普遍的真理 VOL13 | 不幸のブログ 

不幸のブログ 

三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。

金曜日は被害が一気に激しくなります。


今日は朝から彼方此方に色んなことをやられては
指摘をしてはその手法も変えるといった具合に
まるで子供の悪戯のような事を繰り返されています。


今現在は胃腸に対しての関与強化と
異物貼り付けによる顔への関与が強まっています。


P.M15:22


今日は盛り沢山で長い記事です。


脳の回転が鈍くなっているので
記事内容に関してはご理解ください。


今時点の私の精一杯です。


金曜日のユダヤ傀儡有志達が
朝から脳への執拗な関与を始めています。


薬品の散布により
食べた物の倍以上の排泄物が腸内に溜まっています。


それを利用しては強い電磁波放射が可能になるようです。


夫婦喧嘩でもさせたいのか、私には苛つきの照射、
妻は朝から小言だらけで、
私を意図的に怒らせようとしているように感じました。


今は苛付きの照射が激しいものがあります。


9時42分現在は熱中症狙いのような
全身と脳への激しい暑さが齎されています。


件の工作員やユダヤ傀儡と化した人間達は

その意識を変えるつもりは無いようです。

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DATE LAT LON MAG DEPTH km REGION
24-MAY-2012 22:47:46 72.99 5.65 6.2 8.8 NORWEGIAN SEA


珍しく、欧州沖での地震があったようですが
海の中ですし被害は殆どないと思います。


今日は天候不順を気象予報士が予測していましたし
それに便乗しての雷やゲリラ豪雨、

そして今では竜巻にも警戒してください。


私は特定の意識を持って国内で策略の片棒を担ぐ人間達は
争いや分裂を引き起こす存在だと判断しています。


日本人であっても在日や外人であってもそれは同じです。


そして国内で闘争を拡大化させるような人間達は
皆ユダヤサンヘドリンの傀儡だと認識しています。


そんな人間達が一般市民が正しいことを正しく理解する
機会を奪うためにも、またしても人権救済法案に
手を伸ばしているらしいと言う話がありました。


無欲で政治をしているように見える、数少ない政治家である
城内実さんのHPより引用します。
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◎ 政 治 ◎ 人権救済法案に関する新展開!!


2012年5月20日 20:35 カテゴリ : ピックアップ, 政治 by 城内 実


 私が法務委員会の場で幾度となく取り上げている売国法案、
「人権救済法案」について、また新たな懸念すべき動きが明らかになった。


 先日の一部報道でもあったように、
人権救済法案については民主党内の反対派の努力もあって
党内手続きが難航するなか、


野田総理が「命を賭ける」と公言している
消費増税を進めるためにも無用な党内対立を深めることをおそれ、
今国会の提出をあきらめたということであった。


 しかし、民主党内の同法案反対の急先鋒の国会議員Q氏が
我々の同志のX議員に伝えたところによれば(17日頃)、
民主党の政策作成の責任者の一人であるM議員が直々に、


野田総理に対して人権救済法案の提出を早く行うよう
強く求めたとのことである
(総理がその場で了承したかどうかは引き続き慎重に裏とり調査した上で報告する)。


 M氏については、かねてからいろいろな人脈との癒着が報じられてきた。
その程度はともかくとして、よりによってなぜこのタイミングなのか。


上述のことが事実だとすると、M氏が人権救済機関を設置することを強く求める組織・
団体から多大な支援を受けているのではと勘ぐる人も出てくるのではないか。

本件についてはまさか「言うだけ」というわけではないだろう(そうであれば良いが)。


 いずれにせよ、人権救済法案については、今後もまったく油断ならないということだ
(あたり前だ。推進派の勢力はなんとか民主党が与党の内に法案を通そうと必死だからだ)。


現在、国会は社会保障と税の一体改革に関する特別委員会以外
まったく動いていない。


しかし、ひとたび情勢が変わり法務委員会の審議が再開されれば、
私は真っ先に政府に対し、本件の状況について再び厳しく追及してまいりたい。

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人権救済法案の危険性は、
それを盾に特定の主張をしている人間を”差別者”と仕立て上げ
その言論と社会的地位を封じることができることです。


