三次元と四次元 | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。


追加コメント


H24.10.22 AM10:59

今日の記事は夜間になると思います。


この三次元と四次元の話は是非しっかりと読んで欲しいと思います。


そして当初の書置きの記事に加えて三つばかり記事を追加できそうなので

私の今月一杯の記事は今までどおり参考にして下さい。


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一日遅れて日本でも中規模地震が発生?


平成24年10月22日10時46分 気象庁発表
22日10時43分頃地震がありました。
震源地は岩手県沖 ( 北緯39.2度、東経142.4度)で震源の
深さは約30km、地震の規模(マグニチュード)は4.7と推定されます。


http://www.jma.go.jp/jp/quake/20121022104651391-221043.html


これで彼らが私達の予測をはずしたと誇っていたら笑えます。


判定不能なのは、これが前回の11日付近の電磁波放射と
関係があるかないのかと言うことです。


日程的には一日の差ですし問題ないと想像しますが
一方ではHAARPの計測に関して奇妙な現象があるのです。



実はHAARPに関して気になることがあります。


先月の長い期間のメンテ後に何らかの工作を
HPで実行されている可能性が捨てきれないと私は話していますが、


実は今現在、HAARPチャートには動きがないのに関わらず
一部の電磁波測定器には電磁波の動きが計測され続けています。


こちらでは動きがないのに、

http://www.haarp.alaska.edu/cgi-bin/magnetometer/gak-mag.cgi


こちらでは地震波といえそうなものも含めて
はっきりと電磁波の動きが見て取れるのです。


http://www.haarp.alaska.edu/cgi-bin/scmag/disp-scmag.cgi?Bx=on&By=on&Bz=on&date=20121022


京大のAEに関してはHAARPチャート連動ですし
しかも最近は奇妙な表示含めてバグのような状態もあり信頼できませんし、


http://wdc.kugi.kyoto-u.ac.jp/ae_realtime/today/today-j.html


はっきりと電磁波の変動を示しているグラフの存在を
私達はどう認識すべきかと言うことです。


私が危惧していたのは21日過ぎてから再び
HAARPが稼動することで30日に何かを引き起こすことです。


http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11378939687.html
地震警戒・被害者心得


その日は満月で満ち潮が予想されますし、
彼らの好きな”9”の日でもあります。


そしてそれに向かって隠れてエネルギーを溜め込んでいるとすれば。。。


私のそんな想像が現実にならないように
周囲の異変に関しての情報提供を呼びかけたいと思います。



H24.10.22 

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異物と薬品で匂いの関与をこそこそと継続中です。
メカニズムを記事で公開するかもしれません。



昨日の夜の記事を読んで欲しいです。


http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11384539003.html
真理質問箱 聖書


今日は私達の予想も杞憂に終わり
無事何事もなく一日が終わった。。。。。


かのように見えるのは国内の事です。
日本時間の21日に


海外ではしっかりと地震が起きています。



DATE LAT LON MAG DEPTH km REGION
21-OCT-2012 06:55:09 36.31 -120.86 5.3 9.4 CENTRAL CALIFORNIA
21-OCT-2012 01:25:23 66.33 -18.75 5.6 10.1 ICELAND REGION
20-OCT-2012 23:00:32 -13.57 166.59 6.6 35.3 VANUATU ISLANDS
20-OCT-2012 08:49:38 24.45 122.53 4.1 78.8 TAIWAN REGION
20-OCT-2012 03:42:05 10.94 -74.14 4.6 49.7 NEAR NORTH COAST OF COLOMBIA
20-OCT-2012 02:49:15 30.12 131.00 4.5 21.1 KYUSHU, JAPAN


とうとうカリフォルニアに大きいのが来たのか?


と思いましたが思ったほどではなく
一般市民の事を考えると幸いでした。


着目すべきはアイスランドとカリフォルニア
やはり10キロ程度の震源地でエネルギーもM5.3M5.6と強めですし

バヌアツに関してはM6.6です。


現地の被害が小さいことを願いますが21日警戒と言う
私達の予想はやはり当たってしまったわけです。


http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11378939687.html
地震警戒・被害者心得


国内は幸い大きな地震はありませんでしたが
今回は結果的には私達の想像通りということで
彼らのやり方は結果的に何も変わってはいないと言う事でしょうか。。。


情報発表日時 発生日時 震央地名 マグニチュード 最大震度
平成24年10月21日13時00分 21日12時55分頃 広島県北部 M2.8 震度1
平成24年10月21日12時59分 21日12時54分頃 茨城県北部 M3.1 震度1
平成24年10月20日23時08分 20日23時03分頃 茨城県北部 M2.6 震度1

