生命の科学 VOL49 | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。

今日二つ目の記事です。

一つ目は”日本で何が起きている?”です。



再び腸内の異物は大きくなっています。


こんな陳腐な書き込みを続けているのが
加害者幹部と名乗っていた人間の更に幹部や
其の関係者のようです。
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206 :名無しさんの主張:2012/02/06(月)

08:24:04.54 ID:???


あんぱんまんの中でホットケーキを焼くお仕事。
コンガリポ~~ン♪


214 :名無しさんの主張:2012/02/06(月) 10:20:40.84 ID:???
男性ホルモン ドクドク分泌 Magic(ホイッ)
テストステロンも ドクドク分泌 Magic(ハイッ)


230 :名無しさんの主張:2012/02/06(月) 11:55:46.68 ID:???


ここまで引き篭もって犯罪犯し続けちゃってると
やつに残されてるのは
除霊か戸塚か刑務所の3択だろうな。


痔撮はしても自殺はしないみたいだし。

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加害者は薬品を使用して腸内に異物を作り上げることを
”ホットケーキミックスを使用する”と仄めかしていました。


ホルモンの話は私の精神をかき乱し
苛々した状態にするためにこの工作員が
有効としている手法です。


別のコメントにあったのですが、
何でも信濃町の人間(創価学会)と朝鮮総連の人間を煽って
4月13日に私の除霊を予定しているそうです。


戸塚と言うのは強制労働でもさせると言う
意味でしょうか。


刑務所と言うのは当然冤罪を擦り付けての
投獄だと思います。


地球の法則の傀儡が暴走し続けています。




生命の科学を理解できず、
心に捉われている人間こそが
私にとっての直接の加害者であり、


その人間達は正しい神を認識しては居ない。


その人間達は私達が持つべき能力を封印し
または、低下させては私達の精神の進化を妨げている。


その事を強く認識するようになっています。


今の私はかなり低い状態での精神の安定を
図られているようです。


要するにこの人間達は私が触れている創造神のことが嫌いか
もしくはそれが理解できない人間であるという事。


独自の神を持っているか、
自分達を神だと勘違いしている人間達が
現実に存在していることを私はひしひしと感じています。


その詳細を近いうちに記事で触れたいと思います。


いつものようにアダムスキーの21世紀生命の科学
からの引用です。

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【神の目、すなわち意識】


我々はこれまでに各種の宗教的信仰で
神はあらゆる行為をも見ていると教えられてきました。


しかし心はあらゆる結果(現象)の背後にある不可視な原因を
までも見抜かないことを我々は知っています。


このことは人間は見なければならない物の半分を
見ていないことを意味します。


しかし神の一結果としての人間は
神が見る物を見る可能性を持っているのです。


神が見るように我々が見ないのは
我々は生命を理解していないからです。


イエスは「あなた方は目を持っているが見ない」


とか「盲者が盲者を導く」
と言っています。


そうです。


家が窓を持っているように我々は眼を持っています。


もし窓自体が話すことができれば
「私を通じてこそ森が描かれるのだ」と言うかもしれません。


もし私が鏡になるならば
森を映すかもしれません。


しかし森の生命までは映しません。


視覚器官は結果(現象)を映しているだけで
結果の生命までも映してはいないのです。


それは窓または鏡と同じです。


何かを映すためには原因がなければなりません。


【人間は半分死人である】


したがってある意味では我々人間は半分死人なのであって
つまり人生の半分だけしか生きていないのです。


イエスは言っています。


「死者に死者を葬らしめよ」と。


これは死体を運ぶ棺の付添人は死体と同様に死んでいる
と言う意味です。


棺の中の死体は生命に対して無意識のままに横たわっていますが
それを運ぶ人たちも実は”宇宙の生命”について
まったく気がついていないのです。


