Oops, Here's another amalgam of lukewarm and ill-defined political something with tepid approach to the classics. And I'm not the only one who shows the sign of frustration to the production. See how deserted the hall is!! We are here to see the show not to hear the oratorical policy speech, okay?! And we don't need a fancy new composer who not just does not know anything about Asia at all but educated under the false policy that rejects everything Japanese. The result of all these stupidity is nothing short to the deserter.
浅はかでチープな政治的意図を、神聖なる宝塚のいたいけな少女歌劇に持ち込むのもいい加減にしてもらいたい。近頃のその手の扇動にそろそろ本気で腹がたってきた。げんに見たまえウラで操っている気になっているバカ共、客席はガラガラじゃないですか!
さてマノン・・・
マスネおよびプッチーニによるオペラ化のほかにも各時代に幾度となく舞台化されてきたほか、マスネの別の曲を用いたロミジュリのケネス・マクミラン版バレエなんかが有名やけど、オレ世代には烏丸せつこが脱いだ東陽一監督の映画も懐かしい。映画自体はツマラナイ代物だったが。
調べてみれば宝塚でも2001年に同じテーマで花組瀬奈じゅん彩乃かなみ主演のバウホール公演もあったらしいが今回のはもちろん大劇場版でそれとはまったく別物。
そうでなくても18世紀の背徳恋愛小説をゲーテやラディゲすら飛び越え20世紀、マルグリット・デュラスの印度支那半島に置き換えるという驕慢なプロットからして怪しいものなのに、しかも宝塚の絶対スタアは男役なのにどうするのかいなと身構えつつの開幕。
そもそも朝鮮系ジェイ・ソンとかいう新人作曲家はおそらくまったく宝塚も、あるいは20世紀のアジア史もまともには知らないどころか「マノン・レスコー」という作品とその歴史も知らないと見える。なんで彼女にわざわざ依頼したのか。いったいそもそもどういう繋がりなのか。プッチやマスネへの参照やオマージらしきものは当然まったく無し。原作のフランスへのリスペクトもほぼ感じられない。かろうじてインドシナと日本を結ぶサブカル的な繋がりが感じられるのは執拗に第一テーマとして鳴らす阪本龍一風(というか「戦場のメリークリスマス」風)メロディと、あとは武満徹的映画音楽風の弦の響きがオンド・マルトノみたいにも聴こえるといえばこじつけすぎか。それぞれオリジナルへのリスペクトというよりはたんなるパクリとも言えるが彼の国ではこんなの序の口なんでしょうね。いずれにしても歌詞ともまったく合ってない感が半端なし。そういうの合わせる気も毛頭ないんでしょうね。あるいは単に才能が無いだけか。聴いているこちらがハラハラオドオドしてしまいます。
植田景子の脚本も上記のとおり無理がある。デュラス以外にもおそらく「チャイナ・ゲート」のアンジー・ディッキンソンや古くは上海リリーことマレーネ・デートリッヒのイメージなんかも重ねたつもりなのか知らんが、その上に露骨に反自民的(うわー)なプロパガンダを重ねるとは、いったい宝塚もどこへ向うつもりなのか。そもそも男役スタアが絶対の宝塚の不問律をどうやってマノンで表現する気やったのか。
そしてすべての企ては上滑りするだけの、10年に一度の失敗作。ボジョレーヌーヴォーもびっくり。
ああ唯一の救いは、大石裕香のコレオグラフィ。ホンモノにお願いするということが、どれほど重要なことか。その道から踏み外さないということがどれほど偉大か、この素晴らしい振り付けを見つつ思い知れ、他の人たち。
スタンダードナンバーを重ね、奇を衒わない振り付けの、後半のレビューは普通に楽しい。
Dec. 1, 2015
宝塚月組公演
@Takarazuka Grand theatre
舞音(Manon)
Golden Jazz