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脳機能が低下させられている中で
懸命に書いた記事です。


拙い記事ですが私は今の精一杯の理解を
想いを込めて表現したつもりです。


今日は私達が創造主の法を理解するための大前提となる
三次元と四次元を説明してみます。


見えることばかりに囚われている私達にとって
創造主の法の理解の最大の障害となっている物を取り除くためです。


この記事は想像力を働かせて頂かなければ
読んで頂いても何の意味もないと思います。


頭の中で想像力を全開しながら読んで欲しいです。

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私達の殆どがまだ体験できてはいない
三次元と四次元との明確な分析ですが、


その両者の関係が何となくでもイメージできれば
そのまま私達の進化のための理解の手助けになると考えました。


取り合えず想像力を持って、
それを認識することが出来るための参考になるように、
心と魂の世界を説明してみます。


図解したいのですが私には技術と環境が足りないので
想像力を使用してみてください。


あくまで判りやすく説明するための極端な例えで、
それがそのまま正しいわけではありませんが
少しでも理解しやすく表現する様に勤めます。


まず二つの世界を想像して見てください。


一つは私達の住んでいる三次元のこの社会、
これはいつも私達が視覚で認識している世界そのものです。


どんな世界であるかは説明するまでもありません。


もう一つは想い、想念、創造主の意志の世界であり、
私達の魂が認識出来る世界、私達が四次元と呼んでいる世界です。


まずそれらが、中央の特殊な壁を境にして、
右と左に分かれて存在していると想像します。


”想いの世界”を想像できない私達は、
そこに宇宙空間のようなものをイメージしても良いかもしれません。


右側に三次元世界、左側に宇宙空間に見立てた
四次元の社会をイメージするのです。


ここで四次元世界を視覚的映像として想像するのは、


視覚を持って認識することを当たり前としている私達は
”意識と想いの世界”を認識しようとした時に
それをやはり三次元の様に映像として認識しようとするだろうからです。


本来、想いの世界は視覚では認識できませんし、
私達はその世界の内部を”魂”を持って
”意志”や”想い”や”印象”として認識することになります。


あくまで仕組みを理解してもらうために、
ここでは四次元がまるで視覚をもって認識できるように
想像する事にしますがご了承ください。


そして私達はその両方の世界に同時に存在していて
その時々で意識する対象を左右から選択して切り変えるとします。


更にその時の切り替えのスイッチを私達の”自由意志”だとします。


自由意志は私達が行動を決定する時に、
複数の選択肢があればそれを決定する意志だと考えてください。


私達は心を持って複数の選択肢を作り上げて
その中から行動を決定していますが、


本当は、更に魂の意見をも参考にしてそれを選択肢に加え、
それらの中から自由意志でその行動を決定します。


詳しく説明すれば多少異なるのですが、
判りやすくするために”自由意志”を魂と心の切り替えスイッチとすると


それを切り替えることで、
私達は心を意識したり魂を意識する事になるとします。


この場合、魂へとスイッチを切り変えた時には
私達はその宇宙空間に見立てた四次元社会を意識する事になりますし


心にスイッチを切り替えた時には
この物質社会の三次元を意識することになります。


本来はこれは切り替えスイッチではなくて、
同時に心と魂の両方を認識できるのが私達の実態ですが
その辺はご了承ください。

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この例えで表現すれば、
私達人間はこのスイッチの存在に気がついていないために
それを切り替えて魂を感じる方法をすっかり忘れているのです。


そのために、私達はこの左側の半分の世界を
認識することが出来ません。


私達がそれに近い体験をしているのは
夢の世界と現の世界との切り替えです。


私達は通常この右半分の三次元の世界を、肉体を持って動き回り、
脳が司っている器官である四つの感覚器と(目、耳、鼻、口)
触覚の一部を持って三次元社会を認識し、その中で色んなことを経験します。


一方、左半分の世界を私達は魂と言う状態で飛び回り、
その中に蔓延しているありとあらゆる想い、宇宙的な記憶の全てを認識したり、
創造主の意識を感じることにもなります。