死体はかつて棺の付添人と同様に精神的な生活を
過ごしたのですが、一度意識が撤退すると心は
沈黙してしまいました。


なぜなら心は意識と言う真の部分としての
自分に気がつかなかったからです。


私があまり”意識”という語を使いすぎると思う人が
あるかもしれませんが、”真のあなた”であるのは
この意識です。


それはまた万物の裏面であり、基本的な力であり
精神生活において最も重要な部分です。


なぜなら意識は生活のあらゆる行動の記録係なので
生活を続けようと言うことになれば
心は自己の体験を記憶しなければならないからです。


もし心が事故を意識と結びつけなければ
その(心の)記憶は長く保たれません。


心は永遠のものでないからです。


しかし先述したように意識と結びつけば
それは永遠のものになるのです。


ここであなたは言うかもしれません。


「俺だって意識はあるよ。」と。


これはある程度真です。


というのはあなたは意識的でなければ生きていけないからです。


しかしあなたは人間が神と呼んでいる創造主としての
”宇宙の意識”を意識していていますか?


この”意識”という英知は宇宙のみならず
創造された結果(現象)をも知っているのです。


言い換えれば意識の記録は原因と結果からなっているのです。


ですから、我々が人間が創造された目的を果たそうと思えば、
宇宙の意識という、我々の生命の他の半分を
培う必要があります。


そうすれば代わって意識がその記録のすべてと共に
永遠の命を齎すのです。


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私たちの目は視覚を司る器官であり
それは単に私達に万物を映し出して見せるだけの
物に過ぎません。


視覚は万物を映す事が出来ても
それを見ているのは私達の心の意識であり精神の意識であると
以前の記事でもアダムスキーは触れていました。


現に私達が虚ろになっている時や
呆けているような状態では


視覚に写っているものを
私達は認識できないことがあります。


見ているはずなのに見えていない状態。


その時私達の心の意識はそこにはないからです。


そして私達の精神(意識)に関しては
元々が殆ど使用されてはいません。


視覚を持って映し出した結果としての現象を
私達は脳で捉え、それを元にして何かを考えることはあっても


その現象を結果であるとして捉え
その原因を追究するような思考を持っては居ませんでした。


そして原因だけでなくて結果に見えて実は同時に
精神の働きでもある生命活動に関しても


私達は認識出来ては居ないのだと
アダムスキーは触れているわけです。


万物の中に宿る生命なる存在は
私達の魂と同様に神の意識、神のエネルギーとして
存在するものでもあります。


それを司るのは創造主の法則に他なりません。

その事を認識する事ができるのは
言うまでもなく精神の働きです。


心を持って物を見るとき私達は
その結果だけを見てそれを元に記憶や知識を
得る事になります。


そして私達の学習している多くの物事は
結果の寄せ集めにしか過ぎないと言う話も私達は学びました。


しかし結果には原因なるものが存在していること、


そしてその原因なるものこそが
精神を使用して感じることの出来る
四次元や神の意識や神の法則でもありました。


私達は常に大きな片手落ちの学習を
続けていることになります。


その状態で視覚で物事を映像として捉えた時に
私達はその結果としての現象を認識する事が出来ても


それが持つ生命体としての意味も、万物の中での役割も
更にはそれが生じた原因も何も理解できないことになります。


そしてブラザーズのような意識で物事を見つめ
捉えている人間と比較すると


私達が視覚を使用して、その映像から認識出来る情報は
彼らの半分以下のはずです。


そんな状態で生きている私達は
他の生命体や万物については勿論


人間の存在の意味含めて、
自分の事すら理解していない存在になっているのです。


そんな状態をイエスキリストは死人に例えていました。


聖書で人間を死人に例えていたイエスは、
今まで精神の存在に目覚めていなかった人間が目覚めた時には


”死人が蘇った”と表現することもありました。
(放蕩息子の話もそうです)


http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11092572275.html
真訳聖書 VOL7


