20日に、無事卒業式を迎えることができました。
8年前、へき地校で飛び込み6年の3人を卒業させて以来の、
2度目の卒業生34人を送り出しました。

ロングヘアだった前回の時と違い、
ショートヘアでとことんボーイッシュさを貫いた2年間だったので、
今回は母の青い小紋と合わせた袴姿にしました。
写真はめいママさんのブログでどうぞ。

私が泣き虫であることは子どもたちも承知してて、
「先生きっと式で泣くよね。」と言われていたのですが、
式の最中は泣かないと、子どもたちに約束しました。
職員席からみんなの言葉を泣かずにしっかり受け止めるから、
魂を込めて呼びかけをしてほしいと伝えたのです。

結果、子どもたちも私も、誰も泣きませんでした。
(だから担任の言葉って、怖いものですよね。
 子どもたちには泣いてほしかったなあと思ったのですが。)
ちなみに保護者席は号泣の皆様ばかりでした。

式が終わり、写真撮影も終えて教室に戻ろうとすると、
「先生、まだ行かないで!ゆっくり来て!!」といい、
あわてて戻っていく子どもたち。
さては何か企んでいるな?と思いましたが、
言われた通り、ゆっくり教室に戻ると…

クラッカークラッカー**クラッカークラッカークラッカー
先生!2年間ありがとうございました!!
クラッカーおめ!クラッカークラッカークラッカー2

なんと、34人全員でクラッカーを鳴らし、お礼の言葉を言ってくれたのです。
私は、寄せ書きか何かをくれるのかな?と予想していたのですが、
私と子どもたちが作り上げた、個性的でうるさい明るいクラスを象徴するようなサプライズでした。
ここで涙腺が一気に崩壊。
式の間我慢していた涙が一気にあふれました。

卒業証書と私からのメッセージカードを手渡した後、
最後の「先生の話」をしました。

「私は皆さんと出逢い、
いつの間にか明るく団結力のあるクラスの担任になることができ、
とてもとても幸せな担任でした。
一緒に学年を組んだ先生方のように、
専門的な音楽知識も、体育知識も持っていない私が
皆さんに教えられたことは、
「精一杯生きる」ということだけだったと思います。
でも、それが一番大事なことだと思います。
生きていなきゃ、夢は実現しません。
宮崎駿監督は、この世は生きるに値すると言いました。
皆さんは、先人たちから未来へ命を繋ぐために生まれて来ました。
これから先、大変なこともあると思いますが、どうか精一杯生きて下さい。」

これ読んで「ん?どっかで聞いたことあるような…。」と思った方、
あなたはかなりの『ごちファン』ですね。
はい。悠さんの言葉を使わせてもらいました。
「貧すればうどんす」の週に悠さんが言った言葉は、
どうしても卒業する子どもたちに伝えたかったのです。
め以子への手紙の言葉は、
聴いていてジーンと心に響く言い方だったので真似しました。
子どもたちも保護者も、みんな泣きながら私の話を聞いてくれました。


彼らの未来が幸多いことを願ってやみません。
そしていつか、成人した彼らとお酒をのみながら話をしたいです。

私の覚書として、学級通信の最終号を載せておきます。

「キセキ」の物語 ついに閉幕! 感動をありがとう

拝啓 
6年2組の皆さん、進級おめでとうございます。

みんなで作り上げてきた「キセキ」の物語 5年生の部は、
205日かけて、
一人ひとりが「輝石」になり、
たくさんの「軌跡」を残し、
大きな「奇跡」を起こしました。

今日から「キセキ」の物語 6年生の部が始まります。
小学校生活最後の一年間は203日。
2014年3月20日に、物語のフィナーレを迎えます。
物語を作っていくのは、みなさん一人ひとりです。
昨年よりもさらに輝く「輝石」になり、
2013年度のH小学校の歴史に「軌跡」を残し、
自分たちの小学校生活最大の「奇跡」を起こし、
世界にひとつしかない「キセキ」の物語を作っていきましょう!

この手紙を読んでいるみなさんが、
203日後、感動の卒業式を迎えていることを願っています。

敬具
2013年4月4日
謎の担任Xより

この手紙を書いた日から、199日目の登校日を迎えました。
最上級生として、準備から片付けまで、懸命に働いた入学式。
「カズテレビ」「大大テレビ」で盛り上がった修学旅行。
たて割り班のリーダーとして奮闘した児童集会。
優勝に向けて団結し、最後はみんなで泣いた運動会。
自分の記録に挑戦した陸上記録会。
「え~」と言いつつも、飽きずにつづけた百人一首。
何かといえば討論で盛り上がった毎日の授業。
マーティン一家が現れて盛り上がったクリスマス会。
上手に滑れるようになったスキー教室。
インフルエンザと120年に一度の大雪で行けなかった幻の国会見学。
(このため登校日数が4日減)
どれもこれも、昨日のことのように思い出されます。

「『輝石』になって、『奇蹟』を起こし、『奇蹟』を残そう」を合言葉に、
404日共に過ごしました。
2年前、初めて5年生の担任をすることが決まった時、
教員生活12年目にして、初めて大きな緊張と不安に包まれたことを今でも覚えています。
低学年ばかり担任していた私に、高学年の担任が務まるのだろうかと。
そんな中で考えた目指すクラス像が、「キセキ」でした。
一人ひとりが自分の光を出せるクラスにしたい。
このクラスにしか起こせない奇蹟のドラマを作りたい。
皆の人生の中に、このクラスで過ごした軌跡を残したい。
この3つのために、私が考えられるすべてを費やしてきました。
でも、私自身の力不足な面は否めず、申し訳ない気持ちになる日もありました。
それでも皆さんは、私についてきてくれました。
6年生になってからは、
「先生、この子達、本当にいい子たちね。」
「6年2組は明るくて、団結力があるね。」
そう周囲の皆さんから言っていただくことが多くなりました。
私はいつの間にか、「明るく、団結力のあるクラスの担任」になっていました。
これは、私の力ではなく、34人の皆さんが作ってくれたもの。
一人ひとりが『輝石』になって、
予想以上の『奇蹟』を起こし、
未来へつながる『軌跡』を残した2年間でした。
私はとてもとても幸せな担任でした。

say goodbye & good day(KOKIA)

卒業式の退場曲。実は私が選曲させてもらいました。
「さようなら」は、「全て受け入れて 次へと進む言葉」です。
これまでの「キセキ」は、これから歩く新しい世界のためにありました。
いよいよ「中学校」という新しい世界へ踏み出す時が来ました。
皆さんの未来が、幸多かれと願っています。
さようなら。

保護者の皆様、子どもたちと作ってきた「キセキ」の物語は、これで閉幕します。
担任として精一杯努力してまいりました。
至らない点が多々あったかと思います。お許しください。
おうちの皆様のご理解・ご協力なしで、この物語は作れませんでした。
本日まで子どもたちの成長を見守り、お力添えいただいたこと、
心より感謝申し上げます。
本当にありがとうございました。