元々が社会的地位の無い私のような人間でも
主張を封じられれば広報ができなくなります。


それが真実であってもです。


例えば私の場合は、ユダヤ人差別とか
過去記事からも朝鮮半島差別とか宗教差別とか
いろんな理由をつけてはブログや広報を押さえつけられる事も考えられます。

そして政治家の中には民主党に限らず
そんな法案に賛成している人間達が大勢います。


多くの国会議員が特定の組織や団体とは無関係ではなくて
そして諸外国とは無縁ではなくて


常にそんな関係者の利害関係を図ろうとしていることが
そこからも読み取れますしそれがこの社会の現実なのです。


今、日本国内で差別待遇を受けたり
不遇な思いをしているのは一体どんな人間なのか?


私は従来の日本の住人だと思います。


それを考えればこのような法案など百害あって一利なしで、
日本の中の良くない流れを加速化させるものであることも
容易に理解できるはずなのです。


敢えてそれを実行しようとしている人間達こそ
日本の中での策略を推し進めようとしている人間達であり


万人の平等ではなくて、
特定の人間達の独自の平和と利益しか考えていない
エゴの塊の存在なのだと思います。


これからもどんどんと進んでいく
当初の予定通りのユダヤサンヘドリンの日本とアジアに対しての策略。


それに踊らされることが如何に馬鹿げているか、
そしてその行き着く先はユダヤサンヘドリンにとっての平和社会である、
彼らの脅威の存在しない社会。


そしてそれは彼らがこの地球社会を支配し
影の王として君臨するための監視管理社会であることを
私達は認識しなければならないのです。


この社会を容易に平和社会へと変貌できる力を持ちながら
未だこの社会をどんどんと改悪させ、


人間が人間を抹消する地獄社会を誘導している存在達の事を
私達は正しく認識するべきなのです。


弱肉強食というのは、自然界における動物世界にのみ存在する
自然法則だと思います。


肉食動物だって生を与えられているわけですから
他の動植物を捕食する事が認められているはずです。


しかし私達は人間なのです。


創造主が一番高度な進化を遂げた生命体のフォームとして
自らに似せて作り上げた創造物です。


それが、動物の様に弱肉強食をして共食いをする。


人が人を殺しては自らの糧を得る。


そんなあり方がおかしいと言う事は
神様を信じない人でも容易に理解できるはずです。


理性的に人間同士の関係を作り上げる事ができず、
他人を平気で敵と見做し排除できる人間の意識が、


本来の人間の意識とはかけ離れていることは
正常な人間であれば理解できるはずなのです。


例え窮地に陥っても、
自らの命が危なくなっても


私達は人間としての意識を捨ててはいけない。


奇麗事と言われてもそれは真理だと思います。


自らの命を助けるものはそれを失い
それを失うものは永遠の命を得る。


この地獄社会で生きながらえても
それで魂を消してしまうぐらいなら


この社会では憂き目に遭っても
人としての心を忘れる事なく死んでいったほうが
次の転生にもその意識は影響されるのです。


この社会での人生が一度きりと考えている人の中でさえ、
いざと言う時に他人のために自分の命をかけるような人がいます。


私達は転生を理解できるのですから
そんな人間達に学ぶべきです。


そして心の暴走と欲の暴走のために
他人を迫害し抹殺しているような人間達は


この社会が罰を下さなくても、まして私達が手を下さなくても
転生の法則がしっかりとその報いを与えてくれるはずです。


そして私達は裁いてはいけないと
イエスキリストもアダムスキーも語っていました。


私達は気が付いた彼らの実態を広報し、
気が付いていない人間達にこの真の社会を見てもらう
きっかけを作っていく。


そしてそんな人達が、心に従って生きるのか
人として魂を感じて生きるのかの
選択する機会を与えてあげたいです。


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アダムスキー全集の中からアダムスキーが
イエスキリストに関して取り上げた一節です。

