心の旅 ー自然と町並みの美しさを求めてー -70ページ目

心の旅 ー自然と町並みの美しさを求めてー

あちらこちらを楽しく旅してみたいと思っています。

趣味の写真を中心として旅先情報などをお届けします。

田原城は田原の駅から歩いて15分くらいです。

本丸こそ残っていませんが、外堀、石垣などは残っており、なかなか立派な城だと思います。

城跡の中には、護国神社、巴江(はこう)神社、稲荷などがあります。

田原市博物館も城跡の中にあいます。城壁を出たところに民俗資料館があります。

私の訪れたときは博物館も資料館も展示の入れ替えか、臨時休館でみることができませんでした。

またの機会と楽しみを残しておきます。

  

田原城由来 <-クリックすると大きくなります

田原城由来

  

田原城 <-クリック

田原城城門


田原 <-クリック

田原城外堀

田原まつりは、9月15日にもっとも近い土・日曜日に田原市内で行われます。

田原まつりのルーツは江戸時代に熊野j神社の祭礼として始まったとされています。

明治以降に現在の田原まつりの姿になって名古屋型の山車が登場し、神明社・八幡社の祭りを

田原まつりというようになりました。

精巧なからくり人形が山車に登場するのが特徴です。

(田原まつり会館パンフレットより)

室内でフラッシュなしの撮影で、ピンぼけ写真のオンパレードです。

  

総代車 山車の先頭にたち厄をはらいます

総代車

  

神宮皇后車 囃子に合わせて鮎を神宮皇后が釣り上げます

神宮皇后車

  

祭りの提灯 花火も打ち上げるそうです

祭りの提灯

千葉市花の美術館では蘭で今、むせかえるようです。

きれいな蘭がところせましと飾られていて、幸せな気分になることができます。

  

ユキヤナギ <-クリック

雪柳

ラン <-クリック

 ラン 

  

ラン <-クリック

ラン

田原まつり会館は駅の側にあります。

ここで田原の凧を学んできました。 以下、田原まつり会館での説明の丸写しです。

  

三河地方は日本でも有数の宝庫、ここ田原でも江戸時代初期から続く「初凧」と江戸時代後期、庶民の間に盛んに行われたという「けんか凧」が継承され、現在もそれぞれの個性を豊かに保持し、大空に舞い上がっています。

田原凧の特徴は、日本の殆どの凧が縦長で糸目の多いのに対し、横長で縦にたった2本、つりあいを調整するための糸目がつけられていること、この一見不安定な構造が田原凧の縦横無尽な動きを可能にしています。とりわけ大空で勇壮に糸を切り合う「けんか凧」は、凧の向きを自由自在に変え、上下左右と思いのまま操ることができることから凧の愛好家の間で注目の的になっています。

なお、田原の凧揚げは5月の第4土曜日、日曜日に行われます。

是非、ぜひお出でかけください。

    

凧 <-クリック

田原の凧

  

たこ揚げ <-クリック

田原の凧揚げ風景(人形です、念のため)

  

田原の凧の説明 <-クリック

田原の初凧
  

田原の凧の説明 <-クリック

けんか凧の歴史

  

田原の凧の説明 <-クリック

けんか凧の作り方

  

田原の凧の説明 <-クリック

けんか凧合戦


河口湖から見た富士です。

この前の続きです。

写真の整理がなかなかできなくて、小出しの感じになっています。

  

富士 <-クリック

河口湖から見た富士

fuji <-クリック

山梨県側から見た富士

田原の駅の近くにある城宝寺の紹介の続きです。

城宝寺の本殿の奥にある崋山霊日牌堂の天井をまず紹介しましょう。

崋山の弟子達による見事な絵画によって天井が飾られています。

  

天井画 <-クリックすると写真が大きくなります。

城宝寺の天井

  

次に、渡辺崋山の書をご覧にいれます。崋山の通称は登でした。

  

崋山書

崋山書

  

ついで、この部屋に祀られている崋山の位牌です。

  

崋山位牌

崋山位牌

  

最後に、この寺にある文化財についても触れておきます。

この寺の境内に6世紀半ばのものと思われる古墳があります。

玄室は奥行き6.4メートル、高さ2.4メートル、巾2.2メートルで、

ほぼ完全な形で残っています。

  

古墳

古墳


千葉市から見た夕陽に映える富士山です。

2006年2月9日に撮影しました。

地上113メートルのポートタワーの4階にエレベータで登ったときは、

まだ明るくて富士山は全く見えませんでした。

今日は、富士山は見えないね、と同行の方と話をしていました。

それが、日が沈み始めて、空が茜色に染まっていくにつてれて富士山の美しいシルエットが

次第に浮かび上がってきました。

ポートタワーにいた人たちから歓声があがったことはいうまでもありません。

  

