このところ、義姉の話題が多かったですが
これからしばらくは私の実家の話を書こうかと思います。
実家も色々ありまして
いつの頃から書こうか
誰のことから書こうか
悩んでなかなか書き出せませんでした。
とりあえず、実家の人物紹介から
父(10年前に逝去)
母(福岡県内に在住)
長兄(北九州在住結婚して一女をもうけ、奥さんと3人暮らし)
次兄(独身で母と同居)
長女(私 福岡市内に夫と2人の子供の4人家族)
私が生まれた時は、両親、兄たち、祖父母(母方の両親)と曽祖母の8人家族でした。
今どき3世代同居、中々ないですよね
当時の田舎はあるあるでした。
父は6人兄弟の上から3番目の次男
母は3姉妹の長女でした。
母は高校卒業してすぐに婿取りのためにお見合いして、父と結婚しました。
お見合いさせられた、が正しい言い方かも。
(当時、父方の母は婿に出すなんて聞いてなかったようで、めっちゃ揉めたそうです)
母は、19歳で結婚、すぐ兄を妊娠したので、20歳で第一子、そして年子で私たち3人が生まれました。
父は、お婿さんだったので、男の子が出来るか?が、かなりプレッシャーだったそうです。
父の心配をよそに第一子が男の子だったので、安堵したと後々話してました。
たいした名家でもないのに、婿とか跡取りとか何なん?と思ってました。
曽祖父が亡くなった2日後くらいに次兄が生まれたのですが、
曽祖母は、旦那さんの生まれ変わりだ!といって次兄を特に可愛がりました。
もう、あからさまなエコ贔屓
次兄にだけおやつをあげたり、色々特別扱いしてました。私と長兄は蔑ろにされてたのですが、かわりに父が可愛がってくれました。
お婿さんなので、曽祖母に文句も言いづらい立場だったのだと思います。
次兄は曽祖母に甘やかされて育ったので、3人兄弟でも、1人だけかなり我儘な子どもになりました。
買い物に行って、思い通りにならなかったら床に寝っ転がって泣き喚いたりすることが、頻繁だったそうです。
曽祖母は私が小学2年くらいの時に亡くなりました。
祖父母たちからは可愛がってもらった記憶ありません。
祖母は47歳でおばあちゃんになりました。
まだ若く、元気でしたので、私たちがうるさい存在でしか無かったようです。
確かに3人でいつも家の中でうるさくしてたので、そう思うのも無理はないと今では理解できます。
祖父母たちは、自分の娘が婿を取り、実家で同居してくれたことで最大のミッションは達成していたのだと思います。
父はそんなに稼いでいたわけではありませんでしたが、母が父と結婚した途端、働くのをやめ、父に養ってもらっていたようです。
釣った魚に餌をやらないとありますが、結婚してしまえばこっちのもん、みたいな感じで
祖父母達にとって、私たちはただただうるさい存在でしかなかったようです。
ちびまる子ちゃんやサザエさんのおじいちゃんとおばあちゃん(波平さんと舟さんはタラちゃんにとっては祖父母なので)を観ても、あんなのはアニメだからだ、現実は全然違うと思ってました。
ちなみに、祖母は私が母のお腹にいると分かった時、
「また(妊娠したのか)⁉️みっともないから降ろしなさい」
と堕胎をするように言ったそうです。
でも、何となく母的に男、男、と来て次は女の子のような気がしたみたいで、祖母に堕胎するように言われてものらりくらりとかわしたおかげで私が生まれました。
母も、若くして見合いさせられ、20歳で結婚して立て続けに3人子どもが出来、大変だったと思います。
今となっては理解できるし、大変だったんだろうと同情もできるのですが、自分が幼かった時はそんな事情なんて分かるはずもなく。。。
母は元々子供が好きじゃないのか、私は母と一緒にお風呂に入ったことも、一緒に寝たことも、抱っこしてもらった記憶も遊んでもらった覚えもありません。
流石にだっこは写真が残ってるから、全然無いわけではないのですが。
小さい頃、遊んでくれたりお風呂に入れてくれたのは父でした。
父の膝の上や背中にくっついてまわり、いつも遊んでもらっていました。
父は、元々子ども好きなのですが、環境が完全アウェイな場所なので、拠り所が子ども達しかなかったんだと。
父のことは大好きで、父からも無償の愛を感じることは出来ましたが、母からは感じることが出来ませんでした。
お母さんは私のこと好きなのかな?
漠然とそう感じる幼少期でした。
8人家族の中、最年少で育った私は、良くも悪くも大人の顔色や場の空気を読むのがとても得意な子どもとなりました。