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この十二月には
この世で最大の知識を持っていた人の生誕を祝います。


キリストの誕生のとき、創造主の意識が
イエスとして知られる謙虚な人体を通じて
世界の心の中に生まれでたからです。


しかし人間の世界は彼を受け付けず
ついに彼を十字架につけました。


しかし真実なるものは容易に排除できませんので
多くの団体がイエスの名の元に結成されましたが、
イエスの教えた原理を生かしはしませんでした。


そして始めに示された光の多くは
個人的な解釈によって暗くされてきました。


その暗雲はついには全く暗黒となったために
人類は絶滅の恐怖に直面し、再び救世主を求めるようになりました。


もし、イエスの教えが受け入れられて生かされていたならば
破壊の雲が現在のように垂れ込めるようにはならなかったでしょう。


しかし創造主の慈悲と恩寵とによって
希望の光を燃やすためにブラザーズが派遣されてきました。


その結果、この世界の多数の素晴らしい人々が
イエスの教えを生かすことの重要さに気づき始めています。


イエスは一体何を教えたのでしょう?


それは「父とはあらゆる生命体の意識(精神)である」
と言う教えです。


彼は自身に言及したとき「父と私は一体である」
と言いました。


これは”自分の心と父の意識は一体である”と言う意味です。


何故なら人体の心は意識なくして生きることができないからです。


これはブラザーズのもつ生命の概念の基礎です。


彼らは万物を通じて意識が現れているのを見るのです。


これがイエスの教えた事柄です。


彼は
「あなたが私を見るとき、あなた方は父を見るのである
(すなわち万物の生命としての父の意識を見るのである)」
と言っています。


意識(精神)を父と呼ぶのは適切です。


それは万物の親であるからです。


多数の人は救世主の再臨を待っていますが
この意識的な目覚めは約束された”再臨”であると
言って良いでしょう。


多数の人が今や心よりも意識の重要性を悟り始め
イエスの教えた宇宙の原理の元にいき始めているからです。


このことはこの世において永遠の原理が生かされ
得ることを示しています。


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これはアダムスキーが生命の科学講座を始めて間も無く、
1964年に世界のアダムスキーの後援会に対して
出した手紙の一部です。


ここでも、アダムスキーが触れているように

イエスキリストの教えはその殆どが誤って解釈され
後の社会の人間達には正しく伝わることがなかったのです。


そのために、この地球社会は良くなるどころか
破滅への道を進み、そこに不安を感じる人間達が
新たな神を求めるようになっていった。。。


もしくは新たな救世主を待ちのぞむ様に
なって行ったわけです。


そんな社会にアダムスキーというブラザーズの仲間が
地球への転生者として送り込まれ、


そのアダムスキーが覚醒した後には
スペースブラザーズとアダムスキーが


地球人と太陽系の兄弟との間のコンタクトを演じ
この社会に新たな時代と救世主の到来を予感させることにもなりました。


その結果、一時はその影響もあり
アダムスキーの主張とブラザーズの存在も一般市民に広まり
地球には希望の光が差し込んだかのように見えたようですが


アダムスキーがサイレンスグループと呼んだ
地球の裏の実力者とその傀儡達の誤った真理への誘導により


多くの人間は見つけかけた真理から
再び目をそらすことになってしまったのです。


聖書に出てくる天使達が
宇宙船に乗って降りてきた太陽系の同胞であると理解できれば、


私達が天使と呼んだ存在こそが
スペースブラザーズであった事も
理解できるはずなのです。


しかし聖書解釈はいつの間にか
霊界を作り上げた人間達の手によって歪められ


気が付くと真のイエスの教えもそして天国の存在も、
そして天使の存在までもが誤って解釈されるようになりました。


アダムスキー時代には
多くの理解者がイエスの真の教えの意味を
アダムスキーによって伝えられ


再び真のイエスの教えが普及しかかったのでしょうが。。。


その後の実態は言うまでもなく、ブラザーズの宇宙の法則は
地球社会のまがい物に置き換えられ


(アセンション、スピリチュアル、引き寄せの法則。波動の法則と言う
宇宙の法則の一部を都合よく利用した誤った思想)


