魂の共鳴を偉人から感じて | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。




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私達のよく知っている偉人が、
宇宙の法則を語っているのを見つけたので引用したいと思います。


その人物は真理の探求者でもあった
インドの指導者ガンジーです。


私はガンジーは単に平和の使者であり、
インドに思想で影響を与えた人間かと思っていましたが
その言葉を見て思わず微笑んでしまいました。


ガンジーが真理を探究しながら、
自らは徹底した禁欲的な意識を追及したと言う話からも


そして格言の内容からも、
ガンジーが到達していたのは私達にとっての共通真理である
宇宙の法則だと確信しました。


ガンジーが短い言葉の中で
キリスト(真理)を語っているものを数点紹介します。


私がふれる事無くても、兄弟姉妹や理解者は
読めば直ぐに理解する事もできるはずです。


この社会の中では自ら”格言”を語る人間は少なくありません。


ただ、私はそんな多くの格言を見ても
それに共鳴を感じる事は殆どありません。


理由は簡単で、その価値観が心の価値観に根ざしていて
それを心地良くするための物が殆どであるから。。。


そして魂からの共通認識を語ったものではないからです。


それは私達の魂を揺さぶることは出来ないのです。


私達は創造主の想いとしての魂からの共通認識を
何となくでも理解できるようになっています。


私達は真理を聞くと共鳴を感じる事になるはずです。


アダムスキーや天使達、そして
聖書の時代ではパウロが語った御霊の想い。


それをこの数個の短い格言から感じて欲しいです。


せん越ながら、(ガンジーの偉大なる魂にも)
例によってコメントをつけさせて頂きます。


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束縛があるからこそ、私は飛べるのだ。


悲しみがあるからこそ、高く舞い上がれるのだ。


逆境があるからこそ、私は走れるのだ。


涙があるからこそ、私は前へ進めるのだ。
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創造主の意識=御霊の想いに照らせば
これは経験を重んじる意識として認識できます。


”不快な想い”を体験すればこそ
”心地良い”という想いを深く理解できる。


不自由を感じるからこそ自由を認識できる。


それらは全ては私達の体験から生じる感覚だと思います。


私達の心は体験から多くを学ぶ事になります。


そして本来その心の価値観を作り上げているのは、
私達が視覚・聴覚。味覚・嗅覚で体験した現象を
私達の心が好きと嫌いで判断する事でした。


ただ、私達宇宙の法則を理解するものは
それを好きと嫌いで判断するのではなくて
対象や現象を正しく認識する事が求められていました。


同じ”理解”にしても、
それは他人からの知識と自ら体験して学んだ物とでは
その理解度も大きく異なることを私達は学習しています。


知識ばかりの頭でっかちになっても
私達は進化する事は出来ません。
(知識は大切ですが)


私達は生きた知識を得るために
何事をも自ら経験することが大切だと思います。


「君子危うきに近寄らず」ではなくて


「虎穴に入らずんば虎子を得ず。」


これが覚醒者に求められている意識です。


アダムスキーも触れていましたが、
失敗や過失を恐れて何もしなければ
私達には進歩はないのです。


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重要なのは行為そのものであって結果ではない。


行為が実を結ぶかどうかは、
自分でどうにかできるものではなく
生きているうちにわかるとも限らない。


だが、正しいと信じることを行いなさい。


結果がどう出るにせよ、
何もしなければ何の結果もないのだ。

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充足感は、努力の中にある。
結果にあるのではない。


努力することが
成功することになるのだ。


真実はすべて心の中にある。


人はそれを探し求め、
真実によって導かれなければならない。
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宇宙の法則的に取り上げれば、
何よりも”行動の動機が大切だ”という話に繋がってきます。


「私達の想いこそが行動を生じさせる」
と言うことを私達は理解しています。


その時に私達を行動に移させたその想いこそが大切であり
それを私達は”動機”と認識します。


以前触れた事がありましたが、


難病で苦しんでいる人間を救いたいと言う動機で医学部を目指し、
結果不合格となったとしても


その結果である不合格がその人間の全てではなくて、
その動機として持ったその意識とそれを達成しようと努めた努力こそが
私達にとっては大切なのだと言う事です。


この社会は”結果”こそが全てであり
その動機や見えない努力は一切社会的な評価の対象とはなりません。


しかし私達のその想いとその努力は
間違いなく私達に何かを学ばせる事になっているはずです。


私などは努力して目に見える結果を出した事はありませんし
当然社会からも評価されるようなものを持ってはいません。


でも開き直るわけでなく
自分がその時に懸命に努力したと言うその行為だけは
自分の成長に役立っていると思います。


(残念ながらその時の動機に関しては個人的なエゴですし
それに関しては何の進化も齎さないでしょうが)


