で、肝心のお芝居は以下の2つの点で、駄目。
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駄目その①:音楽:歌舞伎というのはその字面にもあるように「歌」と「舞」の舞台芸術である。舞っているだけでは歌舞伎とは言わない。歌それも肝心の亀の子踊りや長唄あるいはお囃子をせんぶ録音テープで誤魔化しているようでは、いくら御簾の後ろで室内楽をやったっていくらギターでフラメンコを踊ったって駄目。これは歌舞伎だけの問題ではなくなりつつあるかも知らんが、明らかに人件費をケチり、音楽どころか日本語の台詞すらおぼつかない俳優を大量に使いただの見世物に堕した劇団フォーシーズンズなんちゃらあたりの悪影響。あんなものをミュージカルと信じて見に行く田舎モノの群れもどうかと思うが。「歌舞伎にも色々あります」。。。いやありませんから。カラヤン指揮テープ演奏付きのアイーダなんかダレが見に行くか?!
ラスベガスの某ショーのように舞台両袖に2階建てで御簾を設けて和楽器を右(東)洋楽器を左(西)にまとめるとか回り舞台中央に背中合わせに楽団を乗せるとか、もっと色々考えられると思うか如何なもんか。
駄目その②:演出:色々盛りだくさんに詰め込みすぎて、お芝居そのものの見せ所がぼやける。まさに戦術に酔って戦略を見失うの悪例。最近のMET等の(特にワグナーものの)演出にインスパイヤされた抽象的でハイテックな作り物はそれ自体が元々日本の伝統芸能であるお能に想を得たものであるところは疑いようもないしそれ自体は素晴らしいが、しかしそういった方向性が現代オペラでそれなりの評価を得たのは他でもないそれ以外の伝統的ルールを守るとろこにあるのであって、それは既に述べたように例えば録音特に人の声を録音等で代用しては元も子も無い。
また、その詰め込みすぎの弊害はこのお芝居前半のハイライトのひとつ、カルデロン親子が遥に洋を隔てて別れ別れになるシーンを回り舞台を使って表現する筈が、チープなテープ音楽で台無しになり、そのせいで最後まで五右衛門とその父の距離感が全く感じられないばかりか、後半再び同じように酒場で物思いに耽る父とその父に会いに行こうとする五右衛門の強い親子の絆も全く描き切れなくなる。お隣の吉本新喜劇のほうがよほどそういう演出は巧くやっているちゅうのに。
一方聴衆はそんなこまけーことはいいんだよ!とまるで意に介さず愛之助の二度の宙乗りや3階を含め全客席を走り回る大捕り物に大喜び。いやたしかに彼のケレン味溢れるお芝居そして台詞まわしは素晴らしい。歌舞伎座が再開場する本年、江戸公演に際してもきっと素晴らしい見栄を張ってくれるであろう彼の見事な役者ぶりはこの壮大すぎてそこここに綻ぶ企画を救った。また、酒場の踊り子と阿國の弟子がホンモノの女なのにはたまげたが、これは歌舞伎の歴史を鑑みれば画期的な演出かも知れず、しかしそのホンモノの踊り子を前になお妖艶にして清楚で美しい壱太郎彼も今からの上方歌舞伎を背負って立つ女形!
しかし最後にもう一度繰り返したいが、歌舞伎は新劇や他の安物のミュージカルとはちゃう。国や自治体から補助金も出ている伝統芸能でもある。演出の失敗はともかく基本である音楽や効果音を疎かにしたら絶対アカン。
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2/26(火)千穐楽
二月花形歌舞伎 夜の部「GOEMON石川五右衛門」
@松竹座
出演:片岡愛之助/尾上松也/中村梅枝/中村萬太郎/坂東巳之助/中村壱太郎/中村翫雀 ほか
浄瑠璃:竹本愛太夫/芳村伊千四郎/カンテ:クーロ・バルテペーニャス/室内楽:浦田彩(vn)/待谷翠(vla)中島彩理(vc) ほか。
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