普遍的真理  VOL5 | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。

普遍的真理  VOL5


前置きが長いので
興味ない方は本題から読んでください。


現実社会ではゴミの様な存在の私ですが
自称イエスの使徒はサンヘドリンやその傀儡には
その存在が邪魔で仕方がないようです。


休みと言うことで
有志も多いらしく身体への攻撃は激化の一途です。


私達が発すべき想念、持つべき意識とは
一番かけ離れた人間達が多数集まってきているようで
正直、鬱陶しく感じています。


異物を作り上げその排泄を妨害し、


呼吸器官への関与が続いていますし
異物で呼吸にかかわるつぼを刺激してくるために息苦しく


時には寝るのも大変で、
寝ているときは精神へも介入しているらしく


起きているときには持つことのない感情まで
脳へと植えつけられている気配です。


いったい他人の脳を何だと思っているのか
脳への人体実験も続いているわけです。


そして苛つきを誘導するためにも
男性ホルモン強化を図り
性器・睾丸への照射もあります。


この人間達の意識を正常だと言うのであれば
この社会には意識異常者は存在しないことになると思います。


一番危険な意識をしている人間達を放置しておいて
先日の記事のコメントのように


害のない一般市民や都合の悪い人間を
意図的に精神科へと送り込んでしまおうと言うのですから
この社会も末期症状といえないでしょうか。
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今回のHAARPのエネルギーは。。。


と最近は触れていたら、とうとう本領発揮という感じで
立て続けに日本にも地震が引き起こされました。


大きくはありませんでしたが三連発できました。


頭の弱い人間の中には
地震を引き起こしているのは自分達の敵対者の
”念”だと信じている人間もいるようですから


組織的犯罪の被害者は被害強化にはご注意ください。


私はもちろん大きく煽りを受け続けています。

地震が起きる度に自分に対して”早く死ね”と言われている気分です。

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地震情報(震源・震度に関する情報)


平成24年4月30日0時7分 気象庁発表
きょう30日00時02分ころ地震がありました。


震源地は、岩手県沖(北緯39.7度、東経142.3度)で、震源の深さ
は約20km、地震の規模(マグニチュード)は5.6と推定されます。

[震度3以上が観測された地域]
震度4 岩手県沿岸北部
震度3 青森県三八上北 岩手県沿岸南部 岩手県内陸北部
岩手県内陸南部 宮城県北部 宮城県中部
[震度3以上が観測された市町村]
震度4 宮古市
震度3 八戸市 七戸町 五戸町 青森南部町 階上町 久慈市
山田町 田野畑村 普代村 野田村 大船渡市 陸前高田市
釜石市 盛岡市 二戸市 葛巻町 岩手町 滝沢村 一戸町
八幡平市 軽米町 九戸村 矢巾町 花巻市 北上市 遠野市
一関市 奥州市 気仙沼市 涌谷町 栗原市 登米市 石巻市
この地震による津波の心配はありません


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地震情報(震源・震度に関する情報)


平成24年4月29日21時21分 気象庁発表
きょう29日21時17分ころ地震がありました。


震源地は、茨城県沖(北緯36.8度、東経141.2度)で、震源の深さ
は約40km、地震の規模(マグニチュード)は4.5と推定されます。
[震度3以上が観測された地域]
震度3 福島県中通り 福島県浜通り
[震度3以上が観測された市町村]
震度3 二本松市 田村市 福島広野町 楢葉町 川内村 葛尾村
この地震による津波の心配はありません。
情報第1号


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平成24年04月29日19時38分 気象庁発表


29日19時28分頃地震がありました。
震源地は千葉県北東部 ( 北緯35.8度、東経140.7度)で震源の
深さは約50km、地震の規模(マグニチュード)は5.8と推定されます。