遠くて小さくても、富士山はきれいですね。

  

富士(千葉から) <-クリック

   

富士(千葉から) <-クリック

yuuhi <-クリック

  

  

   



三河の田原に行ってきました。

田原は豊橋から渥美線で30分ほどで着きます。電車は15分ごとに発車していますから、帰りの電車の時間の心配はいりません。

  

田原といえば、

(1)渡辺崋山

(2)田原まつり(9月)

(3)凧まつり(端午の節句の日)

が有名ですね。

まず、渡辺崋山関係を写真を中心に紹介していきます。 

  

渡辺崋山は蘭学者として、画家として、また政治家として幕末に活躍した人です。

優れたデッサン力と独特の描線と西洋画の遠近法を取り入れて、優れた作品を残しています。

40歳で田原藩の家老になり、義蔵「報民倉」を設け、天保の飢饉のときに田原藩では一人の餓死者もださなかったとは有名ですね。(田原ガイドMAPから)

  

田原の駅の近くに城宝寺があります。こお寺に渡辺崋山の墓、位牌などが祀られています。

  

  城宝寺門

城宝寺門

  

上の写真は城宝寺門です。横にも別の門があります。

境内には、本堂、墓、古墳、弁天、地蔵などがあります。 

  

崋山墓

崋山墓

  

上の写真の中央が崋山の墓です。右がご母堂の墓、左が奥方の墓です。

  

崋山の位牌は、城宝寺の本堂の崋山霊日牌堂に祀られています。

崋山霊日牌堂をはじめ、田原のその他の事柄は、また追々写真付で説明していきます。



1泊2日で富士山撮影に行ってきました。

千葉県写真連盟主催の富士撮影会に参加しての撮影旅行です。

撮影場所は、山中湖、河口湖、忍野村などです。

撮影中の気温はマイナス18度のときもあり、厳しい寒さの中の撮影でした。

でも、神々しいほどの富士の美しさを堪能してきました。

人生長いうちには色々なことが起こりますね。

自宅をでてから、集合場所に行くまでに、履いていた靴の裏の厚いゴムの部分が

いつの間にか剥離して後は薄い裏底が残るだけ。

これでは、靴底が破れるのは時間の問題(涙)。

とりあえず、コンビニで布テープを買って靴をグルグル巻にして補強したけれど

たよりない、心細いこと限りなし。

でも、捨てる神あれば救う神ありとはよく言ったもの、

1日目の昼食会場の側に、日曜大工の店があるのに目をつけて駆け込んだら

3,900円のズックがあって購入しました。地獄に仏とはこのこと。

1万円でも購入したでしょう。

教訓:遠出するときは、古い靴は履かない!

  

2日目の昼食は河口湖畔で「ほうとう」を食べました。

ほうとうは山梨名物です。とてもおいしい昼食でした。

米が取れない山梨で武田信玄が陣中食として考案したと言われています。

名古屋のきしめんよりさらに幅広のうどんに色々な野菜をいれて味噌煮込みしたものです。

鎌倉のけんちん汁と発想は煮ていますが、けんちん汁は醤油味でうどんが入っていないところが違いますね。

  

河口湖で見た富士山 <-クリック

河口湖にて

  

忍野村から見た富士山 <-クリック

忍野村にて

大雄寺を過ぎて、暫く歩くと、旧吉田酒店にでます。

現在は、下町風俗資料館になっています。江戸時代の酒店の様子が彷彿します。

  

そこから、すぐ寛永寺に出ます。

寛永寺は天台宗の関東総本山です。

1625年三代将軍家光の時、天海僧正により建立され、。のちに芝増上寺とともに将軍家の菩提所となったところです。

寛永寺の色々な建物は明治維新の際の彰義隊の戦争で、ほとんどを焼失してしまいました。

近くの根津近辺の寺院も焼失したものが多かったと聞いています。

  
写真の根本中堂(本堂)は、明治12年に川越(埼玉県)の喜多院から改築し、移築された薬師堂です。

寛永15年(1638)の建造物といわれています。

  

寛永寺  

寛永寺根本中堂(本堂)


 寛永寺

   寛永寺境内の地蔵    

参考文献

(1)
東京国立博物館構内発掘調査団
上野寛永寺旧本坊関連遺跡発掘報告書―東京国立博物館平成館および法隆寺宝物館建設地点発掘調査報告書
(2)
須賀 一
写真集 上野寛永寺

(3)

霞会館資料展示委員会
鹿鳴館秘蔵写真帖―江戸城・寛永寺・増上寺・燈台・西国巡幸