっと自分で考えて仕事をしてきた。


だけど現実を見ればわたしは単なる、「歯車の一つ」だった。


先生は急に泣きだした私の顔をじっと見ながら言いました。


「この経歴書には、それが書いとらん。とても大事な仕事なのに、書いとらん。」


その瞬間、先生の伝えたい事がわかりました。


私は与えられた仕事を「できて当たり前」と見くびっていた。


「私はそんな仕事だけでなく、こんな事もできるんですよ!ほらね!私ってすごいでしょっ!」


19年間の仕事を綴った記録は、「わたしが!わたしが!」という単なる「わたし」の羅列でした。

読む相手の気持ちをまったく考えていない代物でした。


そしてそれは、わたしの生き方だということもわかりました。


いつでも「わたしが!わたしが!」と声高に主張して、相手を受け容れようとしない。

何度も変わった仕事、履歴書に書き連ねた職場の多さが、失敗の多さを物語っていました。

そしてその失敗の多さを隠すことも、ごまかすこともできなくなってしまった。


「先生の言っていることは図星なんです。だけど今それを認めたら、私がやってきたことが全部ムダになってしまう・・・・・。」


わたしの19年間がガラガラと音をたてて崩れていくのを感じながら、泣きました。


「だけど認めないといけませんよね・・・・・。ほんとは今は反省してるんです。

たとえば以前の職場で社長と対立したこと。

社長が、一番偉いんです。

たとえ社長が間違っていたとしても、従業員の私は社長の意思を実行するのが仕事なんです。

今ではそれがわかります。

だけど自分が19年も間違っていたと、認めたくなかったんです。」


先生は「うんうん」とうなずいてくれました。

私の間違いを気付かせようとしていた時は否定的な態度だったのに、今はすべてを受け容れてくれようとしています。


「認めたくはないのですが、認めます。

私は自分勝手で協調性がありませんでした。

与えられた仕事を見くびっていました。

一番大事な基本をおろそかにして、自分を良く見せようとばかりしていました。


認めないと、先に進めないですよね?

今は1歩でも先に進みたいです。」


急に先生は大きな声で言いました。


「1歩どころじゃないぞ!!

これはものすごく大きな前進や!!


あんたは頼まれもせん仕事を、たった一人でこれだけやってきたんやっ!!

これは素晴らしい事やぞっ!!!


これに基本っちゅう土台と、周りの人間の協力が足されたら、ものすごい事になるぞ!!!」


 この頃にはもう、先生の気持ちを考える余裕も出ていました。


人にアドバイスをするのは、ものすごく疲れることです。

たとえ仕事でも、感情をむき出しにした相手とは向き合いたくないはず。


けれど先生はあえて私を追い詰めて、本音を引き出してくれました。

恨まれるかもしれない、理解してもらえるかもわからない、そんな状況でも先生は悪役をかって出てくれました。


それは私のため。


その気持ちがありがたくて、また涙が出ました。


最後は泣き笑いになりながら先生に聞きました。


「トラック運転手をやりたくて面接に行ったんですけど、どうですか?」


「あんたは人と一緒にやる仕事と、自分のアイデアを活かす仕事が向いとる。

それは検査結果にちゃあんと出とる。トラック運転手はあんたには向いとらん。


面接、落ちたらいいな(ニヤリ)。


これから自分と向き合って、自分がやりたい仕事、向いとる仕事を探しなさい。」


泣いて、自分の間違いを認めて、カッコつけるのをやめて、すっきりしました。

また月曜日から前進します!!