各地の震度は次の通りです。
なお、*印は気象庁以外の震度観測点についての情報です。


千葉県  震度5弱 旭市南堀之内*
     震度4  東金市東新宿 東金市日吉台* 東金市東岩崎*
          旭市ニ* 旭市高生* 旭市萩園* 多古町多古
          九十九里町片貝* 芝山町小池*
          匝瑳市八日市場ハ* 匝瑳市今泉* 香取市役所*
          香取市羽根川* 香取市仁良* 横芝光町宮川*
          横芝光町横芝* 山武市殿台* 山武市蓮沼ハ*
          山武市埴谷* 成田市花崎町
     震度3  銚子市川口町 銚子市若宮町* 茂原市道表*
          千葉神崎町神崎本宿* 東庄町笹川*
          大網白里町大網* 千葉一宮町一宮 睦沢町下之郷*
          長生村本郷* 白子町関* 長柄町大津倉
          長柄町桜谷* 長南町長南* 香取市佐原平田
          香取市佐原諏訪台* 香取市岩部*
          山武市松尾町松尾* 千葉中央区中央港
          千葉中央区千葉市役所* 千葉中央区都町*
          千葉花見川区花島町* 千葉稲毛区園生町*
          千葉若葉区小倉台* 千葉緑区おゆみ野*
          千葉美浜区稲毛海岸* 成田国際空港 成田市中台*
          成田市役所* 成田市松子* 千葉佐倉市海隣寺町*
          市原市姉崎* 市原市国分寺台中央*
          八千代市大和田新田* 四街道市鹿渡*
          八街市八街* 印西市大森* 印西市美瀬*
          印西市笠神* 千葉酒々井町中央台* 白井市復*
          千葉栄町安食台* 富里市七栄*
          君津市久留里市場* いすみ市国府台*
          いすみ市大原* いすみ市岬町長者*
     
茨城県  震度4  茨城鹿嶋市鉢形 潮来市辻* 神栖市溝口*
     震度3  水戸市中央* 水戸市内原町* 日立市役所*
          常陸太田市金井町* 高萩市下手綱* 笠間市中央*
          笠間市石井* ひたちなか市南神敷台*
          茨城町小堤* 東海村東海* 小美玉市小川*
          小美玉市堅倉* 小美玉市上玉里* 土浦市常名
          土浦市下高津* 土浦市藤沢* 石岡市柿岡
          石岡市石岡* 石岡市八郷* 龍ケ崎市役所*
          取手市寺田* 取手市井野* 取手市藤代*
          つくば市苅間* 茨城鹿嶋市宮中* 美浦村受領*
          阿見町中央* 河内町源清田* 守谷市大柏*
          利根町布川 稲敷市江戸崎甲* 稲敷市役所*
          稲敷市柴崎* 稲敷市須賀津* 稲敷市結佐*
          筑西市舟生 かすみがうら市上土田*
          かすみがうら市大和田* 神栖市波崎*
          行方市山田* 行方市麻生* 桜川市真壁*
          鉾田市造谷* 鉾田市汲上* 常総市水海道諏訪町*
          つくばみらい市福田* つくばみらい市加藤*
     
栃木県  震度3  高根沢町石末*
    
埼玉県  震度3  川口市三ツ和* 春日部市谷原新田* 宮代町笠原*
          さいたま緑区中尾*
     
東京都  震度3  東京墨田区東向島* 東京江東区森下*
          東京江東区亀戸* 東京江東区塩浜*
          東京荒川区荒川* 東京足立区神明南*
          東京足立区千住中居町*
     
神奈川県 震度3  二宮町中里*

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寝言だと言われそうですが
今回の地震にも”タイミング”なるものを
感じることとなりました。詳細には触れませんが。。


