フーゾク。卑屈なセックス感。 | 書きなぐり。

フーゾク。卑屈なセックス感。

 
イラストの仕事はどんどん増えていた。月に10本の連載と他に単発のイラスト、取材、コラム、など。店にはもう毎日行くことができなかった。二日三日にいっぺんは締め切りがあるのだ。その他に取材や打ち合わせがある。
もう、毎日お店に行くなんて絶対に無理。
 
だけどフーゾクを辞めることは考えられなかった。わたしを生かしてくれたのはフーゾクだった。1人で暮らせるようになったのも、イラストを描くようになったのも、フーゾクのおかげだったし、何よりお客さんと過ごす時間がかけがえのないありがたい時間だった。
 
お店に行けば誰かがわたしを求めてくれる。お店の人も優しかった。お客さんはもっと優しかった。取材で会う女の子もみんな可愛くて優しかった。この世界で一生生きていきたい、そう思った。どんなにイラストが忙しくなっても、フーゾクは絶対やめないぞ、と思っていた。
 
セックスは好きだった。何故なら人が喜んでくれるから。男の人はわたしを受け入れてくれるからただそれだけで大好きだった。
 
そのころ、お客さん以外の人に知り合って誘われたらすぐ寝た。
だって相手が喜んでくれるから。
わたしが拒む選択肢はなかった。せっかくセックスしたいって思ってくれる人に「いやだ」なんて言えなかったし、そう思っては失礼だと思っていた。誘われ次第寝た。誘ってくれなかったら誘って寝た。
 
だが、だんだんと、誘われては寝るを繰り返していたら「あ、こりゃキリがないわ」と思うようになった。それで、だんだんそういう誘いを断ることも考え始めた。だけど、相手の望みを断ることがなかなかできなくて悩んだ。わたしなんかが断るなんて何様だよ、って考えが頭から消えなかった。断りながらもモヤモヤしてごめんなさい…ごめんなさい…ってつらくて、結局やったほうが早いんじゃないか?とも思ったりした。
 
その頃は流されてやることが多く、そんな自分がいやだったし、断る自分もいやだったしどうしたらいいかほんと悩んだ。
 
だけど、人生で1番気持ちが楽になるのはセックスしている時だけだった。その時だけは何もかもから解放された。
 
わたしは、人に求められることにどっぷり依存していた。自分自身は自分のことが好きではなかった。人がわたしを認めてくれることでしか自分の価値を感じられなかった。
 
卑屈オブ卑屈である。