これはもう、ただの写真集ではなく、2020-2021シーズンの『羽生結弦戦記』ともいうべき存在です。
同時に、羽生結弦という不世出のアーティストの貴重な記録でもあります。
写真集の最後のページ「あとがき」には、ただ2行。
「あの日からずっと、あなたはだれかの光でした。
これからもずっと、だと思います。」
撮影 小海途 良幹
構成 長久保 豊
そして、
構成を担当なさった、長久保豊さんの昨日6月25日のTwitterが素晴しい。
まさに「あとがき完全版」です!
長久保 豊@YutakaNagakubo
あとがきにかえて。みなさま、ありがとうございました。 https://t.co/FVtjkC0Xob
2021年06月25日 00:56
私もそうなのですが、羽生くんのファンにはツイッターをなさらない年齢層の方も多くいらっしゃると思います。
「あとがきにかえて」と題されたこの文章は、是非とも多くの方に読んでいただきたいと思いました。
長久保さん、少しでも多くの方々がより容易に読めるように書き起こしをさせていただきます。どうかお許しください。m(_ _)m
みなさまへ
本日、無事に「YUZU'LL BE BACK Ⅲ」を出版できました。ご理解、ご協力をいただきました羽生結弦選手、関係者の方々に深く御礼申し上げます。また平昌五輪報道写真集から支持をしていただき、いつも温かい励ましをいただいた読者のみなさまには感謝してもしきれません。ありがとうございます。
たいへんなシーズンでした。多くのアイスショー、競技会が中止。やっと開催できた試合でもスチール撮影は抽選での代表撮影でした。幸いなことに弊社は近畿ブロック、西日本、全日本ジュニア、全日本、国別対抗と代表撮影の機会が与えられました。これは天に感謝です。しかしながら代表撮影というものは、制約も多いものです。撮影したすべてのデータは各社の共有財産となること、また新聞社によってフィギュアスケート写真への理解度が違うこともあり、小海途も苦労したと思います。
スウェーデン・ストックホルムの世界フィギュア。日本政府は「渡航してくれるな」。弊社でも一度は派遣を諦めました。でも「会社を辞めてでも行きたい」カメラマンがいて、「行かせてやりたい」人がいて。役員会に殴り込みをかける寸前で「OK」が出ました。私よりもっと偉い人の中に「行かせてやりたい」人がいたようです。ありがたいことです。渡航に際しても苦労しました(小海途が)。成田空港で「スウェーデン入管の許可が出ないかも知れない人は乗せられない」と空港会社職員。飛行機に乗り込めたのは本当に出発ギリギリの時間になってだそうです。でもそんなことも羽生結弦選手を撮れることを考えれば苦にはなりません。彼はわれわれにとってそういう存在なんです。
羽生選手は国別対抗の寄せ書きに「誰かの光に!」と記しました。
何をおっしゃるやら!。あなたはずっと誰かの光でしたよ、あの日から。
「あの日」がソチ五輪なのか、平昌なのか、あるいは世界ジュニア、そしてニース。あの日はファンそれぞれであっていい。かわらないのは「これからもずっと」であることです。
長くなりましたが、これをあとがきのかわりとさせていただきます。来シーズンはどうなることか、まだ見えません。たとえどんな苦難があっても羽生結弦選手が出場する試合には馳せ参じたいと思います。
みなさまもどうか、お体に気をつけて。元気で応援しましょう!
2021.6.25 長久保 豊
PS 厳しい小海途の目を盗んで、私の写真を1枚だけ載せるのに成功しました。
探してみてください。
以上です。
羽生くんご自身も、この長久保さんのメッセージを読んでくれていたら良いなと思います。
長久保さん、小海途さん、素晴らしい写真集をこの世に送り出してくださって、本当にありがとうございました❗️
心から御礼申し上げます。m(_ _)m
PS 私、長久保さんのお写真を見つけられたと思います。
国別のシーンで一枚だけ、客席の上方から撮影された「レミエン様」がありますね
長久保さんの熱い想いそのままに、紙面から飛び出さんばかりのズーム具合が素敵な写真です❣️
そして、私の一番のお気に入りは、この写真(部分)!
これぞ小海途さんの真骨頂!
「アーティスト羽生結弦」の顔そのものだと、私は思っています。
画像は感謝してお借りしました。