溜まっていたであろうエネルギーから考えると
全くその効果として発言している量はまだ足りないように思えますが


他の方面(気象や精神への関与)にも
利用されているのでしょうか。


それとも。。。


未だにサンヘドリン傀儡たちが
私の周りでは激しく活動していますし、
当面は色々な方面で警戒し続けることをお勧めします。


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ここは私の寝言だと思って読んでください。


先日、旧約聖書を見ていました。


少しでもそこから何かを掴めればと思っての事です。


そこから感じたのは神々の攻防戦と
今の地球の支配者達の原型となる姿でもありました。


当時、直接”神”と対面しその意思を民に伝える神官役が
モーセであり、


モーセの時代にモーセのすぐ下に
”70人”の長老会がありました。


もちろんヘブライ民族の中の
構成員によるものです。


エジプトに囚われていた彼らを救い出したことで
彼らの神となった存在がモーセ時代の神。


その神は自らを”妬みの神”と呼んでもいましたが
戒律一つとってもとても事細かく定め


生贄を要求し時には人間の殺害を意図する。。


その存在は”道徳”と言うよりは”法律”の先駆けになっているような
そんな意識の持ち主だと思いました。


かなり以前にも旧約聖書の記述は
読もうとしては挫折し続けた記憶があります。


今回も出エジプト記に始まるモーセ関係の記述は
その神の凄まじさに、読んでいて心が折れる思いでした。


そして以前から触れている
”父なる神”とモーセ時代の”神”は全くの別物であることを
嫌と言うほど認識させられる羽目にもなりました。


彼らを導いていたのは間違いなく人格神。


それはブラザーズの主張どおり
彼らの社会が”先住の人間達”と”後続の人間達”の二手で争っていたころの
その様子がはっきりと伺える内容でもあったと思います。


そしてモーセなる人物が神の代理人となり
民に命令をしていたからこそ、
ヘブライの民はあの程度の試練で済んだのではなかったのか。


そんなことを考えていました。


もしも神官の立場にいた人間が心無い人間だったとしたら、
彼らはもっと過酷な人生を
送ることになったのだと想像した訳です。


そして、その厳格で残酷で事細かくて
どう考えても人間としか思えない描写で表現されているその神は
科学力を駆使して人々を恐怖で支配していた人間にしか思えません。


モーセの時代にヘブライの民の使えていた神は
”人間”だと言うことです。


ブラザーズの社会が当時は二派に分かれて争う状態に置かれていて、
一方の人間達は攻撃的で好戦的で
科学力だけは発展していた文明の人間達、


そしてもう一方の人間達は今と変わりなく
創造主を父として人間はその分身であると理解して
生きていた人間です。


そして両者は一万年間前から延々と争いながらも
地球社会に影響を与え続けてきたと言う話でしたし


この時、ヘブライを支配していたのは
おそらくは”好戦的な神”だとおもいます。。


その支配から宗教的な理由も含めて分裂をしたのが
10支族と呼ばれた古代イスラエル王国の民で


彼らはその後、他の宗教やブラザーズ達によって影響を受け、
恐らくは神の一派(先住の人間達)導きで
戦わなくても住むような場所(日本)へと誘導され


残りのユダ王国の民族が
神官ではなくて”70人の長老会”を中心に
独自の神に仕えその教えを守り続けた。。


それこそがユダヤ教パリサイ派の”サンヘドリン”の前身だと思います。


サンヘドリンの意味は”70”と言うことでしたし
おそらくは起源はモーセ時代のユダヤ教”長老会”にあるのだと思います。


日本は二度に分けてヘブライの民の影響を受けていると思います。


先発隊の10支族中心の人間達が紀元前に日本列島に入ってきた時、


そして後にユダ王国滅亡後に
そのユダ族の末裔が、パレスチナ付近の10支族の末裔の
残りの人間達をつれて日本に入ってきたときです。


おそらくは天皇は元々はブラザーズが演じる神を信仰し、
その生き方を民に伝えていたような存在で
天皇家は古代イスラエル王国の王家の末裔、


その後紀元後に日本に入ってきたヘブライの人間達の中のユダの民が
日本の中にユダヤ教の影響を及ぼし
神道を変え続けて来たのではないかと言うことです。


つまり日本の独自の教えには、元々の源流と
その後の新しい源流が混じっていることになると思います。


いうまでもなく、本来の源流の思想は
「万物の中に神は存在している」
つまりは宇宙の法則でありブラザーズの生き方で、


後に入ってきた思想はユダヤ教の影響を強く受けた
形式を重視した厳格な神の教えに沿ったもの。


そしてユダの民はそのまま日本国内の
イスラエルの民を掌握するために


天皇家を利用しようとしたもしくは
乗っ取ろうと働きかけたはずです。


天皇家に関しての裏の歴史は
もしかしたら日本の中での両者の


見えない支配権の争いだった可能性が
あると言うことになります。


一方旧約聖書ですが、
創世記には頻繁に見えていた天使と称されたブラザーズの影が
その後どんどん見えなくなり


厳格な人格神が表に出てくるようになります。


人格神を奉っていた人間達が作り上げた宗教が
ユダヤ教ですから彼らの意に沿った内容へと
旧約聖書も変貌したのかもしれません。


そしてその多くは歴史書となっていると思います。


