昨日は、ヨガの大先生であるシャンドウ先生とエマ先生がネパールを訪れ撮影された、ハタヨガの起源に迫るドキュメンタリー映画のファンドレイザー&ワークショップでした。


今年中の公開を目指します。


私の直師であるアンディ先生も撮影の際にネパールに同行。


映画のトレーラーやその際の写真を見ながら質疑応答が面白かった。


「ヨガとは」に言及していく中、私はまた深い気付きがありました。


ヨガとは中庸。


じっくり時間をかけるのが右、即効性を求める(ドラッグなど)の快楽、興奮、簡単にエレベイトするのが左。


ヨガは中庸なのです。


アンディがしてくれたその説明が腑に落ちたのです。(その1/10をかいつまむと)


私たちは死に向かって生きています。


大宇宙に生まれた意味を探求するには寿命というものがある。


しかし心身を鍛えると多少は死までの時間を稼ぐことができ、探求する時間が増えます…


とどのつまりは宇宙の恩恵と自分は一体であるというところに行き着くためのツールである…


ああ、アンディの言葉が脳からダダ漏れしていく、、。

昨日は映像を観ての質疑応答後、アンディのもと、簡単なアサナをしました。


呼吸に繊細な注意を払いながらのものでしたが、もう自分の意識が深く静かで安定したゼロの地点に行き着いたかのような境地に。


宇宙に繋がる深い場所を少し掘れたような至福の感覚。

これは1つの気付きなのかも。

この境地にいつでも戻れるように鍛錬したい。



シャドウヨガはプラーナの流れを計算した動きのため、普通のヨガの何倍ものエネルギーが働きます。


多分、これを追求していくと、世に溢れるヨガビジネスは何と薄いのだろうと嘆きたくなりますが、全てはあるべくしてありますからね。


肉体とスピリチュアルで繊細な鍛錬であるヨガにおいて、人気の先生、人気のスタジオという響きさえ虚しくなるほど…


シャドウヨガはそういったヨガビジネスとは真逆を行きます。


本来本物を追求するとはそういうことではないでしょうか。


多分先生は10億円を積まれてもスタジオを開くことはしません。


アイアンガー先生の下を1番近い弟子であったシャンドウ先生が去ったとき、アイアンガーヨガにとっては大きな損失となりました。


アイアンガーヨガのアイアンガー師、アシュタンガヨガのSKパッタビジョイス師亡き後、ヨガという名(名前があるほうが便利なためシャドウヨガと付けました)の下、世界に練習生のいる形で活動し、ヨガ道を極限まで追求してるヨギはシャンドウ先生しかしません。


インドの古い文献を自分で読解し、動きに反映させるなんて、なかなか出来ることではないからです。 


先生はネパールのスピリチュアルな師を訪ねて、耳に大きな穴を開けるイニシエーションを受けました。これは呼吸に関係するらしいです。

死ぬほど痛かったらしい。


いやね、人智を超えた秘境でのことなので、私がここでミーハーに書くと軽くなっちゃいますw


私もこれまで世界中の有名な先生のクラスを受けましたが、正に「受けた」だけです。


普通ならオシャレなヨガウェアを着て、海外の有名先生のクラスを受け、ヨガアライアンスを取得し、朝はスムージー、ベジタリアンっぽい食生活、、で自分に満足かもしれません。


私も18年前まではそうでした(笑)


最初はみんなそうやって入ってくるんですよね。

そこで満足したらそれでOK。


私は探求好きなので、それ以上行きたくなったわけです。


ヨガ道を探求することと、いわゆるヨガの資格をとり教える道は私の中では一緒ではありません。


今はヨガは死ぬまでやり続ける生きる道、知恵と呼んで良いでしょう。


そんな深い時間の後はスタジオのそばにあるCha Cha Matcha でアーモンドミルクラテ。


夜は友人宅でスーパーボウル観戦しました。


電動茶せんでガーッと一瞬にして泡立ちます。

この速攻ワザはヨガ道で言うなら、茶道のわびさびもすっ飛ばした左だなw

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