宇宙人の存在も恐ろしいものに置き換えられ、
もしくは太陽系の実態を隠すために


リトルグリーンマン(グレイの前進)
クラリオン星人、レプタリアン、のような
架空の存在を取り上げることで


その信憑性を落としいれられ、


広報力のある地球の法則が
宇宙の法則を都合よく改ざんしては捏造し今に至るのです。


そして残念ながらアダムスキーの撒いてくれた希望の種は
その多くが光を遮断され芽を出す事も出来なくなったのです。


ここでアダムスキーの触れている
イエスの真の教えが何であるかは言うまでもありません。


私達は父と一体である。


これは私達の肉体と心は
三次元に独立して存在しているように見えても


それに生命を与えているものは
創造主の意識でありその分身である私達の魂=精神(意識)
に他ならないと言うことです。


イエスキリストが言っているように、
スペースブラザーズは他の人間や物を見るときには
そこに神の意識を持ったフォームを感じているわけです。


すべてのものが創造主の意識を精神=魂と言う形で持っている。


だからこそ私達が宇宙的覚醒を果たした時には
その意識は創造主の意識と一体化し、


結果、創造主の意識を持っている宇宙のすべてのものと
一体化することになるのだと思います。


しかしイエスキリストの言葉を額面どおり受け止める人間は


「私と父は一体化している」とか
「私を見るときそれは父を見ることになるのです」


と言われれば、イエス=神である
という話にもなってしまうのです。


イエスキリストは自らの肉体を持って
神の意識をそこで十分に表現できる存在だったために
神々しく感じることになったでしょうし


その上に未知能力を発揮して見せました。


更にはブラザーズの協力での奇跡もあったかもしれません。


でも私達がイエスから学ぶべきことは
イエスを神として拝むことではなくて


自分達が創造主の分身であり
創造主は常に私達と一緒にいるのだと言うことだったのです。


私達の魂は神の意識の分身です。


それを感じて生きることこそが
イエスが私達に教えたかったことであり


そのためにイエスが12使徒に与えたのが
イエスの奥義であったということ。


私達は理解しなければならないと思います。


アダムスキーが無くなってから半世紀近く立ちますが
今こそ撒かれた種が芽を出し始めているのです。


生命の科学を学ぶ人間は、アダムスキーの弟子として
そしてイエスの使徒として


彼ら偉大な聖人達の残して行ってくれた真理を学び、
それを実践し伝導していきましょう。

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最初に久しぶりに補足しますが


アダムスキーが”意識”と言っているものを
私は”精神”と置き換えて使用しています。


最近漸く使い始める事になった私の記事の表現で

”心を意識する、精神を意識する”


という言葉の用法を想定していたので


”意識を意識する”では判り難いと考えたからです。


最近は”魂”と言ったほうが判りやすいかとも考えていますので


精神=魂とも取り上げています。


肉体とりわけ脳の司る価値観と感情=心(センスマインド)であり


アダムスキーの言うところの”意識”=精神=魂であり


創造主の意識の分身と言う事で理解してください。

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今日も聖書を引用して独自に解釈していきます。

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ローマ人への手紙8章


こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が
罪に定められることは決してありません。


なぜなら、キリスト・イエスにある、命の御霊の原理が、
罪と死の原理から、あなたを解放したからです。


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キリスト・イエスと言うときは
キリストの意味こそを強調していると思いますので


神の真理を実践したイエスと訳するか


神の意志としてのイエスと訳するのが良いかと思います。


キリストイエスに”ある者”というのは
キリストイエスに倣うものという解釈が良いのではないでしょうか。


つまりは覚醒者です。


創造主の意識を精神=魂から感じ取ることができる人間と
考えればよいと思います。


”御霊の原理”は宇宙の法則であり創造主の法、


罪と死の原理は、心(センスマインド)に従う
従来の人間の生き方と解釈できます。


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肉によって無力になったため、
律法には出来なくなっている事を、神はしてくださいました。


