鐘の解釈 | 業務連絡

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これはヤバイ。

フリーの「鐘・ピアノと管弦楽バージョン」

ストレートラインステップから天を仰ぐラストポーズまでがもう鳥肌もの。
ヤバイよこれは。





この曲がフリーで使う曲だと日本中に知れ渡ったとき、動画サイトにアップされたのが、ピアノバージョンの「鐘」と、オーケストラバージョンの「鐘」であった。

この二つの「鐘」を聞き比べながら、我々ファンは、この難しくて深い曲に乗せて軽やかに演技をする浅田真央の姿を脳内で想像し、オリンピックの表彰台の真ん中に立つ姿を想像していたと思う。
そう。多くの人がピアノで演奏された鐘を想像していたと思う。


そして10月。
発表されたのは、オーケストラバージョンの「鐘」


この曲。
いざ蓋を開けてみたら、難しいうえに、重厚すぎて重くて暗い。
そしてタラソワの振り付けも解釈も超難解ときたもんだ。
ただでさえプレッシャーのかかる五輪シーズンなのに、演じる本人も観ているファンも難解なプログラムに翻弄された。

ピタリとハマれば神プロであることには間違いないのに、浅田真央は不調のどん底を行き、初のGPF出場も逃した。

ライバル達が軽やかな曲に乗せて高得点を叩き出しているのに、日本のエースは不調の真っ只中。
選手の不調と重なるように、曲がドロドロと暗いとくれば、「真央に鐘はまだ早い」「曲の変更を考えるべき」「タラソワ解任」などと言われ、ついにはタラソワ本人からプログラムの変更を示唆それる始末。

繊細なピアノと力強いオースケトラ。
ああもう!
この世に二つも違う「鐘」が存在するから悪いんだ!



しかし浅田真央は譲らなかった。
月影先生とマヤを地で行くかのような二人。
まるでスケート版「ガラスの仮面」

「鐘」は「くれない天女」なのか??



「仮面舞踏会」と違い、ストーリー性のない曲。
それを、多少の振り付けの手直しをして、自分なりに解釈して仕上げてきた。

そうだ。
すっかり忘れていたが、タラソワの今年のテーマは「乗り越えろ」だったな。
そう思ったら、タラソワがあえてオケ版の「鐘」にした意味が少しわかったような気がした。

ピアノだとおそらく浅田真央と言う人は意図も簡単にプログラムをこなしてしまうだろう。
言い方を悪くすれば「無難」に。
天性の柔らかい膝を使い、ピアノの軽やかな旋律に乗せて演技をする浅田真央の姿は、ファンならば簡単に想像できる。

しかしオケはどうだろうか。
あえて暗くて重たいオケにする事で、タラソワは教え子に「曲を解釈する」と言う課題を与えたのではないだろうか。
タラソワは浅田に「もっと怒りなさい」と言ったそう。
怒り、悲しみ、苦しみ、恨み、迷い・・・

優等生では決してない自分の中の素直な感情に向き合い、考え、悩むことで得られる表現。
計算された表現と、葛藤をしながら体に浸み込ませた表現と、どちらが観ている者の心に響くかしら?

ニコニコと微笑みを浮かべ、ジャッジ好みのプログラムを作り、そつなくジャッジに目線を投げてアピールをする事は誰でも出来る事。

しかしタラソワと浅田真央が選んだのは、誰にも媚びないプログラム。
体も心も完全に大人になりきる前の19歳の今だからこそ演じることが出来る。




演技の冒頭、気だるさの中で祈りながら鳴らしていた鐘。
終盤では力強く鳴らす。
一つ、二つ・・
2回のジャンプは僅かに残った迷いを乗り越える最後の試練か。


ストレートラインステップで涙するのは、彼女に向かって来る数々の逆風を「倒されるものか!」と必死に立ち向かっているように見えるから。
ステップのラストで、何かを払拭したかのように手の甲を咬む。
実は一番好きなシーンだったりする。


そうそう。
ラストの片手ビールマンが鐘に見えるのは私だけ?

「最後の鐘の音は、乗り越えた者のみ鳴らすことが出来る」


もうフジの塩原アナじゃないけどポエム炸裂。




タラソワ、あんたやっぱり凄い人だ。