そしてガンジーは自分が正しいと感じる事を
行いなさいと言っています。


もちろんその判断の主体は自分自身です。


他人の言動に左右されるのではなくて
自分が魂の経路を通じて正しいと認識した事を実践すれば
それがどんな結果になろうと私達は後悔する事もないはずです。


そしてそこからも私達は何かを学び
進化を果たすのだと思います。

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生は死から生じる。


麦が芽吹くためには、
種子が死なねばならない。


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どこかで見たような言葉だと気がつくと思いますが、
そっくそのまま聖書のイエスの言葉と同様に
理解して頂ければ良いと想います。


ところで”復活”とか”生まれ変わり”も
これと同様の例えであると認識する事ができます。


”復活”と”生まれ変わり”は、肉体的な生命の復活(転生)だけを
指し示している言葉ではないのです。


例えば聖書の中ではイエスキリストは
一般市民を”死者”に例えていました。


「死人に死人を葬らせよ。」


これはイエスについていこうとした人間に対して
イエスが語った言葉です。


イエスに従おうとした人間はイエスの言葉に何かを悟った人間です。


一方その他の人間は、イエスにしてみれば


「見ているが見えていない、聞いているが聞いていない、
もしくは見て聞いているが自ら思考して悟らない人間。」


つまりは”死人”だと表現したのだと思います。


http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11350189539.html
イエスの教え VOL3


そんな死人は生きていると言っても、
自分の仮の器であるこの肉体に備わった機能である
心に従って生きているだけで


”本当の生”を生きているわけではないと言う事の
例えだと思います。


私達はそんな”心に従って生きている自分を死なせた”時に、


つまりは心ではなくて魂に従って生きていく事を選択したときに
本当の生を受けることになる。


これが”復活”と”生まれ変わり”のもう一つの意味でもありました。


パウロが語っていたように
私達は肉に対して死ななければならないという事です。


新約聖書の放蕩息子が心を入れ替えて父の元に帰った。


あれこそが私達の復活、
”生まれ変わり”のもう一つの意味だと言う事です。


放蕩息子が父の元に帰った時に

父は「息子が死んでいたのが蘇った」と表現していたはずです。


私達は一度心に対して死ななければ
魂をもって生き返ることが出来ない。


イエスの放蕩息子の逸話はそんな意味をも含めているはずです。


http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11092572275.html
真訳聖書 VOL7
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非暴力は暴力よりも無限に優れているし、


許すことは処罰するより遥かに男らしい。

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ガンジーの非暴力思想は有名ですし
これは番外として入れておきます。


これは男の資質にも関わる話です。


本当に強い人間はやたらと暴力を振るったりはしません。


その理由の一つは心に余裕があるからかもしれません。


悪い例えをすれば


「その気になればお前なんていつでも叩きのめしてやれる」


そんな自信に満ちた強者は
弱い人間に暴力を振るったりもしないはずです。
(昔私もそんな意識を持っていました)


得てして暴力に訴えるのは
自分の強さを過度に強調して見せたい人間。


それと、何でも自分の思うがままに為そうとする
身勝手な人間だと思います。


私も生きてきて、
喧嘩など売られたら絶対に勝てないだろうなと言う
人間達に数人は出会いましたが


そんな人間ほど早々と他人に暴力を振るうような人間では
ありませんでした。


威張るわけでなくてかえって腰を低くしていたり
他人とは対等の意識を持っていました。


だから私はたこ殴りされずにすんだわけです。(苦笑)


そして本当の男らしさ、そして人としての強さは
荒々しく乱暴であることではなくて、
人間の精神の強さのような現れ方をするのだと思います。


そしてここでも本当の強さとは精神的なものであると
ガンジーは触れているのだと思います。


残念ながら私には今ではこれが欠けています。


ただ、勘違いして欲しくないのは
ガンジーは”非暴力”を訴えていたのであって
”無抵抗”を主張していた人間ではないと言うこと。


力を持って相手をねじ伏せようとか
自分の意思を貫こうとしたのではなくて


それを思想と非暴力で実践して見せた人間だと言うことです。


強い意志と正義感と勇気があった証拠だと思います。


今のこの社会の中では失われつつあるその想いを
ガンジーは備え持っていた事になります。


これは本当であれば私達も見習うべき意識です。
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自分の知恵を
確信しすぎるのは賢明ではない。


一番強い者も弱り、
一番賢い者も誤るということを、
覚えておく事が健全である。

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これは言うまでもなく”謙虚”を表現したものだと思います。