ユダヤ人社会は、その人格神との契約を前提として
作り上げられることになり


その社会のあり方を変えようとして
ブラザーズが送り込んだマスターがイエスキリストだった
と言うことになってくるのではないでしょうか。


太陽系の他の惑星にも人間が住んでいるという実態を
信じられない人にはオカルトな話でしょうが


どう見ても人間としか思えない存在を神として奉り拝むよりは
ましな意識だと思っています。


イエスの時代に出来上がった神との契約をまとめたものが
新約聖書という事のようですが


新しい契約を私達に示して見せることで
古い契約は無効となったのだと言う事をも
本当はイエスは主張したかったのではないでしょうか。


創造主の意識を精神から感じ取ることを
努力している人間には、


旧約聖書に出てくる人格神は
とても好意の持てる存在ではありませんし、


感じられる想念は限りなく人間的で
神とはかけ離れたものであることも理解していただけると思います。


そしてその流れを受け継いで独自の神と価値観を作り上げ
今現在では世界の支配者として君臨しているのが


ユダヤ教長老会のサンヘドリンだという事を
私達は理解しなければならないのです。



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ここからが本題です。


今日はイエスの使徒の手紙から
生命の科学、イエスの奥義を感じ

それを使用することで聖書の記述を理解してもらおうと思います。


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コリント人への手紙Ⅱ4章16節


ですから私達は勇気を失いません。


例え私達の”外なる者”は衰えても
しかし”内なる者”は日毎に新たにされるのです。 


今の時の軽い患難は私達のうちに働いて
計り知れない重い永遠の栄光をもたらすからです。


私達は見えるものではなくて見えないものにこそ目を留めます。


何故なら見えているものは一時的であり、
しかし見えていないものは永遠だからです。


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既存の解釈が一体どうなっているかは判りませんが
覚醒者や理解者であれば
ここの意味も容易に掴めると思います。

 
ここでは”天”と”地”、”肉”と”御霊”ではなくて
”外”と”内”という言い方をしていますが
結局は比喩しているものは同じで、


”外なる者”とは肉体であり、
心を持って存在している三次元での私達のことで


”内なる者”は神の意識であり
精神を持って存在している四次元的存在の魂としての私達の事です。


私達覚醒者がここを解釈すると
このようになるかと思います。


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ですから私達は勇気を失いません。
例え私達の肉体は衰えても
私達の精神は日々進化しているのです。


今の軽い患難の時代は私達の精神にとって
計り知れなく大きな永遠と言う進化をもたらす物だからです。


私達は見えるものではなくて
目に見えないものにこそ目をとめています。


何故なら目に見える現象や肉体や心と言うものは
一時的なものであり、


見えていない精神や神の意志なるものは
永遠のものだからです。

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”目に見える物”とか”目に見えない物”なる例えは
アダムスキーの生命の科学でも繰り返し引用されていましたし


私達は目に見えるものと同時に、目に見えない物を見る事を
練習するように繰り返し学んできました。


目に見える肉体やこの社会は
私達にとっては一時的なものであり
それに囚われることは心のエゴに囚われることでもありました。


そして目に見えない精神というものは”半”永久的に
存在している私達の魂ですし


覚醒者はそれを意識してそこから受け止める印象によって
神の意識の導きによって生きています。

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ガラテヤ人への手紙5章13節


兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。
ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。


律法の全体は、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」
という一語をもって全うされるのです。


もし互いにかみ合ったり、食い合ったりしているなら、
お互いの間で滅ぼされてしまいます。
気をつけなさい。


私は言います。御霊によって歩みなさい。
そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。


なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、
御霊は肉に逆らうからです。


この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、
自分のしたいと思うことをすることができないのです。