そしてこの右半分の世界と左半分の世界は
それぞれが独立して存在しているわけではなくて、
両者は一定の秩序の元に関係し合って存在しています。


左の世界の中に存在している想念が、
右半分の世界では元素を持って実体化しているという関係を
想像して見てください。


左では私達が霊魂と読んでいるようなものがフヨフヨしていて
右ではそれが肉体として存在している。。。


左側では飛び回っている私達の魂と言う想念の塊が
右半分の世界では元素を持って
私達の肉体として表現されているという関係があるのです。


四次元世界の”想い”というエネルギーは
三次元社会の”元素”を使用されて
三次元の表現である現象として具現化される事になります。


私達の肉体は、私達の四次元的実態である魂と言うエネルギーを
三次元で元素を使用して表現したものだと言うことです。


そのエネルギー、想いの違いは
そのまま私達の三次元での姿の差となって現れます。


それが人間であったり動物であったり植物であったりするのです。


更に私達の魂は”創造主の想いの分身”だと認識してください。


”元素”そのものも三次元特有のものですし、
元素が三次元に存在出来ている事からも、
四次元でも元素を現す想念やエネルギーが存在していると思いますが


説明の都合のため、この元素に関しての想念や魂は
四次元では存在しないことにします。


先述の様に四次元社会において、
想念の塊として存在していている私達の姿は
三次元では元素の集合体として現される事になります。


それは私達以外の生命体全ての魂に対して共通です。


この右半分の三次元社会で存在している万物で、
左半分の四次元社会で想念として存在していないものはありません。


この創造主の世界では、生命を持つ全ての存在が
左半分に魂としてのエネルギーを持っていて


右半分にそれを三次元で元素で表現した肉体(フォーム)を持っていると
想像して頂ければ良いと思います。


それぞれ現れ方こそが異なっていますが、
四次元と三次元は表裏一体の関係にあります。


そして私達は三次元では肉体をもって活動している、
私達の通常認識している姿として表現されます。


ここでは例えではありますが、
四次元では想いと言うエネルギーの集合体である私達の魂が


フヨフヨと空中を漂っている姿として
想像して頂ければ良いと思います。


そしてこのエネルギーを真ん中の壁を通して変換すると
三次元では私達の認識している姿になるとでも想像してください。


映画の映写機は”光”を発生させますが
それがスクリーンに映し出される時にはそこには”映像”が現れる。。
そんなイメージも良いと思います。


勿論すべては理解をしてもらうためのたとえ話です。


そして右の三次元と左の四次元は
相互にフィードバックの関係があると理解してください。


三次元においての進化は四次元の魂へと影響を与えますし
四次元での進化が三次元の肉体に影響を齎します。


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実はアダムスキーはこの左半分を創造主の父なる領域と呼び、
右半分を創造主の母なる領域と呼んで区別していました。


そしてその父と母の接点に生まれるのが”生命”だと言うことです。


つまりはここでも1+1=3の法則が成立し、


そしてこの事が私達に”生命”を与える事になります。


物理原則では1+1=2、


しかし生命の科学的には1+1=3です。


異なった二つの要素が交わった時に
その両方の性質を持った別のものが生まれると言うことです。


電極ではプラスとマイナス、陰と陽、そして男と女、
そして私達の存在に関しては三次元と四次元。


このように対極に存在するものが交わった時に
その接点に創造があると言う事でした。


”生命”は三次元と四次元の接点で生まれるのです。


そして私達人間は父なるエネルギーを”魂”と言う形で持っていて、
母なる物質の世界で元素で作り上げられた肉体を持っていて、


”肉体”と”エネルギー”の接点で
”生命”を与えられていると言う説明が出来ます。


つまり私達がいくら三次元社会で元素を使用し
肉体を表現できたとしても、


私達はそこに魂を吹き込むことは出来ないのですから
生命を生み出すことは出来ないと言う事でもあります。


魂と、フォームとしての肉体は、別々に存在して見えても
”命”はその両方と無縁ではありえないのです。


これを生命の科学の等式として考えると、


私達が元素を使用して人間の肉体を再現したとしても、
母なる世界である物質社会に”有”を作り上げても


父なる世界である四次元社会に”有”としての魂を
作り上げることが出来なければ、
そこには生命は生まれることはないのですから


私達は生命を創造することは出来ないと説明できます。


0+1=1のままだということで
そこには生命は生まれないのです。


もう一度イメージ的に説明すれば、


右側の三次元社会で、
もしも私達が人間や生命体を作ろうと元素を集めて化合して
そこに人体や生物の抜け殻を作り上げたとします


しかしそれは左側の四次元においては
エネルギーとしての想念をもった存在としては
存在していないわけです。


私達は四次元に想いの塊としての想念を持っていて
一方では三次元で肉体としてのフォームを持っていて
その接点として生命を与えられる存在ですから、


いくら上手に元素を使用して
肉体のフォームを作り上げてみたところで、


私達は四次元にそれに対応する魂を作り上げる事はできないので
そこには魂を吹き込む術がないという事です。


フランケンシュタインのような人造人間は
作ることが出来ません。。


(精子や卵子、受精卵を使用したクローンや試験管ベビー
遺伝子改造生物は作れる事になりますが)