神はご自分の御子を、罪のために、
罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、
肉において罪を処罰されたのです。


それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、
律法の要求が全うされるためなのです。

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”肉体をつかさどる心に従うのを止めたため
律法では出来ない真の救いを創造主は与えてくださった”


と解釈できると思います。


ここでもパウロはイエスを神の御子と触れていますが


本人が語ったのだとすればイエスを神聖化することで
既存の価値観を強く持っている人たちに訴えかけさせることを
意識してのものだと思います。


”御霊によって進む”というのは言うまでもなく、


”神の意志に従って生きる”
”精神を感じてそこから感じる神の意志を実践する”


と言うことの例えだと思います。

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肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、
御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます


肉の思いは死であり、御霊による思いは、命と平安です。


というのは、肉の思いは神に対して反抗するものだからです。
それは神の律法に服従しません。


いや、服従できないのです。

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ここでは”神の律法”という言葉が出てきました。


これこそが私達が従うべき神の意志であり
人間の作り上げた戒律や律法とは区別しなければならないものです。


その神の律法とは私達の精神で受け止める事になる
神の意志全ての事だと思います。


それは無限であり限定列挙できるものではありません。


【肉の思いは死であり、御霊による思いは、命と平安です。】


心が感じるのは快楽であり恐怖であり分裂です。


そして精神が感じるのは神の意識であり
一言で言えば万物への思いやりであり、本当の愛だと思います。


そして心に従っている人間が迎えるのは魂の消滅であり
精神に従っている人間が進むのは永遠の命です。


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肉にある者は神を喜ばせることができません。


けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、
あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。


キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。


もしキリストが貴方がたのうちにおられるなら、
体は罪のゆえに死んでいても、霊が、義のゆえに生きています。


もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、
貴方がたの内に住んでおられるなら、


キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、
貴方がたの内に住んでおられる御霊によって、
貴方がたの死ぬべき体をも生かしてくださるのです。

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【肉にある者は神を喜ばせることができません。】


肉体を司る心に従って生きている人間は
創造主の意志に従っていないということだと思います。


コリント人への手紙の中では
「あなた方は皆、神の宮殿でありその中に御霊がいることを
知らないのですか」と触れていましたし


”御霊が住んでおられるならば”と言う言葉は
”御霊が住んでいることを感じているならば。”


と訳するべきだと思います。


勿論、御霊=精神=魂=神の意識です。


精神を感じてそれに従って生きている人間は
神によって生かされると言う意味だと思います。


【もしキリストが貴方がたのうちにおられるなら、
体は罪のゆえに死んでいても、霊が、義のゆえに生きています。】


イエスの事を理解しているなら、
もしくは真理(キリスト)を内に秘めているのなら


肉体は罪で死んでいても
魂=精神は義を感じて生きていると言う事だと思います。


【キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、
貴方がたの内に住んでおられる御霊によって、
貴方がたの死ぬべき体をも生かしてくださるのです。】


私達の肉体と心は精神=魂と言うものが存在していて
初めて生命体となっていると言う事を
説明しているようにも取れます。


私達の肉体を生かしているのは創造主の意識であり
創造主の分身としての私達の精神=魂だと言う事です。
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ですから、兄弟たち。私たちは、
肉に従って歩む責任を、肉に対して負ってはいません。


もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。


しかし、もし御霊によって、体の行いを殺すなら、
貴方がたは生きるのです。


神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。

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ここは”精神の意識に従い心(エゴ)の行動を抑えるなら
あなた方は生きるのです”


