「統一教会」ナチス説。 | 北京の秋 南京の冬

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タイトルとは裏腹に親台湾派です(笑)おっさんです。話はグダグダです。それでもよろしければ。

タイトルを見て「そうだそうだ!」と歓声を上げた方も「なんだとコノヤロー!」と憤慨した方も最後まで読んでくださいね。

 

 

三つの案件がある。

 

 

1)元首相である衆議院議員安倍晋三が暗殺された事件。

(マスコミその他で「暗殺」という文字をめったに見ないけど)

 

2)(1)に関する警察(警察庁、奈良県警)の警備の不手際。

 

3)旧・統一教会(現在は「世界平和統一家庭連合」)が社会に与えた諸問題。以下文中では新旧の両組織を区別せず「統一教会」と書くことにする。

 

 

多くの人が言うように、これらは別々に検討・議論されなければならないことなのに、しばしば、とくにマスコミではごちゃまぜにして論じられることが多い。そこには陰謀論やミスリードが生まれやすい、と私は思う。

 

 

 

暗殺事件の直後、実行犯と目される山上徹也(現時点では「容疑者})は、犯行の動機として「母親が統一教会に財産をつぎ込み、それによって家庭が崩壊した。よって統一教会と深い関係があるとされる安倍晋三を殺害した」(大意)という供述をしているとの報道があり、それ以降山上が供述をひるがえした、という話を聞かない。

 

 

 

事実なら犯行は筋違い、または逆恨みである。「深い関係」があったところで、安倍晋三は統一教会の教祖でも幹部でも、おそらくは熱心な信者でもない。安倍はとんでもないとばっちりを受けたことになる。

 

 

 

この暗殺事件で、被害者は安倍晋三であり、加害者(推定)は山上龍也であることは明白な事実だ。しかも民主主義の象徴ともいえる選挙のための演説中に凶弾に倒れた、という民主主義国家ならばあってはならないはずの事件。

 

 

 

それなのに報道各社は、山上による真偽不明(自供の真実性なんて実は本人にしかわからない)供述になんらの疑問を差し挟むことなく「統一教会は献金で家庭を崩壊に追い込み、政治、とくに自民党に重大な影響力を持つ邪教」とばかりに一斉攻撃をはじめた。そして「統一教会が悪い。当然「深い関係」があったアベも悪い」という論調がマスコミを支配しているのはどういうことか。いじめの問題で「いじめられる方にも問題がある」という話をよく聞くが、これではまるで「被害者=いじめられる方が悪い」である。

 

 

 

 

さらには「統一教会を解散に追い込め」などと言い出す人も。公党であるれいわ新撰組の代表である参議院議員山本太郎が「ぶっ潰す」旨の発言をしたことは記憶にとどめておくべきだと思う。「破壊活動防止法=破防法を」なんていう人もいたが、信者の手で数十人を殺害したオウム真理教にさえ適用されなかった(当時朝日新聞が「破防法の適用に反対する」と名言する社説を掲げていたことを思い出す)法律が、たかだか(*)詐欺罪等の経済犯でしかない統一教会に適用されるはずもない。

(*)この場合の「たかだか」は数学的用法で、「大きく見積もっても」といった意味。「たかだか4次式(3次式でも1次式でも可)」「たかだか有限(すごく大きい数だけど無限ではない)」の「たかだか」。統一教会による個々の被害が軽微、という意味ではない。

 

 

また、日本には憲法第19条・第20条により思想・良心・信教の自由が保証されており、国家権力が宗教に介入することは大日本帝国憲法下での苦い経験もあって非常に難しいと思われる。

 

 

 

…という話をすると「こういう人たち」が持ち出す人物がいる。哲学者カール・ポパー(1902ー94)。拙ブログでも一度取り上げたことがあるが、このようなことを述べている。

 

こちらから再録)

 

↑元の記事にも書いているのだが、「不寛容であるナチスのようなもの(図でははっきりナチスとして描かれている)は排除しても良い」という論法である。ポパー自身もナチスの迫害を受けているようなので「お気持ちはごもっとも」なのだが、彼の「個人的感想」なんじゃないだろうか。

 

 

 

ナチスやヒトラーといえば、現代社会で「批判しても誰からも文句が出ない」希有な存在であり、「絶対悪」と言っていい。ことにドイツではナチス賛美は犯罪である。とはいえ、自分が気に入らない相手をナチス(のようなもの)になぞらえて悪魔化することで、「自分が考える不寛容」に対する不寛容を正当化することには賛成できない。「俺が不寛容を判定する」というならそれは独裁だ。

 

 

 

最近のこと。私がある掲示板に「夫婦別姓に反対する」旨の意見を理由を添えて述べたところ、「それは統一教会の教えと同じだね」という人がいた。さらに別の人が「(借熊こと私)は信者だろう」さらに壺だの(ネト)ウヨだの言い出す連中がいて、あまりのばかばかしさに私はその場を去った。彼らの中では私が論破されて逃亡したことになってるんだろう。「統一教会」だの「壺」だのの一言で論破できる、と思うこと、それはまさしく彼らによる不寛容であり悪魔化である。ちなみに私は統一教会を擁護するつもりはないし、献金を自ら要求する宗教は大嫌いだ(そういえば家の菩提寺…ゲフンゲフン)。

 

 

 

 

今、「こういう人たち」がもくろんでいるのは統一教会をナチスになぞらえて「絶対悪」化することだと私は考える。統一教会が叩き放題の状態になれば、「ズブズブ(なんと曖昧にして恣意的な言葉!)」の関係にあったアベの屍体を思い切り蹴飛ばせる。でもね、すでに多くの人が指摘していることだが、7万人とか言われる国内の信者だけで、政府を操ることなどできるもんだろうか。郵便局長会や看護協会は数十万の「手持ち票」を持っているというがそれでも毎回推薦候補が当選するとは限らないのに。そんなに影響力があるのならば自分たちで政党を設立していそうなものだが(こうめ…ゲフンゲフン)。

 

 

 

 

だいたい「こういう人たち」にはつい最近まで「日本会議が政界を操っている」という設定があったのではないか。「自民党の黒幕は神社本庁」とか。ジャーナリスト菅野完に至っては「日本会議の研究」なる著書をものして何かの賞をもらっていたと記憶している。この「宗旨替え」はいったい何なのか。「神仏合体」ならぬ「神基合体」?まさか。

 

 

 

 

断言する。「こういう人たち」は悪徳宗教の被害者なんかどうでも良くて、ただアベを叩ければいいだけなんである。しかも死者を冒瀆するような言動の数々。国葬儀が済むまでの最後の「アベガー」だろうか。それにしても私には堪え難く、到底賛同はできない。

 

 

 

 

私としては、内閣総理大臣・安倍晋三による政策を全て肯定するわけではないし、ましてや崇拝などしていない。ただ、在任中はいわゆるモリカケ等の冤罪(当初問題視された、「両学園に関しての利益誘導、または供与」については告発した側はいまだにその証拠を提出できずにいる。推定無罪の原則からすれば、少なくとも現時点では明らかに冤罪である)に悩まされ立法行政を妨害され、そして非業の死をとげた後も悪罵にさらされる…ほぼ墓荒らしのような状態となっていることを私はとても不憫に思う。

 

 

 

「こういう人たち」の皆様、儀式に参列することについては当然ご自由(それこそ思想・信条の自由)ですが、せめて死者を静かに見送ったあとで批判なり検証なりしたっていいじゃありませんか。それができないから「こういう人たち」なんでしょうけど。

 

 

 

私にしては長文、お付き合いありがとうございました。

(文中敬称略)