三次元と四次元の接点で生まれる事になる”生命”を、
私達は作り上げることが出来ないのです。


科学こそが万能だと主張して、創造主の存在を否定する人達には
まずこの事を理解して欲しいと思いますが


残念ながら私達にはこの左側の世界(四次元)を
はっきりと認識するだけの資質が備わっていません。


だからこそ右半分の世界ばかりを認識しては
左半分の四次元の世界を理解できず、


その四次元にまつわる現象を時折知覚しては、
それを三次元の感覚器で認識しようと勤めては失敗し、
そこに推測やオカルトを作り上げることになります。


私達が自分の意志で三次元と四次元を意識できるようになった時、
そしてその両方を併せて認識できるようになった時にこそ
私達の進化は急速に進むのだと想像しています。

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次に、このイメージを使用して
天と地、御霊と肉を理解します。


聖書で”天”や”御霊”と言われているのは
別の惑星のことである場合もありますが、
ここでは四次元領域に限ることにします。


私達の想像した左半分は四次元領域であり
実はこちらこそが”神の世界”と言う意味で使用された時の”天”であり、
神の意志である”御霊”の世界です。


正しくは四次元に存在するのは”神の残像思念”ですが
私達はその全てを”神”として認識しても良いのかもしれません。


一方右側に存在しているのが”地”と呼ばれる世界ですし、
そこで現象として存在している私達の肉体を
”肉”とパウロは表現しました。


パウロは”御霊の想い”と”肉の想い”を区別していましたが
肉の想いというのは右半分の三次元で私達が使用する
心から湧き上がってくる想いのことで、


その殆どはエゴや本能、個人的価値に基づくものです。
得てして負の想念として発生されるものです。


一方御霊の想いというのは父なる神の領域である
四次元に存在している私達の魂の想いであり、
その魂が受け止める創造主の想いです。


それは私達の意識を通して
三次元では良き想念として発せられることになります。


更に付け加えれば、四次元では
創造主の意志に沿った想いでなければ
そこには存在することができません。


つまり悪しき想いは四次元には存在し得ないという
法則があると認識してください。


そう考えると、私達の社会に存在するもので元々悪しきものは
何一つ存在してはいないと言うことです。


悪しき物、創造主の意志にない想いは四次元では存在できなくなりますし
結果、三次元社会でも具現化される事はないからです。


私達の社会に悪しき物、創造主の意志とかけ離れたものが
存在しているとすれば


それは事後的に
三次元の環境の影響を受けて変貌した事になります。


三次元で私達が発した悪しき想念は
三次元の中での私達の心を歪めます。


本来良き物として創造主の意志を反映しているはずの私達ですが、
その悪しき想いは三次元では負のエネルギーとして
この社会を飛び回り私達に影響を与え続けることになります。


結果三次元社会の中で創造主の本来の意志とかけ離れた存在となり
それは四次元社会に反映され私達の魂のエネルギーを減らす事にも繋がり
私達の魂を萎縮させ、もしくは退化させるのです。


その事が私達に供給されるべき創造主からのエネルギーを
減らすと理解してください。


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キリスト教など多くの宗教で”神”と言われているのは
この左半分の四次元社会を満たしている、
創造主の残像思念と言われるエネルギーだと認識してください。


