[Streamline] Henschel-Wegmann [DRG Class 61] | Savage Salvage (AKA UЯASHIMAru)

Savage Salvage (AKA UЯASHIMAru)

砂漠 音楽 秘密(笑)の趣味 
Desert Life, Classical Music, Traditional Play, Motor Cycling and a bit of Model Railroading.

Lets move back to pre-war Germany. The express service consists of a tank engine and several fully streamlined coaches run between Berlin and Dresden.
Savage Salvage (AKAうラしまru)
ふたたび独逸に戻ります。当地では早くも1931年には内燃機関(ディーゼル)動力分散型急行列車「フライング・ハンブルガー)が大きな成功を収め、愈々蒸気機関車製造処は強力なライバルの登場を前に本気を出さなくてはならなくなりました。

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カッセルの大手製造処であったヘンシェルが新鋭ディーゼル車に匹敵する性能を備えた機関車の開発を急ぐ一方、コーチワークのヴェグマン社も新時代高速列車に相応しい客車の製造に着手。
当初はライバルに合わせ2両の客車を牽引すべく4-4-2型小型タンク・エンジンが企画されましたが最終的には4両の流線型客車と新設計4-6-4型大型タンク機関車の編成で登場することとなりました。

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設計最高速度175キロ/時、巡航最高速度160キロ/時と当時最速に肩を並べる列車の誕生です。

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2.3メートルの巨大な動輪とインサイド・ギア方式のメカニズムは流線型のカウルに隠されて殆ど見えません。

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1936年にこの急行列車が営業を開始した当初機関車はこの61-001一両のみで予備はありませんでしたが、39年にほぼ同じスタイルで従輪が3軸とされた002号機が増備されます。

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ほどなくしてポーランドに侵攻した独逸は戦時体制に入りこの豪華な急行列車も運行を休止します。
ところで当時同盟関係にあった日本の経営する南満洲鉄道の流線型タンク機関車タブサには、明らかにこのクラス61型の影響が見て取れます。
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現実には不可能なこんなシーンも模型なら可能です。こうして並べばその形態の類似がよく判ります。ただしタブサの軸配置は4-4-4であり用途も普通列車の近代化であり、その点ではむしろ同じ独逸の流線型タンク機LBE1(DR60)型に近いものがあります。

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華やかな活躍の期間は短かったものの、001は戦後も主にハノーバー近郊で旅客列車の先頭に立ち働き続けますが51年の事故で大きなダメージを蒙り57年に惜しくも解体されてしまいます。
一方姉妹機002号は終戦をドレスデンで迎え、東西分割後は東ドイツ国鉄所有となります。そして1961年に高速試験用テンダー式機関車18-201に改造され時速180キロメートルを達成したことは以前の記事で紹介済みですが、これもまたこうして現実には有り得ないその2機の並びがココでは実現してしまうのですねえ。
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そしてその18-201号機は現在もドイツで好事家の手によって保存されています。

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模型はリバロッシがまだイタリアの工場で作っていた末期の時代のものです。簡潔な造りですが当時のデカダントな雰囲気はよく出ていると思います。

つづく