キム・ヨナの演技が好きだった。
初めて彼女の演技を見たのは2006年の世界ジュニアだったか。
幅と流れのあるジャンプは当時も今も素晴らしいのだが、何よりも彼女を見て凄いと思ったのは、曲を表現する上手さだった。
「なんてキレイな表現をする子なんだろう」と思った。
そして翌年2007年の世界選手権でのフリー。
キム・ヨナのプログラムで、おそらく一番の名作であり人気プログラム「あげひばり」。
どこか東洋的な曲調の「あげひばり」。
それはきっとアジア人にしか出せない、少女から大人になるほんの僅かな時にしか出せない清楚で素直な美しさ。
しなやかで、たおやかで、指の先まで神経を通わせ、時おり見せる憂いのある表情は嫌味がなく、同じ16歳の浅田真央の「ノクターン」とは違う魅力。
これを極められたら浅田真央は勝てない・・・
それから数年。
私がキム・ヨナに対する感想はいつもこれだ。
どうしてこうなった?!
いい選手なんだよ。
本当は、とってもいい選手なんだよ。
あれだけの繊細な曲を、指の先まで神経通わせて表現できる数少ない選手なんだ・・・
その稀で貴重な才能と可能性を、五輪金メダルと言う名誉と引き換えに、一つ一つ捨ててしまったのが残念でならない。
今の彼女は、振付師の言われた通りの角度の目線でポーズを取っているだけになってしまった。
だからだろう。
彼女の作品は曲が違うだけでいつも同じに見えてしまうのだ。
五輪でみせた新EX「タイスの瞑想」とフリーの「ヘ調の協奏曲」の差があったら教えてほしい。
今シーズンを締めくくる世界選手権は、とんだ茶番劇だった。
目標を失った金メダリストは、これが世界最高得点で金メダルの歓喜に泣いた選手かと思うほど、覇気も気力もない、ただの選手だった。
誰の目から見てもそれがはっかりと見て感じられるのに、彼女のやる気のない態度や演技に反比例してたたき出される高得点。
自信が目指していたアルベールビル五輪金メダリストのクリスティ・ヤマグチは、実に見事な演技で五輪後の世界選手権を制したぞ!
尊敬するミシェル・クワンは、手から金メダルがこぼれ落ちても、最後まで堂々としていたぞ!
だから、キム・ヨナも、モチベーションが上がらなくても金メダリストとしてのプライドだけは持っていた欲しかった。
リンク上でもリンクの外でも・・・・
かつて伊藤みどりは、ショートで大怪我を負いながらも翌年の五輪枠の為にフリーに挑んだ。
そうやって、その時のその時のトップ選手が一つ一つ出場枠を勝ち取り、そこに出場した選手が実績を残すことでその国のフィギュアが強くなっていくのではないのか?
それがトップ選手としての宿命ではないのか?
世界選手権では、ジャッジはどう点数をつけていいのか混乱していた。
上げたり、下げたり。
だんだんそれが露骨になってゆく。
ジャッジは、キム・ヨナの名誉と、採点システムの正当性だけは何としてでも主死せよと命令されていたのかもしれない。
たったそれだけのことの為に選手が犠牲となった。
ショートもフリーもノーミスで終えた浅田真央はシーズンベストを更新できなかった。
久しぶりに良い演技をみせたコストナーも、点数が伸びなかった。
ショートで1位となった長洲未来は7位に落とされ呆然としていた。
これだけ多くの選手が演技後のキスアンドクライで呆然となるシーンが今だかつてあっただろうか?
キスアンドクライ。
そこに祝福のキスはなかった。
あったのは、「2位か3位でもいいわ」と試合に臨んでその通りになった五輪金メダリストの笑顔と、
最後まで採点システムの正当化を貫き通したISUの意地と腐ったプライドだけ。
それがインターネットの画面を見ている私にも伝わってくるほど、いい加減でお粗末な採点の世界選手権であった。