一方”神の子”と言われたイエスキリストも私達も、
右半分の三次元社会で元素を使用した状態で”肉体”として存在しています。


私達人間の”魂”は創造主の残像思念の一部であり
私達は創造主の分身として存在しています。


つまり私達の魂は創造主であるといえます。


アダムスキーはそれを”知る者”と表現していました。


四次元という父の領域で、
父の分身としてのイエスキリストの魂が存在していて、


一方では母の領域である三次元では、
肉体を持った人間としてのイエスキリストが存在していているわけです。


そしてその接点でイエスキリストは生命を持つ事になります。


先ほどの1+1=3は勿論ここでも成り立つことになります。


イエスキリストは創造主の魂と人間の肉体を持って
その接点で生命を与えられ存在していたのです。


本当の三位一体の意味する事はこれだと
アダムスキーは言っていました。


一部の人達は


神と言う存在が独立して存在していて


神が肉体を持って姿を表現したのが神の子としてのイエスで


そして更なる聖霊なるものをも取り上げて
まとめてイエスの神性を強調しているようですが


そのような認識で言えば
私達は誰もが神であると言うことになります。


しかしこれはある意味正しくて
天使達はすべての人間を神の分身、神の子として捉えています。


誰もが創造主の意志の一部を魂として持っていて
それを三次元で具現化している存在だからです。


私達が魂の意志を100%感じることが出来れば
私達がその意志に従って取った行動は
限りなく神の行動に近いことになります。


私達は神に似るのです。


イエスキリストは魂で感じた神の意志を表現していたのですし
限りなく創造主の意志を正しく表現できたのですから
限りなく神に似ていた事にもなります。


つまりキリスト教の三位一体という概念は
間違って理解され伝承されているのです。


それは、父なる神、子なる神、聖霊なる神と表現するようです。


しかし実態はそうではない事が
ここまでの説明を理解できた人には認識できると思います。


私達の理解では、”父なる神”は四次元の創造主の残存思念、
”子なる神”は三次元の肉体と表現出来ますが


では”聖霊なる神”はどのように表現することが出来るでしょうか?


聖書の中では聖霊は神から降りてくる”神の意志”として
表現されています。


私達はそれを、私達の魂が受け止める創造主の意志、
もしくは心がそれに気がつく事だと認識することが出来ます。


(そしてその意志からは時には知識やエネルギーをも
意識することになるはずです)


創造主の意志は、


四次元を認識する器官でもあり創造主の思念の分身でもある
私達の魂で認識するのです。


そしてその魂で認識した意志は、私達の心の自由意志を持って
この肉体を持って表現されることになります。


その時、私達は神の意志を人間という肉体を持って
表現する事になります。


神と、人間の肉体と、神の意志として私達に与えられた聖霊は
その時一体となって機能している事になります。


イエスの神性として”三位一体”という言葉を使用するのであれば
この状態こそが三位一体ということになります。


父なる神、人としての肉体そして聖霊としての神の意識が
一体化して機能している状態です。


そしてイエスキリストこそが
それを身をもって実践して見せていたのです。


三位一体とは、


「私が為すのではなくて私の体を持って父が為しているのだ」


と言うことになるかもしれません。

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ところで私達は”生命”と言われている物を
どう認識する事になるのでしょうか。


ここまでの仮定を元に私達の人間を例にして考えると、


私達が肉体と霊魂を結ぶものとして生命を与えられているのならば
その接点に生命が存在していることになります。


”生命”と言う現象は、父なる四次元の創造主のエネルギーと
母なる三次元の物質社会の交わる所に生み出されるものと言うことになります。


私達人間で考えてみれば、
”魂”は父なる領域の存在で”肉体”は母なる領域の存在です。


そしてその接点として存在しているのは
実は”脳機能”もしくは”心”と言われているものだと思います。


私達の心(脳機能)は元素で作り上げられている”物質”であり現象です。


それは間違いなく母なる三次元で作り上げられた物です。


しかし心は間違いなく思考します。


心は”想う”のです。


この想いと言うのは間違いなく四次元的なエネルギーです。


父の領域です。


私達の心は三次元的存在でありながら
同時に四次元的な存在でもあると言うことです。


そして私達は想うたびに魂から供給されたエネルギーを、
物質社会でのエネルギーとして変換して
それを肉体を持って表現したり全身から発しているわけです。


もっと具体的に表現すれば
四次元で魂へと取り込んだ創造主のエネルギーを
心で”想念”へと変換して全身から発していると言うことです。


四次元と三次元の中間に存在し
人間の”生命の現れ”となっているのは”私達の心”だと言うことに
なるのかもしれません。


肉体の死と共にその”生命”は失われます。


その時三次元社会の肉体と
四次元社会の私達の本体としての魂は分離するのです。


その時には私達は思考を閉じています。


脳機能は想うことをやめていて
想念を発する事も、もはやありません。

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私達が創造主の存在や創造主の法を理解するための
最大の障害となっている三次元と四次元について
取り上げてみたのですが如何でしたでしょうか。


私達はこの四次元を見えないけど理解して信じるか、


このように何となくでもその存在をイメージして
理解し信じるのが精一杯だと思います。


しかしそれは荒唐無稽な事を妄信する事とは違います。


私達は理解を深めることにより
そこに印象や閃きを感じる機会を増やすことで
自ら地道にその存在を感じることになるからです。


私達は視覚に囚われることを当たり前としていますが
それは私達がおきている間ずっと視覚を使用し続けている事にも
由来すると思います。


時には瞑想が有効だとされるのは
そんな視覚を抑える事で心の動きを抑えることになるからだと思います。


私のようなボーっとした状態で生きなさいとは言えませんが
視覚を使用しつつも思考を抑える練習をすると
閃きや印象を感じる機会が増えるかもしれません。


まずは四次元と三次元の関係を深く理解するための
印象や閃きを受け止めることを目標とするのも良いと思います。


【貴方に無限なる力の祝福がありますように】