こちらの続きです。




お見合いで結婚して、母方の苗字を名乗るようになった父、結婚した際に祖父母が養子縁組の手続きをしてくれていると思っていたそうです。


ところが事実は違い、婿養子、ではなくただのお婿さんだったとのこと。


なぜ発覚したかというと、祖父母が働かなくなり、年金や健康保険を父に扶養してもらおうとしたが、婿である父には扶養義務がなく、扶養してもらいたい祖父母が慌てて養子縁組の手続きをしたのだとか。


それを知った父は、呆れるというか悲しいというか怒りというか、何とも言えない複雑な気分になったそうです。


それでも表面上は関係性もギスギスしたものでなく、普通だったと思います。


私たち兄妹は、祖父母から可愛がられてなかったので、当然懐いてもなく、ろくに会話もありませんでした。


そうして私が中学生の時に事件が起きました。




実家はかなりの田舎で、中学に通学するにもバスを使わないと通えないほど遠く、しかも1時間に一本しかなく、バス停までも徒歩30分ほどかかってました。

部活終わりには時間も遅いので、バス停まで迎えにきてもらうようにしていたのですが、

ある日のバス停へのお迎えの車が、叔母(母の妹)の車だったのです。


叔母は、祖父母に会いに時々は来てましたが、いつも昼間なのでこんな時間は珍しいなと思ってました。


母が運転する叔母の車に乗って、しばらく走ると

「おじいちゃんが死んだから」

と母が言いました。


は?朝学校に行く時テレビ観てたやん?

別に病気っぽくも無かったやん?

なんで?


そう思ってるうちに自宅に着きました。


今のように斎場ではなく、田舎なので自宅で葬儀を行う家が多く、祖父の葬儀も自宅で行われるのか、準備が進められていたようでした。

お座敷に布団をかけられて横たわる祖父と酷く泣き腫らした顔の祖母が目に入りました。


他にも人がたくさんいましたが、誰が居たのかよく分かりませんでした。



私は1日学校に行って授業も受け、部活も参加して普段と変わらない時間に帰宅しました。

おそらく兄たちも同じだったのだと思います。

(兄たちは自転車通学でした)

祖父が亡くなったのは何時くらいだったのかわかりませんが、学校を早退することや先生から知らせを受けることも無かったのです。


私たちが居ないほうがいいと判断されたのか

バタバタしているうちに時間が過ぎたのか

多感な中高生である私たち子どもは知らない方がいいと思われたのか

今でも分かりません。





祖父の死因は事故でも病気でもなく

自ら絶ったものだったからではないかと推測されます。