にほひの言葉
わがあゆみゆくところ
ながるる にほひのことばあり
みちほそくして
草たわわなれど
ああ
この わがゆくところ
おほひなる ひとつの言葉あり
( 大手拓次 「 にほひの言葉 」 )
今年も一年 多くの言葉と出会いました
それは 街角の行きずりの囁きであり 古い雑誌の隅であったり
時に 激励であり 叱責 罵倒でもあったかも知れません
もちろん ブログのお付き合いでも 記事であったり コメであったり
多くの言葉と気付きを頂いた一年でした
言葉を欲る心は 立ち止まって見詰めることの大切さを教えます
流れて 過ぎ去ってゆくのも時間ですが
いつか放り投げてしまった古いノートの埃を払ってみれば
かつて己が記した古い言葉が 新たな輝きを放っているかも知れません
そして 新たなる言葉 新たなる一行に
また 来たる年も 出会い そして 記して ゆきたいと思っています
*
今夜も 読者とさせていただいている とある方の記事の中に
忘れていた けれど 好きな言葉をひとつ 見つけました
「一緒に泣いた時に、 はじめてお互いがどんなに愛し合っているのかが分かるものだ。」
エミール・デシャン
こうした 「 名言 」 と言われるようなものには
『 さすが、そんなこと思いつきもしなかった 』
という類のものと
『 うん。それは身につまされて、実によく分かる 』
と 膝を叩きたくなるようなものの二種類あるように思われます
これは後者に属するものでしょう
ただ個人的に もし ちょっとだけ手を加えるのが許されるならば
「一緒に泣いた時に、 はじめてお互いがどんなに愛し合っていたのかが分かるものだ。」
「 る 」 を 「 た 」 に 替えて 過去形としてみたい
実際 これまでも 自分ではそんな風に心の中で読み換えて受け取ってきたようにも思います
ちょっと淋しい感じにはなってしまいますけれど・・・
深さなのか 大きさなのかはわかりませんが
愛を計ることが可能であるとするならば
きっとそれは 終わりを告げた時からでは無いかと思うのです
初めてこの言葉に出会った時 自分は誰を想っていたのか・・・
もう 忘れましたけれど(笑)
あとには言葉だけが残り・・・
いえ
想いも言葉に包まれて きっと 生き続けているのだと思うのです
*
言葉の贈り物に 気付きを得て
更にその周りを彷徨うことは楽しい時間でもあります
( もうちょっとだけ調子に乗ります 長文失礼 )
この仏詩人・エミール・デシャンは
ユング心理学の 「 シンクロニシティ 」 の概念を説明する際
代表的な事例として挙げられる話に出てきたりもします
「 シンクロニシティ 」 とは 厳密な説明はここでは措くとして(笑)
例えば 電話を掛けようとしたら その相手から電話が掛かってきた
そんなこと ありますよね ?
シンクロニシティとは
『 えー うそー 今、電話しようと思ってたのにびっくりー アタシたちシンクロしちゃったねー 』
と なにも女子学生風にする必然性は無いのですが^^ そんな感じです
デシャンの事例は
とある人に デシャンがプディングをご馳走してもらったことがありました
その10年後にデシャンがレストランでプディングを頼んだところ品切れ
10年前のことを思い出し話していると そのとある人が現れた
というもの
心に思い浮かんだ事象と現実の出来事が一致する
意味のある偶然の一致
シンクロニシティ・・・
*
何ゆえに今 このようなことをふっと思い出し また書いているかと言うと
このブログの世界においても 「 シンクロニシティ 」 は 少なからず
いや
一年を通して見れば結構あったなあと 年の瀬に省みてのことです
それほど大げさなことで無くてもよいのです
名前も どこに住んでいるかもしらない誰かの 言葉に 写真に 音楽に
感応する 共感する
それはとても幸せなことですね
まだ見ぬアナタに そして もう出会ってしまったアナタは もう一年ガマンしてもらって(笑)
2014年も お付き合い頂けますと幸いです^^
拙いブログではございますが 一年間ありがとうございました
*
最後に 大手拓次の詩を もうひとつ
*
あはれなる身は
いづこともなく 歌にかこまれぬ
さざなみせる
ちさき歌にぞ かこまれぬ
うたへかし
心うつらふまで
「 歌にかこまる 」
*
みなさま よいお年を !
「 我が心のピンボール 」 大瀧詠一
※ はにかみやが愛の唄を作り 風の部屋でカセットをまわした・・・
※ 我が心の大瀧詠一・・・ご冥福をお祈りします