現在地はタイのメーホンソンです。
毎日これと言って何もしていません。
その辺の人らとくっちゃべったり、散歩したり。
お気に入りのお店でゴハン食べて、軽く飲んで。
一日がすんごく早い。
気付いたら1月も終わるんだなあって。
2月にはチェンマイにいたいなあ。
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さて、前記事の続きです。
前記事では瞑想の一日を書いたのだけれど、その中でも午後の歩きながらの瞑想があたしは大好きだった。
もちろん真面目に呼吸がどうだとか、足の動きとかの観察なんてものはしていなかったのだけれど、色々おもしろいことを思い出したり、考えたりすることが多くてね。
しかも、景色がとんでもなく素晴らしい。
岩肌はかっこいいし、ぞくっとする洞窟の入り口や静かな森の中。
素敵な石がごろごろしていてそれはそれは大興奮の場所なんだわ。
まず、そこで思ったのは、
呼吸を意識すると集中力が増すって、元々知っていたのではないかということ。
中学校の頃、
バレー部だったあたし。
結構厳しい部で土日も練習、平日も夜まで練習していた。
よく長距離を走らされたんだけれど、その時自然に
吸う吸う吐く吐く
吸う吸う吐く吐く
と、心の中で唱え、ひたすら呼吸に意識をおいて走りこんでいたのだ。
なぜかというと、そうすると疲れないで早く走れる気がしていたから。
実際そうやって走るとラクに感じていたのである。
山登りの時もそう。
いつの頃からか登りの時、いつも心の中で、吸う吸う吐く吐く
このことを人に話したのは初めて。
正直言うほどのことではないと思っていたし。
あまりに無意識にやっていたことなので言おうと思いつきもしなかった。
意外とみんな無意識にやってるのではないのかな・・?
あとね、その森の中で思ったのは
あたしは十分幸せだということ。
これ以上望んだら罰あたるわ。
あとね、怒り、悲しみとかそういうネガティブな感情を無理に消す必要ないのではないかなということかな・・。
人間なんだし喜怒哀楽があって当然で、頭に来たらそりゃその対象に怒っていいでしょ。
当然、あっちにはあっちの言い分があるんだろうし、それを何も言わずに怒りを抑えて許してしまったらなんか根本的な解決になっていないような気がする。
例えばあたしはイライラしていると瞑想中に自分を観察して
何に対してどうしてイライラしているんだろうとか、どうしてその人はこういうことをしたのだろう、きっとこう思ったからじゃないかな、いや、もしかしたらこうかもしれないとか
こう悶々と考える行為を止められてしまったら、あたしにとってそれはすごくつまらないことだなあと。
もちろん、ポジティブなことも。
そうやってぐるぐるぐるぐる一人で考えている行為があたしは好きなんだと思う。
よって、それを奪われてしまうと
くそつまんねぇな、おい。
ということになってしまうのだなー
ということに気付いた。
それに気づいてからは、真面目に瞑想をやる気が一切なくなった。
だいたいね、あそこに置いてある日本語の本。
自己啓発本みたいなかんじで大大大嫌いなんだわ。
ブッダの歴史とかは読んでいられるけれども、
やれこうすりゃ幸せへの第一歩だとか
なんであんたにあたしの幸せがわかるんだ
天邪鬼なあたしには逆効果
※質問:睡魔が襲ってきたらどーすりゃいいんすか?
※性欲沸いてきちゃったんすけどどーすりゃいいんすか
もうこういうQ&Aがおもしろかったなあ。
と、結局あたしは好きなことしか出来ない人間で嫌いなことに関しては全くやる気が起きない人間であるということが本当によくわかった。
まあ、それを我慢して乗り越えることに意義があるのかもしれないけれども、そんなことまでする意味は?
仕事ならまだしも、旅行中なんすけど、あたし。
こんなことを考えていたあたし。
近々出ようかな・・うん、あたしには瞑想なんて必要ないし、もっと必要としている人が個室を使った方がいいでしょ、こんな不真面目な人よりも。
でも、まさかこんな風に考えていた翌朝に出ようとはこの時は思っていなかった。
明日ー明後日くらいかな・・とぼんやり考えていたくらいだったのに・・
決定打が、食事だった。
みんな飢えているんだわ。
毎度の食事でそれは感じるのだ。
列、抜かされるのは一度や二度じゃない。
もちろんあたしも腹ぺこだぜ、でも、もーしょうがねぇ子猫だぜ!くらいに思って譲ってたさ。
ビュッフェなんだけれども、そこにある分しかないわけ。
腹ペコ野郎共、後の人のことを考えずに山のようにおかずを盛るのだ。
米は沢山あるんだ、だから、米を多く取る分にはいいと思う。
おかずが問題なのだ。
よく最後の方の人達のおかずがなくて
白飯に醤油をぶっかけただけのもの
を食べることになってしまったり・・
あたしはね、いつも遠慮がちにおかずを取ってた。
みんなが取り終わって余っていたらおかわりをもらいに行くって方法を取っていたのね。
だって、あまりに考えなしでしょう。
白飯に醤油ぶっかけて食うだなんて。
猫まんまよりもひどいじゃない。
実は、もう、明日の朝帰ってやるって思った理由が
あたしを含め10人以上の人がおかずがなく
白飯に醤油をぶっかけたものだけの食事になってしまったから。
ちょっと涙が出てきた。
なんだこれ、バッカじゃねーの!!って
瞑想とは素晴らしいもので、それを習おうとしている今時の言い方だと「意識高い系の人間達」が
周りの人のことも考えずに欲張っておかずを取りまくる。
そして、10人以上もの人々がおかずなしの白飯醤油汚し飯を食べる羽目になっているのに何も感じず、明日の朝まで飯食えないんだから!と必死に胃袋に収める。
あたしは、これってさ瞑想以前の問題で人としてどうなんだって思うんだけど。
あまりに腹が減りすぎて順番抜かす。
あまりに腹が減りすぎて山盛りに盛る。
なんかさ、こんなに余裕がないかんじになっちゃうなら夜飯もあればいいのにね。
すっごく悲しかった。
順番を抜かされるのも、後の人のことを考えない人にも
白飯醤油汚し飯も!!!!
かなり、根に持ってます。
食べさせてもらえるだけありがたいでしょう。
世の中には食べられる物がなくて困っている人もいるんだよ・・
うるさい、あたしには毎日普通のゴハンを食べられるくらいのお金もある。
てか、人にゴハンを出すといってだ、白飯と醤油だけってどんだけよ。
失礼でしょうが、さすがに。せめてかつ節つけやがれ!
と、結局のところあたしが瞑想を一週間以上続けられなかったのは
※妄想し続けているのが面白いのに、呼吸に意識しろとかうるさい。
※夜飯がないから夜腹減って眠れないし、そのおかげで瞑想中爆睡してしまう。
※白飯醤油汚し飯の恨み
ってのが、大きな理由。
自然環境は素晴らしいです。
でも、あたしにとってはただそれだけかな。
まあ、きっとあたしは二度と行かないと思うけれども、ああいう環境に身を置くというのはかなり珍しい経験だと思うので、経験出来てよかったなあとは思う。
と、
これで瞑想のお話はおしまい。
興味のある方は日本の千葉と京都にもヴィパサナ瞑想が出来るところがあるみたいです。
是非体験してみては・・?
ここよりも厳しそうだけれど・・