私達の進化にとっての大きな妨げになるのは、
自らを過大評価する事や
高いプライドを高く持つような行為でもありました。


高いプライドをそのまま向上心と努力へと
変換できる方にとっては障害とはならないかもしれませんが


努力なしにプライドを保とうとすれば
そこには負の意識が働く事になるからです。


私達が宇宙の法則を学ぶ時の姿勢を思い出してください。


イエスキリストやアダムスキーが触れていたように
幼子のような意識、先入観の無い素直な姿勢が大切でした。


例えば能力にしても上には上が存在します。


誰もが他人から学ぶことが出来るはずです。


しかし自らに自惚れを持っている人間や、
自分は何でも知っていると考えている人間は

他人から学ぶ事は出来ません。


そしてそんな意識は心から出ている意識ですし
同時に魂からの意識を感じる障害にもなるのです。


どんな人間であろうと完全なものは存在しない。


だから進化のためには強者であっても賢者であっても
謙虚な姿勢を持って向上をし続けなければならない。


ガンジーはそんな意識を語っているように感じます。


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見たいと思う世界の変化にあなた自身がなりなさい。

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これは私達の想定している世界を”樹木”に例え、
私達はその樹に成る実であると想像すれば


イエスキリストの「その実を見れば木が判る」
という例え話にもつながる物だと思います。


もしも宇宙の法則の真価が、
私達覚醒者の実態を通じて問われると言うのであれば、


私達はそのためにも、立派な実として
その全体を理解してもらうきっかけに成るべきだ
と言う話にもなってきます。


この社会の中で冷静な意識を保ち続ける事、
そして自分の魂を表現し続ける事は困難だと思いますが

私達はできる限りそれを意識して生きていくべきなのでしょうね。


私は電磁波を受けては心に囚われる羽目になっていますが
兄弟姉妹はどんな意識で日々暮らしているのでしょうか。


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最高の道徳とは他人への奉仕
人類への愛のために働くことである。


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宇宙の法則で考えれば
これは言うまでも無く”万物への奉仕”です。


ガンジーは”最高の道徳”と表現していますが
私達の生きるにあたっての一番の目的でもありました。


自分のため、個人のエゴのためにこそ生きている私達にしてみれば
”万物への奉仕”とか”無償の愛”と言えば奇麗事に聞こえるのでしょうが、


これこそが天使達が実践している
人間としての当たり前の生き方でもありました。


私達は奉仕を意識して生き始めた時にこそ
創造主の法則の波に乗る事になるのだと思います。


無償の万物への奉仕は
決して他人だけのための物ではありませんでした。
(「情けは人のためならず」と言う言葉もありますね)


奉仕はめぐりめぐってやがては自分の下へと帰ってくる。


そんな見えない因果が
この社会には存在し続けているからです。


そして私達や兄弟姉妹と理解者が
ぜひ実践したい生き方こそがこれだと思います。
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明日死ぬと思って生きなさい。
永遠に生きると思って学びなさい。


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私達にとって真理はいつも”今現在”にあります。


それを意識している太陽系の他の惑星の住人達は
その日その日を懸命に生きる事を心がけているそうです。


私達の社会はその過酷さゆえに
日々全力を尽くして生きる事は出来ないと思います。


しかし彼らは毎日を100%の力を持って
生き続けているのです。


明日のために力を残して加減して今日を生きるのではなくて


その時々を真理として、その時間を精一杯に生きている。


そんな姿勢がこの社会を生きる私達には欠けています。
(過酷な環境ゆえに出来ません)


そして私達にとって大切なのは
プライドとは無関係の”向上心”でもあります。


自分達が半ば永遠の存在である事を認識できないから
私達は自らの意識の向上をいつしか放棄するようにもなります。


大人になって、社会人になって生ぬるい安定を続けているのが
多くの一般市民の姿ではないでしょうか。。


でも私達が学んだあらゆる事が私達を進化させるのですし、


まして記憶を持っての転生を果たす場合は
この生の全ての学習が、そのまま私達の知識ともなります。


ガンジーはそんな真理の全てを悟っていたようで
日々を懸命に生きる事と、永遠に学び続けるという私達のあるべき姿を
ここでは取り上げてくれています。


こんなガンジーの言葉を見れば、私達の先輩である人間達が
この社会の中には大勢いる事を彷彿させる事にもなります。


先日はジョンレノンの話に触れましたが
私にしてみればジョンも私達の先輩だと認識しています。


そしておそらくはまだまだ多くの人間が
私達と共通の認識を持ってこの社会を生きてきたのだと思います。


おそらく世界中にはまだまだ大勢の覚醒者や
その予備軍が存在しているはずです。


そんな人間達の想いでも、
この社会自体を変える事が出来ないのであれば


せめて少しでも多くの人間がこの社会の中で覚醒を果たし、
ここから共に卒業していけるように私達も願い続けて行きたいです。


そして兄弟姉妹と理解者には、私達が持つべき一番の意識を
このガンジーの言葉からしっかりと学んで欲しいと思います。


【貴方に無限なる力の祝福がありますように】

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P.S.


【たとえあなたが少数派であろうとも、
真実は真実なのです。】


これもガンジーの言葉です。


いつの時代も真理は少数の人間によって
語り続けられたのだと思います。


この社会では少数派で異端であっても
私達は進化する事の出来た魂の持ち主です。


この社会が誤った多数決主義から
抜け出すことが出来る様願ってあげて欲しいです。