こちらの記事の続きです。
センシティブな内容が含まれる可能性があります。
自死の具体的な表現は避けますが、読まれる方によっては無理と感じる方も居るかもしれません。
敏感な方、苦手な方は戻ってください。
祖父が何故自ら命を絶ったのか?
原因は誰にも分かりませんでした。
精神疾患などなかったと思います。
お酒をよく飲んでいたので、アルコール中毒だったかもしれません。
(精神疾患の方、アルコール依存症の方への偏見ではありません。)
でも、理由のひとつとして挙がったのは
世代交代による祖父の引退(隠居)、そして父への代替りではないか?
婿養子である父の時代が来たことに対する嫉妬
自分の老いに対する否認
遺書などなにも無かったので、周りの人の憶測に過ぎませんが、恐らくそうだろう。。。となりました。
私は祖父が亡くなったというのに、全く悲しくありませんでした。兄たちもそれは同じだったようで
子供部屋にこもり、3人でカードゲームしながら過ごしてました。時々笑い声さえあげながら。
我ながら非情だと思います。でも、悲しさとか自分の意思でどうこうできることじゃないので、悲しみの感情がないのは、それだけの関係性だったのだなと思いました。
祖母は、まるで全ての原因が父にあるような態度をとりました。
言葉にこそ出しませんが、アンタのせいで!という念が強かったように思います。
父は父で、田舎の家に婿養子となり、義両親と妻、子供達を養いながらアウェイな場所でもどうにか自営業を行い、それこそ田舎の人にも認められ始めていた矢先でしたので、かなり憤りを感じていました。
勝手に嫉妬して当てつけのように死んで
残された人の苦しみなんて何も考えてない
そう言って荒れていました。
祖母にも母にも。
あんなに父が大きな声を出して怒っているのは
後にも先にも見たことがないと思います。
少し脱線しますが、
火葬場での着火は喪主が行うのが通常でしたが、喪主である祖母は
「そんな酷いことなんて出来ない」
と言って着火を拒否。結局、父が代わりに行いました。
自分は出来ないという「酷いこと」をさせるんだな、と父は思ったそうです。
(今では火葬場での着火は無いんでしたっけ?なんせ30年以上前の話なので)
田舎なので、祖父のことはあっという間に周知の事実となりました。
葬儀の次の日、喪中だし何日か休める、不謹慎にもラッキーと思っていた私たち兄妹に父が怒り気味に、休む必要ないから学校に行くようにと言ったため、休む事は許されませんでした。
えー?と思いながら学校に行くと
同級生から
「え?もう来たん?」
と驚かれたのを覚えています。
それから
祖父は父に扶養してもらってたくらいなので財産はありませんでしたが、実家の建物や土地はたくさんあったので、相続の話になったようです。
しかし祖母が父に相続させることを断固として拒否しました。
今では考えられませんが、相続手続きをせず、名義は祖父のまま変更されることはありませんでした。
祖母が名義変更を拒否した理由は
父に家を乗っ取られて追い出されるから
でした。
父のことが嫌いだったんでしょうね。
養ってもらわないと生活できないので、
祖母の精一杯の抵抗だったようです。
父は祖母のこの発言に呆れ果てました。
母、母の妹たちも何も言わなかったのか?
不思議でなりません。
子どもだった私は、そもそも相続のことで揉めてるとか当時は知りませんでした。
ただ、家の雰囲気が悪いな
ギスギスして居心地悪いなとは思ってました。
そして、将来なりたい仕事があり、その資格取得のために自宅から遠い高校を希望して、自宅を出て寮生活を始めました。
資格取得は半分本気半分は早く家を出るための口実でした。
実家は私立高校に通えるほどの財力はありませんでしたが、どうしてもこの高校に行きたいと懇願して許してもらいました。 当然奨学金も貰いました。
女子校だったので、女同士のネチネチしたこともたくさんあり、寮生活は中々厳しいものでしたが
実家よりはマシでした。
そうして高校3年間は寮生活をして
高校卒業後は大学へ進学したのですが、引き続き奨学金を貰いながらバイトもして、寮ではなく一人暮らしを始めました。
誰からも干渉されない一人だけの空間。。。
それまで大家族で育ち、寮生活で上下関係が厳しい環境だった私には生まれて初めてのことで、とても充実していました。