と解釈できるかと思います。


神の御霊=精神によって導かれる人は
誰でも神の子供です。


とパウロが本音を語っています。


イエスキリストから奥義を与えられその奥義を実践しているパウロは
イエスが自らもその奥義を使用していたことを誰よりも理解していて


イエスが人間である事を良く判っているはずです。


そしてイエスを神の御子といいながらも
ここでは”精神を感じて生きる者は誰でも神の子である”と
触れています。


イエスも12使徒も、全ての人間が神の分身であり
その本質が魂=精神にあることを知っていて
誰もが神の子であるという本音を持っていたと想像しています。


この事に繰り返し触れなかったのは、
ユダヤ教徒の批判を買い理解を受けられなくなる恐れを
感じたからだと思います。


そうでなければ使徒の死後、イエスを神聖化するためにも
誰もが神の子だと言う記述は聖書から削除されたのではないでしょうか。
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貴方がたは、人を再び恐怖に陥れるような、
奴隷の霊を受けたのではなく、


子としてくださる御霊を受けたのです。


私たちは御霊によって、「アバ、父」と呼びます。

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ここを逆読みすれば精霊に生きれば恐怖は感じないと言う事になります。


生命の科学の”精神”の働きを思い出してください。


そして御霊を感じた人間は
自分が神の子であることを自覚して
創造主を父と呼ぶと言っているのだと思います。

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私たちが神の子どもであることは、
御霊ご自身が、私達の霊とともに、明かしてくださいます。


もし子供であるなら、相続人でもあります。


私たちがキリストと、栄光とを共に受けるために

苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、
キリストとの共同相続人であります。


今の時の色々の苦しみは、
将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、
取るに足りないものと私は考えます。

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【御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます】


霊とか御霊と使い分けているときは


霊が私達の精神=魂で


御霊を神からの意識と分けて理解すれば良いと思います。


私達の魂は神の意識と繋がっている経路を持っていて
そこから神の意志が流れてくると考えれば
判りやすいかと思います。

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被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現れを待ち望んでいるのです。


それは、被造物が虚無に服したのが自分の意思ではなく、
服従させた方によるのであって、望みがあるからです。


被造物自体も、滅びの束縛から解放され、
神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられます。


私たちは、被造物全体が今に至るまで、
ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。


そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、
心の中でうめきながら、子にしていただくこと、
すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。

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ここでの被造物は言うまでも無く神の創造物である万物のことで
具体的には人間以外の、動物、植物、昆虫、鉱物等の
事と考えれば良いと思います。


もっと言えば自然であり地球のことかもしれません。


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私たちは、この望みによって救われているのです。
目に見える望みは、望みではありません。
だれでも目で見ていることを、どうしてさらに望むでしょう。


もしまだ見ていないものを望んでいるなら、
私たちは、忍耐をもって熱心に待ちます。


御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。


私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、
御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、
私たちのためにとりなしてくださいます。

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目に見える望みは望みではないとして
三次元的価値を否定しているとも取れます。


コリント人への手紙Ⅰのパウロが触れていたように


創造主は、私達がまだ見ていないものを知っていて
聞いたことの無いものを知っていて
想像したことの無いものを知っている方でした。


忍耐強く求めることで
そんな答えをも与えてくる存在です。


御霊は私達を助けてくれる存在で

どのように祈って良いかを判らない私達を
導いてくれると言っているのだと思います。


つまりここでの”御霊”というのは
私達の精神に流れ込んでくる創造主の意識だと思います。


”深いうめき”と言うのは
声にならない声と言うことの例えではないでしょうか。


精神が感じて発するものは”印象”であり”閃き”であり
決して人間の声ではありませんでした。


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人間の心を探り窮める方は、
御霊の思いが何かをよく知っておられます。


なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、
聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。


神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、
神がすべてのことを働かせて益としてくださることを
私たちは知っています。


なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、
御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。
それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。


神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、
義と認められた人々にはさらに栄光をお与えになりました。