しかし、御霊によって導かれるなら、
あなたがたは律法の下にはいません。


肉の行いは明白であって、次のようなものです。
不品行、汚れ、好色、
偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、

ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。


前にもあらかじめ言ったように、
私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。
こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。


しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、
寛容、親切、善意、誠実、


柔和、自制です。
このようなものを禁ずる律法はありません。


キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、
さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。


もし私たちが御霊によって生きるのなら、
御霊に導かれて、進もうではありませんか。


互いにいどみ合ったり、そねみ合ったりして、
虚栄に走ることのないようにしましょう。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

私は言います。御霊によって歩みなさい。
そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません
。】


いうまでもありませんが
ここは神の意識である”精神”によって導かれて進みなさい
と言うことを触れているのだと思います。


肉の願うことは御霊に逆らい、
御霊は肉に逆らうからです
。】


と言う一文からも私達の知識では容易に想像がつくように
生命の科学を前提に触れれば
”肉”なるものは肉体を司る心の象徴であり


”御霊”は精神の象徴です。


心を持って暴走してきた私達の意識は
精神の意識とはかけ離れていて


その結果両者を利用した時にもつであろう価値観は
大きく異なることになります。


心の願いは私達のエゴの願いですし
精神の願いは創造主の願いですし


前者は三次元で私達が肉体の器官と心とをもって
作り上げてきた価値観であり


後者は創造主の法として
私達人間のあるべき指針として
提示されているものだからです。


両者は合い知れぬ物となっていますが
私達は精神を通じて感じることになる
創造主の意識によって導かれなければならない。


そのことを触れているのだろうと言うことも
私達には理解できるはずです。


「私達は精神によって生きることを選択したのですから
精神に導かれて神の意識を実践するよう努力しましょう。。」


そのようなことが書かれているのだと思います。


あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ


この言葉で置き換えられているのは
”万物への奉仕”だと思います。


私達は一人で存在しているものではなくて
他の万物とともに神の魂をその分身として与えられ


万物との調和を求められる存在であると言うことは
アダムスキーからもブラザーズの言葉からも聞こえてきます。


生命の科学の究極的な目標の一つは
万物との調和を目指す意識を持つことですし、


そのためには私達は自らの心のエゴを満たす事を
繰り返すのではなくて、


その行動が万物に対して
どのような影響を齎すのかをも常に考えなければ
いけないことになると思います。


一見他人のために見える行為でも
それがエゴを満たすため、自らのプライドを満たすためでは
私達は精神とはかけ離れた意識で行動していることになりますし


それが自分のエゴを直接満足させるようなものは
いうまでもなく、自分のための行動でありそれは心の暴走でした。


それは自己愛とも置き換える事ができると思いますし
それを満たす行為は結果的には万物のためになるとは限りませんし


それどころか万物の犠牲の上に自らの満足を満たす行為に
なりかねないのだと思います。


地域開発と称して自然を根こそぎ崩壊させる行為も
母国のためと称して、正義のためと称して
戦争を引き起こす行為も


結果は特定の人間を対象とし
自らの欲望やプライドや感情を満たし


自分の心を心地よくする行為であることが
私達には理解できるはずです。


全ては自己中心意識としての
愛のなせる業だと言うことになると思います。


更にそのような行為を正当化するのも私達のエゴに他なりませんし
そんな人間達が一方では愛を語るのですから説得力がないのです。


スペースブラザーズの触れている万物への思い、
そして彼らが神の意識から感じ取っている様々な意識を
一言で置き換えれば


それがおそらくは”愛”になるのだと思います。


同情、平等、理解、勇気、調和、喜び、寛容、
柔和、自制、


このような意識を持って万物に接することこそが愛であり、
それは万物への思いやりや慈しみとして
