光母子殺害
元少年に死刑判決 広島高裁
大切な家族を奪われ、犯人が少年と言う事で真相を知る機会さえも奪われ、
それでも一つ一つ世に訴えることで司法を動かし、
被害者遺族の権利を手にしたあの心の強さはどこから来るのか。
会見では感情を極力押さえつつも、その口から発する言葉の一つ一つがとても重たい。
この人は、ただ無念や怒りに任せて少年に死刑判決を求めるのではないのだ。
どこの誰よりも「人が人の命を奪う」という事を真剣に考え、その上で死刑と言う刑を望み、
そして自らもその刑を背負うとしている。
あの若さで3人の人の死を背負うのだ。
だからこの人の言葉一つ一つが重く人々の心に響くのだと思う。
少年を利用し、少年法を利用し、とうてい理解できない理屈を述べたてているだけの
人権派と言われる弁護士や学者よりも人の死について考えているではないか。
被害者や遺族はそこまでしないといけないのか。
いったい何の為の、誰の為の制度なのか。
生い立ちが不幸でも立派に生きている人はたくさんいる。
本村さんだって妻と子供を殺されても、会社員として働き、納税をし、
我々と同じように日々の生活を営んでいるではないか。
「生い立ち」は理由にはならない。
どうか刑か施行されるその日まで、
人が人の命を奪う事の重大さを日々噛みしめて欲しいと思う。
それにしても本村さんの9年は長すぎた。
20代から30代にかけての一番いい時をこの人はこれに費やした。
折れる事なく一貫した信念を持ち続けた事を立派に思う反面、
とても切なくて痛々しいくもあった。
この判決を通して被害者遺族である本村さんは言う。
「死刑という制度の残酷さを考えても、そのような刑を適用させないために、
犯罪のない社会にしなくてはならない」
この重たくて尊い言葉を、司法に関わる者はもちろん、
我々国民一人一人が真摯に受け止め考えなければならないと思う。