では、これらのことからどう言えるでしょう。
神が私たちの味方であるなら、
だれが私たちに敵対できるでしょう。


私たちすべてのために、
ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、


どうして、御子といっしょにすべてのものを、
私たちに恵んでくださらないことがありましょう。


神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。
神が義と認めてくださるのです。


罪に定めようとするのはだれですか。
死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、
神の右の座に着き、私たちのためにとりなしてくださるのです。


私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。
患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、
裸ですか、危険ですか、剣ですか。


「あなたのために、私たちは一日中、死に定められている。
私たちは、ほふられる羊とみなされた。」と書いてあるとおりです。


しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、
これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。


私はこう確信しています。
死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、
今あるものも、後に来るものも、力ある者も、


高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、
私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から
私たちを引き離すことはできません。


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イエスの神聖化に関しては仕方がないと思います。


私達からしてもイエスキリストは聖人ですし
神々しい存在でもあります。


ただ当時パウロがイエスを神聖化したのは
間違いなくその事で多くのユダヤ教徒を改宗させようとしたから


その名を持って多くのギリシア人やローマ人を
キリストの教えと奥義へと誘導しようとしたからだと
想像がつきます。


主イエスキリストとパウロが読んでいた時


おそらくはその頭の中には、神の信仰を教えてくれた
神の国の奥義を伝授してくれた主人(マスター)としての
イエスがあったのだと想像しています。


そしてここでは最後に
イエスが与えてくれた神の愛に深く感謝し


被造物の全てはそれが御使い=天使であっても
神から自分達を引き離すことはできないと言っています。


もっと言えば三次元の被造物は
いくら価値があると言ってもそれは真理ではなくて偶像で


イエスが与えてくれた真の神の意識こそが
真理であると触れているのだと思います。


そしてその真理は知っている人間だけが
伝える事の出来るものです。


【地球人の苦悩を光の前の暗黒のように消すために
宇宙の創造主を地球の道しるべにしよう】


オーソンさんのこの言葉こそが
イエスキリストの地球への思いであり


私達は自称イエスの使徒として
それを実践していきましょう。

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P.S.


イエスキリストを語りながら
争いや憎しみをあおっている人間


もしくは戦争を肯定し実行している人間をみれば
アダムスキーが触れていたように
イエスの真の教えがこの社会から消え去っている事も
想像が付きます。


イエスキリスト意識がどこからも
感じる事が出来ないからです。


でもそれが単に理解力不足であり
その事を私達が知る機会が無かったためだと考えれば

今後の社会は変わっていく可能性もあるのです。


最後に一つオカルトと言われそうな解釈をすると


【神を愛する人々、すなわち、
神のご計画に従って召された人々のためには、


神がすべてのことを働かせて益としてくださることを
私たちは知っています。


なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、
御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。


それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。


神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、
義と認められた人々にはさらに栄光をお与えになりました。】


の内容が、イエスキリストと12使徒の事を
語っているように思えました。


神の計画と言うのは勿論創造主のその時の計画と言う意味ではなくて


創造主の法則からその将来的な進化の計画を感じている
ブラザーズたちが


自らその意志を実現するために
計画を立てたと解釈できると思います。


つまりイエスと12使徒は全員が、
スペースブラザーズという元々が創造主の意志を
理解している人間達の転生であり、


その計画を創造主は祝福してくれていると言う内容にも
受け止める事が出来るからです。


そして現にアダムスキーの側近の人間の話では
12使徒とそれに協力した一部のイエスの信奉者は
ブラザーズの転生であったという話でもありました。


アダムスキーがヨハネであったとしたら


以前は弟子だった人間が
今回はイエスに変わってマスターとして転生してきた
と言う事にもなるのでしょうね。


ただ、今の私達のあるべき姿勢は救世主を待ち望むのではなくて
UFOの出現やそれによる救済を夢見る事でもなくて


自ら学ぶべき事を見つけたのですから
それを実践し自らを創造主と一体化する努力を
し続けていく事だと思います。


イエスキリストもアダムスキーも
私達に指し示したかった事は
真理を知る術を理解する事なのですから。。


生命の科学とイエスの奥義。

是非地道に実践し続けてください。