吉野弘さん 2 | 一疋の青猫

吉野弘さん 2


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いつものことだが

電車は満員だった。

そして

いつものことだが

若者と娘が腰をおろし

としよりが立っていた。

うつむいていた娘が立って

としよりに席をゆずった。

そそくさととしよりが坐った。

礼も言わずにとしよりは次の駅で降りた。

娘は坐った。

別のとしよりが娘の前に

横あいから押されてきた。

娘はうつむいた。

しかし

又立って

席を

そのとしよりにゆずった。

としよりは次の駅で礼を言って降りた。

娘は坐った。

二度あることは と言う通り

別のとしよりが娘の前に

押し出された。

可哀想に。

娘はうつむいて

そして今度は席を立たなかった。

次の駅も

次の駅も

下唇をギュッと噛んで

身体をこわばらせて---。

僕は電車を降りた。

固くなってうつむいて

娘はどこまで行ったろう。

やさしい心の持主は

いつでもどこでも

われにもあらず受難者となる。

何故って

やさしい心の持主は

他人のつらさを自分のつらさのように

感じるから。

やさしい心に責められながら

娘はどこまでゆけるだろう。

下唇を噛んで

つらい気持ちで

美しい夕焼けも見ないで。



『 夕焼け 』 吉野 弘





*



詩人の吉野弘さんが亡くなった 87歳

このブログでも何度かその詩を紹介させていただいた 私の好きな詩人




誰かを好きになる時 それは詩人であれ 彼女であれ

相反するふた通りの場合があるように思う

親近感や共通項など 近きがゆえに

もう一つは

憧れや羨望 時に畏怖 己と比べることも憚られるような 遠き存在として




吉野さんの詩に惹かれるその一つの理由は 平易な言葉で語られる馴染みやすさでもあろう

そういった意味では前者の部類かと思われがちであるが さにあらず

一見 平易な言葉 = あたり前であること

その あたり前を どれだけ受け止めてこれただろうか

「 心やさしき受難者 」 として




覗き込んだ その淵の深さに慄いて 目を逸らしてはいないだろうか

吉野さんの やわらかなやさしい言葉は 時として心を抉る




近くて遠い

近しさは春の陽の如く 憧れは霞み遥かなり




ご冥福をお祈りします