初めての精神科1 | 書きなぐり。

初めての精神科1

わたしは多分何度もした薬の過剰摂取(オーバードーズ略してOD)のせいで、10代20代の事を思い出すのがあまり得意ではないので事実と異なった事も書くかもしれませんが、初めて精神科に行ったときの話を書きます。

 

私は19歳で家を出てから、何度か引越しをしながら一人暮らしを続けて居た。お金の使い方もわからず、夏になったらクーラーは秋まで一度も消さない、家に帰った時暗闇が寂しいから電気も付けっ放し、という無茶苦茶な生活をして居た。

 

その時イラストの仕事が多すぎて3日に一度は締切がある感じだったのでフーゾクにもなかなかいけず、どうやって家賃や生活費を払って居たのか、今だによく思い出せない。ちなみに電気や水道の払い方も分からないしケータイもよく止めて死にそうになってた。

 

あの頃って、世間にネットが普及し始めてチャットというものが流行りだしたときで、締め切りのない日は1日15時間どこの誰とも知らない人とチャットしてました。チャットしながら自分のホームページを作り、日記を書いたりそのサイト内でもチャットルームを作りファンの方と交流したり、とにかく私は何もないときは1日寝る以外の時間をパソコンに向けて居ました。パソコンの前の椅子に体育座りしてうずくまって仮眠をとる。目が覚めたらまたすぐにまた見知らぬ人とチャットをする。

 

当時、自分のサイトを作る女の子って珍しくて、雑誌に取材してもらったりネットアイドルとかやったりしてヘラヘラと生きてました。

フーゾクは裸が当たり前なのに、ネットアイドルはビキニとか着ての撮影しかなかったので、全く写真を撮られることに抵抗がなかったことを覚えてます。

 

イラストの仕事もありがたいことに忙しかったにも関わらず私には責任感というものが全くなく、原稿を落としたことも数度ありました。でもみんなガミガミ怒らず、まぁうらんちゃんなら仕方ないという感じで諦められて居たのであまり落ち込む事もなく、まぁ、的当だったなって今なら思います。

 

そのころよく、意味もなく落ち込む事が多かったのですが、私は「こんな鬱状態で、呑気に楽しい漫画なんか描けるかボケー」って自己肯定してました。(最低)

今思うとその頃出版物でイラストや文章の仕事をもらえてたことが奇跡だと思う。本当にありがたいって今なら思うしその時の自分ぶん殴りたい。

ぶん殴って実家に帰らせたい。

 

しかし、自分でもなんか良く分からないけど、定期的に落ち込む時がある。なんでかなって思いながら、落ち込んだらもう死ぬしかないみたいになって、何が何だかよく分からなくなって外を歩きながら目の前が真っ白にチカチカして歩けなくなって道端でうずくまったりすることがだんだん増えていった。

 

家の押入れに入り、ずっとブルブル震えながら泣いていたこともあった。気がついたら友達が家にきて、「おーい、出ておいでよ」って言われて自分がそこにいることに気づいたりしてた。

 

もう、イラストの仕事はやめて居たんだろうか。

それももう覚えてない。

わたしはストーブの暖かい灯の中で布団から出られず、ずっとアレサフランクリンを聞いて居た。たまに、どうやって家に入ったのかよく分からないけど友達が様子見を見にきて、少しお話ししてまた薬が効いてきて眠るってのを繰り返して居た。

わたしに家に訪問してくる人は、誰も私を責めなかった。寂しすぎる時は、付き合っても居ない女の子と抱き合って眠った。

 

そんなことでもありつつ、突然くる躁状態のようなやる気満々な気分に押されて編集者を紹介してもらったり、会いたい人を紹介してもらったり、そういうこともしてた。そういう時わたしは陽気だった。ハイというのかな。

 

そうして紹介してもらった編集者と朝までカラオケとかして、解散の時、薄ら明るくなった歌舞伎町の空を見て、なんだか虚しくなったりしてたな。

 

私が求めるほど、人は私を人として認めてくれてると感じられなかった。どうせカラオケ行きましょうよの私のセリフに嫌だよって言えずに付き合ってくれてるだけなんだろうなって思ってたから、カラオケでは全力で楽しんでるふりした。そして相手との温度差に落ち込む。多分私ってまじでクソめんどくさかったと思う。

 

あるとき、私はネットで意味もなく叩かれた。

たまたま見てしまい、わたしはものすごくショックを受けた。

内容は、表に出してないわたしの人間関係の細かいことだった。

これを書くのは、私が信じている女の子のうちの誰かしか居ないと確信を持ち、これは誰が書いたのか、あいつか、こいつか、と私の中で犯人探しが始まった。

 

前回のブログで書いた、フーゾク嬢の集まり「うらん組」の組員しかわからない情報がどんどんネットに書き込まれて行く。

うらん組の子たちは本当にいい子ばかりって私は思って居たので、すごくショックだったし、誰だよっていう犯人探しの気持ちを持つこと自体も悲しかった。

 

犯人がわからないまま私はおかしさは加速して行った。