COOL JAPAN | 海豪うるるのブログ

COOL JAPAN

■ COOL


海豪うるるのブログ-MARI with AIBO2



毎年この時期、デザインウィークで街に活気がでる。

その中のひとつのイベントCOOL JAPAN TOKYO-CONFERENCE。

若者ファッション、秋葉、家電、漫画、など日本独自の文化や

商品・サービスなどを世界が高く評価。

世界が評価する「COOL JAPAN」を日本人が再発見し、発信するという

イベントらしい。

「COOL」-今や日本人の会話でも使われる言葉だ。


私が最初に「COOL」の意味を知ったのは、豪州に留学していた1982年。
ホストシスターが席をはずしてホストシスターの彼と2人きりになったとき、

彼から、「あなたは「COOL」だ」と言われた。


15歳の私は、「COOL」の意味がわからなかった。

「COOL!?涼しい??んん!?」
このとき、彼に聞いて初めて「COOL」がどういう意味か知った。

「あなたはとても勇気がある。ボクにはできない。COOLだ」というのだ。


当時のオーストラリアは、日本人もまだ珍しく、日本という国も良く

知られていなかった。もちろん、インターネットどころか携帯もない。

彼が感じた「COOL」の背景には、15歳の遠いアジアからきた日本人の

少女がとても珍しく、とてつもなく勇気がいることだというのがあるのだろう。
「COOL」は、ファッションや持ち物だけではない。

急激な経済成長を見せていた日本で、皆が海外へ目を向け始めた

日本人の明日を夢見る上昇気流からくる独特のムードも「COOL」に

映ったということだと思う。


他人は自分とは違った視点で見る。
「COOL」という評価は、自分ではなく人が感じるものだ。


「COOL」と自分でいうやつは、「COOL」じゃない― これだけは、

どうも文化に関係なく世界共通の認識のようだ。


秋元康さんが、「「COOL JAPAN」とは自信を持つことだ。そして、

この国が一番大切にしなきゃいけないことは“美学”だ。

言い換えれば、何を恥ずかしいと思うか。」とおっしゃった。とても納得が

いった。


自分たちがこれから自国や文化の何を大切にしたいのかということを

考えたり、再認識・再発見したりするのは必要なことだと思う。

しかし、自分たちの何がかっこいいのかを考えるのは少し違うように思う。


そもそもいろいろな国や文化があり、その異なる文化にどちらがいい悪い

なんてない。ただ、「違う」のだ。

それを差し出したり、受け止めたり、自国も他国もただ楽しむという行為を

大切にできたら、日本だけでなく世界はもっと広がりを持ち、

楽しくなるのではないかと感じる。


自分たちのものをそのまま外に出し受け入れられることも楽しいが、

それを外の文化やライフスタイルや感性で新たなものとして創造する楽しさ

もある。


私たちのものが他の国から評価され、

現地に溶け込み姿を変えそれが彼らの新しい「COOL」になる。


良いと感じたり、自信があるものを大切にしたりしている姿が、

「COOL」なのだとおもう。

そこに、自らが日本らしいものとか、日本のかっこいいものとか

理屈をこねる必要はないように思う。海外から見れば自国にないのだから

自然と“日本らしい”となるのだ。



海豪うるるのブログ-春日大社


私は奈良市の観光大使をしており、

奈良のアピールを日本の人にしようと思った時、気付いた事がある。


「奈良らしい」とか「奈良ならでは」とか奈良の人は考えがちだが、

東京や奈良以外の土地からみたら、「奈良らしい」とか関係ない。


自分たちにとって新鮮なもの、美しいと感じるものかどうか。

例えば、奈良や東京にしか住んだことがない私が金沢を思うとき、

金沢らしいとかは考えない。


奈良や東京にない町並みや食文化が新鮮だし、

自分の中にない食文化や漆器、ライフスタイルに魅了されるだけ。


これは、逆の立場を想像すると簡単にわかるのだが、

意外に陥りやい罠なのだ。


置かれている社会環境やポジションの優劣ではなく、

皆それぞれ、自分が大切だと思っていることを持っていること、

要するに「話せること、言いたいこと」があること

がすべてなのだと感じる。


そうすれば、自分が意図していなくても「COOL!」とふとしたときに外から

評価が下る。「COOL」、「COOL JAPAN」とはそういうものなのだと感じる。