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Savage Salvage (AKA UЯASHIMAru)

砂漠 音楽 秘密(笑)の趣味 
Desert Life, Classical Music, Traditional Play, Motor Cycling and a bit of Model Railroading.

前半)
モツコン:よく寝れました。最近疲れがたまってますねん♪
しかしこの日が初聴の滝千春は、執拗な拍手にアンコールで返さんかったが、チューニングに不満があったんやろか。白地に和柄っぽい大柄原色の派手なドレスが京の町に春の到来を告げ気分を盛ってたんでもうちょっと見ていたかったのに。
曲を詳しく知らんので番付にあるヨアヒムのものかはわからないが、カデンツァはモーツァルトの曲調からは違和感も感じられた。
後半)
タコ8:この作曲家の演奏会になると必ずなにやらその秘められた「意図」は何か、それはなかなか読み解けない・・・みたいな解説が何時の頃からデフォとなってしまったが、とくにこの第8交響曲なぞを聴けば、彼自身の人となりがそのままにじみ出てるだけやん、とストレートに(そういう思わせぶりな解説に)反発したくなる。ただただどこまでもシニカルに(しかも音楽的な情熱は失いようもないままに)彼のツァイトガイストを発露しているだけでしょう。それが色々に複雑に聴こえるなら、それはもうショスタコーヴィチではなく、彼をとりまく彼の同時代精神が複雑なだけ。だってそれは事実上の人類最終戦争真っ只中なんですから。
と、そこまで読みきることに躊躇なくさせる、大変な、京響とは思えない(もちろんエキストラの応援がけっこう入っている影響もあるでしょうが)熱演、爆演一歩手前の演奏会やった。
高関スタイルという演奏を彼がそもそも目指しているのかも定かではない、そういう意味では特徴に欠ける指揮もこの場合かえって作曲者のその曲への思いが透けて見えるようで良いのかもしれない。そして目を瞑ってソコに高関/京響ではなくムラビン/レニングラードがあることを想像してみるのも悪く無い。というかこの日の分厚い弦の響きや圧巻の金管は、本当にいつもながら素晴らしい木管の好演をも包んでオレを20世紀中葉のペテルブルク・フィルハーモニア協会へとつれていってくれるのであった。アタッカでつなぐ3~5楽章の熱に騙されたのか、この日はまったくフライングブラボーもクラップも起きず、なんかずいぶんマナーの良い聴衆になっちゃった関西の人たちを上空から見下ろしていたディミートリが、そのときにんまり舌出してたんがオレにはちゃんと見えたで!
残念なことといえばオレの安い席からは高関が考え抜いた変則対向配置の効果はわからずじまいな点と、あいかわらず野暮ったい彼の指揮姿。

3/29(日)
京響第588回定期演奏会
@京都コンサートーホール
高関健(常任主席客演指揮者・・・って結局何やねん?!)/京響/滝千春
(曲目)
モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲#5イ長調「トルコ風」K.219
(休憩)
ショスタコーヴィチ:交響曲#8ハ短調op.65