皮革製品も毛皮も大好き、
動物も沢山飼ったし、
今は乗馬も習得中、
そしてある意味、
昨今の日本の社会的傾向の、
変に序列つけない、とか、
弱者救済、とか、
社会的なにやかにやの・・被虐サイドの取り上げの目立ちで、
変に、時々、弱い側に、妙に、ある意味偏って立っている様に感じる保護(と言うより、突き放せば庇護の様な胡乱傾向)等に煙たさすら感じる人間なのだが。
(顰蹙承知で何故目立ち、と敢えて言うかと言えば、
太古より人間あるところに、ある種の不均衡は実際は永遠に消えることは無い・・・
今が取り分け酷いのでは勿論なく、今は単に表に出やすくなっただけだと私は思うゆえ)
なのに、こういう記事には居たたまれなさを。
こういう記事の時だけ、
胡乱の輩と同じ様に、
殺処分の弱く見えるキリンの立場にごっそりと気持ちが流れる、
自分が感情移入的に被害者側に立ってしまうのは、
人より動物の方が単に好きなせいか?
それとも、
昨今の先の社会風潮から言っても、
日本人・・或いは、農耕民族だからだろうか?
(昔、今回と全く逆のスタンスから描いたと言える戦時下の象の花子だかの話を読んだ事があったが・・・
こういう事が根底的、仏教的とキリスト教的観念のちがいでもあるのかなあ)
例えばある種の、
天の、自然の、人智及ばない・・
いえ、
及ぶと思う事自体がおこがましい「摂理」に近い世界現実に対して、
人間の主観のみで見る「突発的、責任は伴なわない可哀想心理」で、
物事を見ても、
受け取ってもいけない事は、勿論承知するのだが、
当然、
動物自然界の自然淘汰も致し方ない、
だが、
写真のあくまでつぶらな瞳を見ると、
何とも胸苦しさは感じるのだ。
そして、
それは私自身にとっては、
「単なる民族的情緒性の差異」か、
「仏教的土壌民族の感傷的感受性」でしかないのだろうか?
と、
考えさせられたのは、
この、処分した肉を園内のライオンに与え、
そのシーンを来園の子供にも見せていた(らしい)
事と、
この記事の後半と、最後の一文だ、
「残虐なのが自然の現実。学びの機会であり、
子供たちは積極的に質問もした。」

私は、これに関して、
性悪、性善論云々の是非はない、
こういう反応はそも「人間」と言うもののまた姿なのだと思っている。
また、私は、
子供と言う精神(存在と敢えて言わない)は、
仮に無垢であれども、
残酷な資質でもあると思っているので、
この子供達の普通であろうリアクションも納得する、
(勿論、片や逆の情緒的にやさしい精神というモノも持つものも当然あるものとして)
そして、非情とも一見思えるこの動物園側の解釈と行動にも、
納得も感じるのだ、、
厳密には、動物園側と言うより、
狩猟民族の思考性にとって、極めて正論、であように思えた、
そんな、このなんとも如何にも、と思える対応や、やり取りの中に、
我々人類の歴史そのまんまの様な、
善悪を云々する処以前にある、
血脈的精神性としか捉えにくい欧米(狩猟民族今回の場合バイキング精神か?!)と、
アジア(農耕民族)のメンタリティ(いや、アイデンティティ・・なのだろうか?)
の、
根本的に深い差異を、
改めて強く、とても強く感じたりするのだ。
そして、
ここで、その農耕民族の割には、
残虐な偏りのある自分の内在をして、
保護地区国定公園みたいな幾多の生物を保護しつつも、
敷地範囲に限度があるところでなら人為的間引きも理解できるが・・・
もっと、矮小な動物園と言うなら、
どんな経緯で雄キリンが増えたのか何なんだかは解らないが、
交配させないとか、
受け入れないとか、
そもここまで育て大きくさせる前に、
或いは入手する前に・・・
他の選択肢はなかったのだろうか?
(ちなみに・・・今回のマリウス、どこかが引き取ると言う話もあったそうだが、結局折合わなかったらしい)
・・・などと、
それでもこの「マリウス」の瞳に、
物思わされ、
深く、溜息をついてしまった過日。
以下15、2、2014追記
今日、偶然ドキュメントで、日本の動物園では、
動物の高齢化と、
ワシントン条約の動物取引規制の結果、
かつての人気動物達がどんどん老死し、新しい命は入らず、
消えていっているそうだ、
また、その敢えて入手には往時と比較にならない金額、
キリンで一頭2000万くらい掛かるそうで、
近年の予算逼迫動物園にはそれも厳しいそうだ。
近親繁殖避けるくらい、
キリンがいたのなら、
殺す前に日本によこせよ、売れよ。。。
と、
農耕民族な私は、
屠殺マリウスを改めて思い馳せてしまった。
先にも書いたが、
これが自然保護地区とか、国定公園とかの放し飼いで、
ライオンに襲われ食われたなら仕方ない、
また、
そう言う中で病死や自然史したなら、
その肉を他の動物与える事に当然不快もない。
それが合理的だとも、摂理だとも言えるし、
命とは元々廻る物なのだから、
そうあってこそ、
命が順番に回って他の命に生き次がれているとも言える、
(ライオンとて食えねば絶える)
でも、
自然淘汰とは違う、
動物園と言う人為的介在のみが摂理とされた有無のない檻飼い(多分?)の中で、
銃殺、と言う今回の人為淘汰の選択自体は、
やはり、
理由聞いても、解せない・・・
とはいえ、
最早
既に屍としてしまった「マリウス」をライオンに与えた事そのもの自体には、
先の意味では理解するし、
さほど私は疑問は感じないのだが。