アダムスキーはその事についてここで触れているわけです。


私は”覚醒”と言う言葉で例えても良いかと思いますが
今まで心だけを使用しては精神を意識することなく
暮らしていた状態の私達が


”精神を使用して、
本来人間があるべき生き方をするようになった”
と言う事を


ブラザーズ関係者達は
”死人が生き返った”
と表現しているのだと理解してください。


生を受けながら自分の事を理解せず
人間の存在の目的を理解せず


ただ、目に映る現象と、
それによって心が作り上げた価値観によってのみ
暮らしている私達は


正常な人間達(太陽系の同胞達)の目から見れば
生きる屍なのだと思います。


勿論、私達の社会の中でも更に思考能力を落とされることで、
ブラザーズから見れば死人のような存在でもある私達から見ても


”生ける屍”にしか見えないような人間も
今のこの社会の中には大勢存在しています。


私が組織的犯罪を”ゾンビがゾンビを増殖している”
と表現しているのは


あながち的外れな話ではないと言うこと
何となく感じ取って頂けるでしょうか。


私達は本来の生きる目的を理解していないだけでなく
精神の存在を理解できないために


使用している能力は
生きていると言える状態の半分以下であるということ。


その中には思考能力を落としていることで
心を持ってして理解できるはずの事すら
理解できず騙され暴れるような人間達もいる。。。


そしてその状態は更に悪化の傾向にあるのだと言うことを
私達は理解すべきなのだと思います。


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私達がその記憶を永遠のものにするためには
私達は精神を意識した状態での経験をつむ必要が
あるのだと言うことをアダムスキーは触れています。


以前の記事では、アダムスキーが電話の通信に例えて
精神を使用できていない状態、誤った判断をした状態を
通話不能の状態だと触れていました。


精神が正しく使用できておらず
誤った判断をしてしまっている間は
その間、精神からの通信は途絶えていて


私達はその不通話の間の精神の意識を
理解する事が出来ない状態になると言う話でした。


私達の記憶も似たようなものかもしれません。


私達が家電を使用して音や画像を保存する行為を考えても
その時に電気と言うエネルギーが常に供給されていることが
条件となります。


電気の供給が止まった状態では
録音するにも録画するにも機器は止まったままで
記録する事は出来ません。


電気を精神の受け止めるエネルギーとして捉えれば
私達の記憶に関しても似たような事が言えるのかもしれません。


私達は通常、体験した事や
学習したことを脳へと残すことになります。


これは精神の働きとは無関係のものですし
学べば学ぶほどその記憶は増える事にもなります。


ただ、ここでの記憶は
心が見て体験して感じ取って価値観として持っていたものですし


それは私達の肉体の一部である脳へと
記憶されたに過ぎません。


しかし私達は未覚醒の状態であれば
次の転生においてその記憶を
肉体ごとすべて失うことになるのです。


ここでの記憶を脳に記録するエネルギーは
私達の肉体のエネルギーです。


電気的情報に変換されたものが
私達の肉体としての脳へと刻み込まれる。。


一方アダムスキーの話によれば
私達は宇宙的記憶を持つことが出来るわけです。


それは私達の脳へと記憶される物ではなくて
精神(魂)そのもの、


もしくは精神を通じて
アカシックレコードのような宇宙意識の図書館に
保存されるもののようです。


これを保存するための条件は
その体験の時に私達が精神を心と併せて使用している事。


私達の記憶は脳だけではなくて同時に精神へと
記録される事になる様です。


その時私達は精神を通して精神へと送られている
神のエネルギーを使用しては


そのレコーダーを動かしているのだと
考えれば良いのだと思います。


精神を意識しているときに
私達のもう一つのレコーダーは動き出す。


そしてそれはそのまま宇宙的記憶として
私達の魂の中にもしくはアカシックレコードの中に
刻まれることになる。


その結果肉体が滅ぼうと脳が死滅しようと
私達の精神を通じて記録された記憶は消えることがない。。。


アダムスキーはそう語っているのだと思います。
(現実には私達の無自覚のうちに全ての記憶は
アカシックレコードに記録されることになるようですが)