表現されるのではないでしょうか。


つまりはブラザーズやアダムスキーの触れている
”万物への奉仕”の意識と言うことになると思います。


もっといえば”愛”とは神の意識から出てくる
全ての想念の象徴ではないかと言うことです。


そして地球社会で言われている愛の多くは
その形態の見えてこない、
自分の心を満足させるための奇麗事であり


心の伴っていない抽象的な概念ではないでしょうか。


だから愛を頻繁に語りながら平気で戦争を引き起こし、
争いを引きおこし、他人を裁き、
自らのプライドやエゴを満たすのだと思います。


イエスキリストが触れていた


「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」


という言葉は、


人間が自らに対しては過大なる愛情を持ち、
エゴを持ち、プライドをもっては、


心で暴走している事を理解したうえで
発せられた言葉なのではないでしょうか。


私達は皆神の分身であり
しかもそれは四次元と言う神の意識の中では
繋がっているいる物であり、


つまり人は自分がその全体の中から孤立しているかのように
自分を捕らえていますが


現実は万物が皆つながっていて
私達は全体の中の一部なのだから


他の万物も自分と同じ全体の一部であり
自分とは無関係の存在ではないことを理解し、


自分に対して持つような尊い感情を
全てのものに対して向けることが大切だと言う話を
イエスは人間に限定して説明したのだと思います。


誰もが自分のエゴに従い
自分にとって都合の良い結果が出るような
行動を行いがちですが


そうではなくて結果として全体が改善されるような
そのような意識を持って行動することができるならば


そして誰もがそのことを意識して
生きていくことができれば


私達の社会でもブラザーズ社会と同様に
平和な社会が実現されることになります。


それは奇麗事や夢物語ではなくて
生命の科学の理解者や覚醒者が集まった空間では
それは実践可能な物だと思います。


ただ、この社会の中には
自らのエゴに囚われてそれに拘り
その行為を正当化している人間達がいます。


誤ったことを間違っていると認めることもできず
自らの心の満足のために、欲を満たすために
他人を裁き続けている人間もいます。


そんな人間がこの社会の大多数を覆っている限り
地球社会が変わる事は難しいのだと思います。


【地球人の苦悩を光の前の暗黒の様に消すために
宇宙の創造主を地球の道しるべにしよう】


私達は誰もが精神を感じて
そこから神の意志を受け止めることができる。


私達はその事を皆に知らせていくことができる
数少ないイエスの奥義の理解者なのです。


ぜひ神の意志(キリスト)を実践して行ってほしいと思います。


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P.S.


最近感じている事があります。


身近に心無い人間がいるようなそんな立場の人間、
とりわけ被害者のような存在は、


加害行為を続けてくるその人間達を
自分と同じ人間だと感じることも
できなくなっているのではないでしょうか。


聖書の中でイエスが触れていた
”他人を躓かせる”、そして
”自分が入らないだけでなくて他人が入るのも邪魔している”人間達が


現実に存在していることにも気がついているかと思います。


聖人と言われたイエスでさえ
当初から彼らをある意味特別扱いしていました。


彼らを意識する事で
自らの精神を乱すぐらいであれば


彼らは例外であると認識して
それ以外に関しては調和を求める意識を持つと言うのも
良いのではないでしょうか。


洗脳されてしまった人間や
誤った価値観に取り付かれた人間の中には
絶対に変わることのないロボットのごとく人間がいるからです。


そんな存在を愛すべき他人の代表として感じると、
私達には人との調和も万物との調和も
夢のまた夢になってしまうからです。

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現在日々多くの人間が発しているであろう負の想念と、
私達覚醒者が発しようと努力し続けている宇宙的想念。


アダムスキーが触れていたものと同様の事が
ここで引用されていたことに気がつくかと思います。


心が作り出した不快感をそのまま感情として発することで
私達はこの社会を一段と不快なものへと変貌してきた。


想念は感情であり肉体に刻み込まれる記憶であり
他人にも影響を与えるエネルギーでもあります。


奇麗事と言う言い方をする人間もいるでしょうが
その奇麗事を心から願うことが
私達のこの社会において大切なことであると言うこと


そして今この社会を覆っているのは
その多くが負の想念であることを私達は理解しています。


想念なるものがエネルギーを持つものであり
それが私達へ影響を及ぼすものであることを理解し


負の想念を影響を受けないように
かつ宇宙的想念を発する様に意識すること。


精神を感じ始めているであろう
覚醒者と予備軍には強調して起きたいと思います。


私達は心無い波動の影響を
受けやすい状態に置かれているのです。