プロレスの虜になった日。
わたしがプロレスに出会ったのは中2の終わりだった。
親の言うことをただただ聞き、先生の言うことをただただ聞き、大人の言うことを聞いているのが人生だと思ってた時だった。
わたしは親戚づきあいも下手でろくな友達もいなかった。ろくな友達もいなかったと言うと、ヤンキーと付き合ってたのかと思われるかもしれませんがそうではなく、勝手に友達扱いされたよくわからない暴君な女の子の言うことを、奴隷のように聞いていただけ。ちなみに暴君はクラスの中では地味なグループ、イジメられもしないマジで地味なだけのグループでした。
話は少し変わりますが、幼女連続殺人事件の宮崎勤が現場検証をした時の映像を覚えていますか?白い服を着たフワッとした雰囲気の彼をみて、学校へ行く前の朝ごはんを食べながら「あーこの人かっこいい」とわたしは言いました。親が血相変えて「そんなこと二度と言わないで」と言いました。
どうして?この人は悪いことをしたのはわかってる。だけど、タイプなのだから仕方ない、それとこれとは別問題じゃないか。
わたしは思いました。
でも、自分の意見は、親に認められないなら言っちゃいけないんだなと私は学習した。
(その件についてはまだわたしも納得がいってません。彼が悪い人なのは分かります。でもわたしの好みなのもある。でも、悪い人なのだからそういう風に思ってはいけない、果たしてそうなのだろうか?でもそれは真実なのだからいってもいいんじゃないだろうか。言わずとも、思っていることにはじゆうがあるんじゃないか、など。でも、それを言うことで悲しむ人がいるのなら、いうべきではないのかもしれない。でも。)
わたしは、昔から、誰かに自分の意見を言うたびに「そう言うことは言ってはいけない、そう言うことは考えないで」と言われることが多かった。ちょっと変わってるのかネジ飛んでるのかわからないけど、そう言うことが多く、そのたびにわたしは自分を否定されたと感じ、ツラかった。そのツラさって回数重ねて行くと、自分の考え自体もたなくなるんだよね、意見持つだけツラいから。
でもそれが人生だとも思っていた。だから、身近な人の言うことは黙って聞いていた。奴隷のような友達づきあいも、よくわからない大人の付き合いも、自分を消し、相手に合わせることで乗り越えてきた。思ったことは考えないようにして消した。
わたしの感情は、もうずっと、無視されたままだった。
そんな時、夜中までたまたま起きてたら、プロレス中継が放送されていた。プロレスといえば、小学生の頃のときに近所のお兄ちゃんにプロレス技をかけられておしっこ漏らす記憶ばかりで、いいイメージはすこしも持っていなかった。
あー、まだプロレスって世の中にあるんだな、最初はそうとしか思わなかった。
なんども言うが、私は人生は人に合わせて自分を殺すものと思っていた。テレビを見ながら、なんでこの人達、一生懸命汗垂らして相手に向かっていくんだろう。最初はただただ不思議だった。でもわたしはそのTV番組から目が離せなくなっていた。
テレビの中で、お客さんのビニール傘を勝手に取って、相手をボッコボッコにするレスラーを見て衝撃を受けた。(え!お客さんに怒られたらどうするの!?)
勝って全身で喜びを表すひとを見て衝撃を受けた。(そんな喜んだら負けた人が嫌がるんじゃないの!?)
負けて悔しい顔をしてセコンドに運ばれて行く人を見て衝撃を受けた。(そんなボロボロな姿をテレビで全国放送して恥ずかしくないの!?)
自分の気持ちをこんなに自由に表現して良い世界がこの世の中にほんとにあるの? それでも誰にも怒られない、むしろ、感情的をだすほどに見ているお客さんはヒートアップして行くのもこの目で見た。
マジで? これ、マジなのかな!?
だけど、どうみても、その汗は、涙は、喜びは、嘘とは思えなかった。
信じられなかった。
番組が終わるころには、「自分の意見を表に表して良い世界があるならそこに行きたい、行くしかない、もう、いままでの人生にさよならしたい。絶対あそこに行く。」
そう決めてた。
その日から私は狂ったようにプロレスのとりこになったのだった。