私達は元々が宇宙的記憶を持つことが少ないがために
転生しても前世の記憶が殆ど残っては居ないのだと考えれば
理解し易いかと思います。


私達は精神を意識して行動することが殆どないために
宇宙的記憶自体を殆ど持っては居ない存在だと言うことです。


しかも前世の記憶は通常は転生後、
子供時代の7歳ぐらいまでの間に
その殆どが消えてしまうために


それまでの間に精神の使用の仕方を学ばなければ
私達は皆が今のこの社会の人間同様の
半分死んだ状態の人間へと変貌する事になり


過去世の記憶を引き出しにくい状態に
なってしまう様です。


こうなると、私達が前世の記憶を取り戻したければ
宇宙的啓示を通してアカシックレコードといわれる
宇宙的な記憶から自らの記憶を引き出すしかなくなるようです。


そしてアダムスキーが触れているように
私達が精神を使用して宇宙的記憶を積み重ねると言う行為は
私達が覚醒し永遠の生へと向かう事をも意味するわけです。


記憶を持っての転生を期待している私達覚醒者は
さらなる宇宙的覚醒を意識して暮らしているわけですが


その中で体験した、意識を心と並行して使用している時の記憶は
そのまま私達の次の生での記憶となる。。


そんな事を意識しながら何事も体験し行動していくことも


私達の宇宙的記憶を積み重ねるためにも
有効なのかもしれません。


私達の生命の科学の勉強は
未だ始まったばかりなのです。

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P.S.


もしも私達のこの社会が
小学校や幼稚園の頃から生命の科学を学ぶような環境になれば
この社会は天国へと変貌していくことになる。


日本の中で子供時代に教育された道徳ですが
それが一段と進む事になるからです。


宇宙の法則と言うと仰々しいかもしれませんが
普遍的道徳の実践とか勧めと言えば
とても現実的に感じていただけるのではないでしょうか。


【人として持つべき意識を学び道徳を実践するために
事の良し悪しを判断する尺度を勉強する事が
生命の科学を学ぶことに他ならない。】


そう考えて頂ければ
宇宙の法則と言う言葉になると
眉唾に思える方であっても


身近に感じて頂けるのではないでしょうか。

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先日は某有名”地球の法則”精神サイトが
こんな話を取り上げていました。


【ただ、どんな挑戦も、自分の良心(内在神)からの視点を
“持ちながら”の経験でないとダメです。


あの世の財産には成らないのです。


だから、“生かして頂いて ありがとう御座位ます”の視点で
色んなことを経験して行けば、絶対に大丈夫なのです。


生きている間も必ず改善して行くし、
あの世でも歓喜の世界へと引きつけられます。】


言っていることは生命の科学と似ています。


感謝の気持ちの不足している私には
学ばなければいけない事もありそうです。


しかしこのサイトは見て頂いてのとおり
”あの世”をとても大切にしているサイトです。


語っているのは宇宙の法則ではあり得ないのです。


多くのサイトがここと同様に
結局は地球の法則の価値観から卒業し切れてはいない。。


つまり宇宙の法則に類似の主張をする人間は多くても
真実のみを語っているサイトは限りなく少ないと
言うことになります。


闇政府は幾つもの支流を作っては
多くの人間の受け皿となるように
思想を分岐させていると思います。


例えば彼らの直系支配する宗教組織に誘導し
それでも釣れない人間に対しては


日本人であれば神道を利用する事で誘導できる事もある。。


宗教がだめなら宇宙人とアセンションと言った具合にです。
(宇宙を取り上げていれば宇宙の法則と
勘違いする人も居るでしょうね)


地球の法則の作り上げた価値観は
広く手を広げて。。。


道を広くして門を大きく構えていることから


その道を多くの人間が歩き出し
殆どの人間が其の大きな門から入っていく事になるのです。


真の命への道はどのようなものでしたでしょうか?


真の命への門はどのようなものでしたでしょうか?


真の覚醒への道を進む人間が少ない理由が
ここからも理解していただけるかと思います。